2020年2月15日土曜日

「タゴール記念会は私が理事長です」の「述語論理」。

(01)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(02)
理事長は、私です。
② 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② は、対偶(Contraposition)」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 私理事長です。
理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=②=③ であるため、
① 私理事長です。
② 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)により、
(04)
① 私理事長です。
② 私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② であるが故に、
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない
に於いても、
①=② である。
従って、
(04)により、
(05)
① 私理事長です。
理事長は私です。
に於いて、
①=② である。
といふことが、よく知られてゐた
といふのであれば、その時点で、三上先生は、
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
といふことに、気付くべきであった。
といふ、ことになる。
然るに、
(06)
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
といふことは、
① 象は、鼻長い。
② 象は、鼻以外は長くない
に於いても、当然、
①=② である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 私理事長です。
理事長は私です。
に於いて、
①=② である。
といふことが、よく知られてゐた。
といふのであれば、その時点で、三上先生は、
① 象は鼻長い。
② 象は鼻以外は長くない
に於いて、
①=② である。
といふことに、気付くべきであった。
といふ、ことになる。
然るに、
(08)
① 私であるのは、私だけであるため、
① 私以外に、私はゐない
従って、
(06)(08)により、
(09)
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=② である。
といふことは、
③ タゴール記念会は、私と、理事長は、「同一人物」である。
といふ、ことである。
然るに、
(10)
3 つぎの相互に導出可能な結果を確立せよ(本文の(16)および(17)を参照)。
∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}┤├ ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、215頁)
然るに、
(11)
(ⅰ)
1  (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  A
1  (2)∃xFx                  1&E
 3 (3)  Fa                  A
1  (4)     ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  1&E
1  (5)       ∀y(Fa&Fy→a=y)  4UE
1  (6)          Fa&Fb→a=b   5UE
  7(7)             Fb       A
 37(8)          Fa&Fb       37&I
137(9)                a=b   68MPP
13 (ア)             Fb→a=b   79CP
13 (イ)          ∀y(Fy→a=y)  アUI
13 (ウ)       Fa&∀y(Fy→a=y)  3イ&I
13 (エ)    ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ウEI
1  (オ)    ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13エEE
(ⅰ)
1  (1)    ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
 2 (2)       Fa&∀y(Fy→a=y)  A
 2 (3)       Fa             2&E
 2 (4)          ∀y(Fy→a=y)  2&E
 2 (5)             Fb→a=b   4UE
  6(6)          Fb&Fb       A
  6(7)             Fb       6&E
 26(8)                a=b   57MPP
 26(9)            a=b&a=b   88&I
 26(ア)                a=b   9&E
 26(イ)                b=b   8ア=E
 2 (ウ)          Fb&Fb→b=b   5イCP
 2 (エ)       ∀y(Fb&Fy→b=y)  ウUI
 2 (オ)     ∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  エUI
 2 (カ)     ∃xFx             3EI
 2 (キ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  オカ&I
1  (ク)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)  12クEE
cf.
「E.J.レモン、論理学初歩」の場合は、「練習問題の解答」が載ってゐません。
然るに、
(12)
①   ∀y(Fy)
② ∀x∀y(Fx&Fy)
に於いて、
①=② である。
といふことは、『全称命題は「連言」である。』といふことからすれば、「当り前」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}┤├ ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
といふ「式」が、「相互に導出可能」でない
とするならば、その方が、「不思議」である。
然るに、
(14)
それ故、正確に1つのものがFをもつといふことは、つぎのように言うことである。
  (16)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
さて(16)は、実はより短くすっきりしたつぎの式と相互に導出可能なのである。
  (17)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、211頁)
然るに、
(15)
  (22)∃x{Ix&Ox&∀y(Iy→x=y)}
― ある人はイリアスを書いた、そしてオデュッセイアを書いた、そしてさらにその人はイリアスを書いたただ1人の人である。最後の節は、
  (17)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
の様式で、その人の一意性(uniqueness)を表現し、従って、確定記述(the definite description)の意味をとらえている。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、213頁改)
従って、
(15)により、
(16)
① 私理事長です。
① 私以外は理事長ではない
① 私と理事長は「同一人物」である。
といふ「日本語」は、
① ∃y[私y&理事長y&∀z(理事長z→y=z)]。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(16)により、
(17)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
① タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
① タゴール記念会は、私と理事長は「同一人物」である。
といふ「日本語」は、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「述語論理」に相当する。
然るに、
(18)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                             A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  34MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5   (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9  (9)       ∃z(小倉z&~私z)                      A
    ア (ア)          小倉c&~私c                       A
    ア (イ)          小倉c                           ア&E
    ア (ウ)              ~私c                       ア&E
     エ(エ)                b=c                     A
    アエ(オ)            ~私b                       ウエ=E
  5   (カ)             私b                       6&E
  5 アエ(キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5 ア (コ)        小倉c&~理事長ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   45シEE
1  9  (セ)   T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za)              3ス&I
1  9  (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}             セUI
1  9  (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。                セUI
従って、
(18)により、
(19)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(16)~(19)により、
(20)
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(2)小倉氏は私ではない。 従って、
(シ)タゴール記念会の理事長は、小倉氏ではない
といふ「推論」は、「日本語」としても、「述語論理」としても、「妥当」である。
従って、
(17)(20)により、
(21)
(1)タゴール記念会は、私理事長です。 然るに、
(2)小倉氏は私ではない。 従って、
(シ)タゴール記念会の理事長は、小倉氏ではない。
といふ「推論」が、「妥当」である以上、
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない
③ タゴール記念会は、私と理事長は「同一人物」である。
④ ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=②=③=④ である。
といふことを、「否定」することは、出来ない
然るに、
(22)
題目に最適な名詞を、題目に最適な成分にしながら、題目でない形にすると、いわば逆をつくような格好になって、強声的になるもののようである。
だから、この効果は文の主要な部分においてしか起こらない。
 タゴール記念会は、私理事長です。
において、「私」の強声的効果がかなり弱まっている。名詞句の内部においては、この効果は全くきえてしまう(三上章、日本語の論理、1963年、109頁)。
然るに、
(23)
題目に最適な名詞を、題目に最適な成分にしながら、題目でない形にすると、いわば逆をつくような格好になって、強声的になるもののようである。
といふ「文章」は、おそらく、一生かかっても、私には、「理解」出来ない。
然るに、
(24)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(01)~(05)により、
(25)
三上先生は、「論理学の基本」である、「対偶(Contraposition)」にさへ、「注意を払はない」。
従って、
(24)(25)により、
(26)
「新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする。」
とは、言ふものの、1963年に、「日本語の論理」を上梓した時点での、三上章先生は、「記号論理学」を知ってゐた。と、言ふことは出来ない
令和02年02月15日、毛利太。

0 件のコメント:

コメントを投稿