(01)
「先ほど(令和02年02月13日)」の「記事」でも書いた通り、
(ⅰ)
1(1)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} A
1(2)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 1量化子の関係
1(3)∀x∀y~{(Fx&Fy)&x≠y} 2量化子の関係
1(4) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 3UE
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4UE
1(6) ~(Fa&Fb)∨a=b 5ド・モルガンの法則
1(7) (Fa&Fb)→a=b 6含意の定義
1(8) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 7UI
1(9) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} 8UI
(ⅱ)
1(1) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} A
1(2) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 1UE
1(3) Fa&Fb →a=b 2UE
1(4) ~(Fa&Fb)∨a=b 3含意の定義
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4ド・モルガンの法則
1(6) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 5UI
1(7) ~∃y{(Fa&Fy)&a≠y} 6量化子の関係
1(8)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 7UI
1(9)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 8量化子の関係
従って、
(01)により、
(02)
① ~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}≡2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}≡xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
① ∃xFx&~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}≡1個以上のxがFであって、2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∃xFx& ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}≡1個以上のxがFであって、xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
(ⅱ)
1 (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2)∃xFx 1&E
3 (3) Fa A
1 (4) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1 (5) ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1 (6) Fa&Fb→a=b 5UE
7(7) Fb A
37(8) Fa&Fb 37&I
137(9) a=b 68MPP
13 (ア) Fb→a=b 79CP
13 (イ) ∀y(Fy→a=y) アUI
13 (ウ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3イ&I
13 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ウEI
1 (オ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13エEE
(ⅲ)
1 (1) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
2 (5) Fb→a=b 4UE
6(6) Fb&Fb A
6(7) Fb 6&E
26(8) a=b 57MPP
26(9) a=b&a=b 88&I
26(ア) a=b 9&E
26(イ) b=b 8ア=E
2 (ウ) Fb&Fb→b=b 5イCP
2 (エ) ∀y(Fb&Fy→b=y) ウUI
2 (オ) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) エUI
2 (カ) ∃xFx 3EI
2 (キ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) オカ&I
1 (ク)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 12クEE
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ∃xFx&~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} ≡1個以上のxがFであって、2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∃xFx& ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y } ≡1個以上のxがFであって、xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ≡あるxはFであり、すべてのyについて、 yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(06)
① 2個以上のxがFである。といふことはない。
といふことは、
① 1個以下のxがFである。
といふことであある。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 1個以上のxがFであって、1個以下のxがFである。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}≡あるxはFであり、すべてのyについて、yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=③ である。
然るに、
(08)
① 1個以上のxがFであって、1個以下のxがFである。
といふことは、
② 正確に1個のxがFである。
といふことである。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 正確に1個のxがFである。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}≡あるxはFであり、すべてのyについて、yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(09)により、
(10)
② 正確に1個のxがFである≡∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(11)
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
といふ「論理式」を使って、
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」を書くことが出来る。
然るに、
(12)
① ∀x{Fx→P}
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、そのときに限って、
P=∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]
である。
従って、
(12)により、
(13)
① ∀x{Fx→P}≡すべてのxについて、xがFならば、Pである。
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、
② は、① に対する、「代入例(Substitution instance)」である。
然るに、
(14)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語になりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問に対して「部屋の隅にある机がこれです」ということができる。
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① ∀x{Fx→P}≡すべてのxについて、xがFならば、Pである。
の「主語」は、
① Fx であって、
① P=∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]。
の「主語」は、
① Gx である。
従って、
(15)により、
(16)
① ∀x{Fx→P}。
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、そのときに限って、
② は、① に対する、「代入例(Substitution instance)」であるが故に、
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」には、少なくとも、
① Fx といふ「主語」と、
② Gx といふ「主語」が、有ることになる。
従って、
(16)により、
(17)
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」は、「二重主語文」である。
然るに、
(17)により、
(18)
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
F=T会の会員
G=私
H=理事長
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理式」、すなはち、
② すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「論理式」になって、もちろん、この場合も、「二重主語文」である。
然るに、
(19)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3ス&I
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(19)により、
(20)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(21)
いづれにせよ、
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② である。
従って、
(18)(22)により、
(23)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② は、「二重主語文」である。
然るに、
(24)
日本文には主語という用語適用すべき対象がてんで存在しないのである。「甲ガ」も「乙ニ」も「丙ヲ」と並んで同じ補語の仲間に踏みとどまっているのである(三上1953b:78)。
(淺山友貴、現代日本語における「は」と「が」の意味と機能、2004年、33頁)
従って、
(23)(24)により、
(25)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② といふ「述語論理式」は、「二重主語文」である。
従って、
(25)により、
(26)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、例へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」は、私が見る所としては、「二重主語文」である。
然るに、
(27)
一、總主トハ如何ナル者ゾ
動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。例ヘバ「象は體大なり」ノ「象」、「熊は力強し」ノ「熊」、「鳥獸蟲魚皆性あり」ノ「鳥獸蟲魚」、「仁者は命長し」ノ「仁者」、「賣藥は效能薄し」ノ「賣藥」、「慾は限無し」ノ「慾」、「酒は養生に害あり」ノ「酒」、「支那は人口多し」ノ「支那」ノ如キハ、皆、「體大なり」「力強し」等ノ一説話ニ對シテ更ニソノ主語タル性格ヲ有ス。『帝国文学』五巻、五號(帝國文學會明治三十二年)
従って、
(26)(27)により、
(28)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、例へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」は、私が見る所としては、「二重主語文」であって、
① タゴール記念会は
は、草野淸民先生が所謂、「總主」である。
令和02年02月13日、毛利太。
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