2020年2月28日金曜日

「漢文」と「命題論理」。

(01)
① 學而不思則罔=
① 學而不(思)則罔⇒
① 學而(思)不則罔=
① 学びて思はざれば則ち罔し=
① 学んでも、考へなければ、〔物事は〕ハッキリしない(論語、爲政、十五)。
然るに、
(02)
「而」は「&」であって、
「不」は「~」であって、
「則」は「→」であって、
① 學而不思則罔。といふ「 漢文 」は、まさに、
② 學&~思→罔。といふ「論理式」そのものである。
然るに、
(03)
「~」の「結合力」は、
「&」の「結合力」よりも強く、
「&」の「結合力」は、
「→」の「結合力」よりも強い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 學而不思則罔。
② 學&~思→罔。
に於いて、
①=② であるならば、
①(學而不思)則罔。
②(學&~思)→罔。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1  (1) (學&~思)→罔 A
 2 (2)       ~罔 A
12 (3)~(學&~思)   12MTT
12 (4) ~學∨ 思    3ド・モルガンの法則
12 (5)  學→ 思    4含意の定義
1  (6)~罔→(學→思)  25CP
  7(7)(學&~罔)    7A
  7(8)  ~罔      7&E
1 7(9)    學→思   78MPP
  7(ア)    學     7&E
1 7(イ)      思   9アMPP
1  (ウ)(學&~罔)→思  7イCP
(ⅱ)
1  (1) (學&~罔)→思 A
 2 (2)       ~思 A
12 (3)~(學& 罔)   12MTT
12 (4) ~學∨ 罔    3ド・モルガンの法則
12 (5)  學→ 罔    4含意の定義
1  (6)~思→(學→ 罔) 25CP
  7(7)(學&~思)    A
  7(8)~思        7&E
1 7(9)    學→ 罔  78MPP
  7(ア)    學     7&E
1 7(イ)       罔  9アMPP
1  (ウ)(學&~思)→罔  7イCP
従って、
(05)により、
(06)
①(學&~思)→罔
②(學&~罔)→思
に於いて、
①=② である。
① 学びて思はざれば則ち罔し。
② 学びて罔かざれば、則ち思ふ。
従って、
(01)(06)により、
(07)
① 学んでも、考えなければ、(物事)はハッキリしない。
② 学んでゐて、その上、(物事)がハッキリするのであれば、考へてゐる。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
魯の人。孔門十哲の一人で、随一の秀才。孔子にその将来を嘱望されたが、孔子に先立って没した。顏回は名誉栄達を求めず、ひたすら孔子の教えを理解し実践することを求めた。その暮らしぶりは極めて質素であったという。このことから老荘思想発生の一源流とみなす説もある(ウィキペディア)。
従って、
(01)(07)(08)により、
(09)
② 顏回は、学んでゐて、その上、(物事)がハッキリしてゐるので、考へてゐる。
従って、
(04)~(09)により、
(10)
①(學而不思)則罔。
②(學&~思)→罔。
に於いて、
①=② である。
cf.
① 学びて思はざれば則ち罔し。
② 学びて思はざれば則ち罔し。
然るに、
(11)
「~」の「結合力」は、
「&」の「結合力」よりも強く、
「&」の「結合力」は、
「→」の「結合力」よりも強い。
と決めたのは、「むやみに括弧が多くなるのが、我慢できないからである(E.J.レモン)。」
従って、
(10)(11)により、
(12)
①(學而不思)則罔。
②(學&~思)→罔。
は、「普通」は、
① 學而不思則罔。
② 學&~思→罔。
といふ風に、書く。
従って、
(10)(12)により、
(13)
① 學而不思則罔。 といふ「 漢文 」は、
② 學&~思→罔。 といふ「論理式」そのものである。
然るに、
(14)
ジョ【如】[接続詞]
2もシクハ
A如シクハB [読み]AもシクハB : A・Bは体言 [訳]AあるいはB、Aまたは
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、206頁)
従って、
(14)により、
(15)
「∨(または)」=「如」である。
従って、
(05)(13)(15)により、
(16)
「計算(05)」は、
(ⅰ)
1  (1) 學而不思則罔 A
 2 (2)     不罔 A
12 (3)不學而不思   12MTT
12 (4)不學如 思   3ド・モルガンの法則
12 (5) 學則 思   4含意の定義
1  (6)不罔則學則思  25CP
  7(7)學而不罔    7A
  7(8)  不罔    7而E
1 7(9)   學則思  8MPP
  7(ア)   學    7而E
1 7(イ)     思  9アMPP
1  (ウ)學而不罔則思  7イCP
(ⅱ)
1  (1) 學而不罔則思 A
 2 (2)     不思 A
12 (3)不學而 罔   12MTT
12 (4) 不學如 罔  3ド・モルガンの法則
12 (5)  學則 罔  4含意の定義
1  (6)不思則學則 罔 25CP
  7(7)學而不思    A
  7(8)不思      7而E
1 7(9)   學則 罔 78MPP
  7(ア)   學    7而E
1 7(イ)      罔 9アMPP
1  (ウ)學而不思則罔  7イCP
といふ「計算(16)」と、「完全に、同じ」である。
然るに、
(17)
(ⅰ)
1  (1)    P→Q   A
 2 (2) ~(~P∨Q)  A
  3(3)   ~P     A
  3(4)   ~P∨Q   3∨I
 23(5) ~(~P∨Q)&
        (~P∨Q)  24&I
 2 (6)  ~~P     35RAA
 2 (7)    P     6DN
12 (8)      Q   17MPP
12 (9)   ~P∨Q   8∨I
12 (ア) ~(~P∨Q)&
        (~P∨Q)  29&I
1  (イ)~~(~P∨Q)  2アRAA
1  (ウ)   ~P∨Q   イDN
(ⅱ)
1     (1) ~P∨ Q   A
 2    (2)  P&~Q   A
  3   (3) ~P      A
 2    (4)  P      2&E
 23   (5) ~P&P    34&I
  3   (6)~(P&~Q)  25RAA
   7  (7)     Q   A
 2    (8)    ~Q   2&E
 2 7  (9)  Q&~Q   67&I
   7  (ア)~(P&~Q)  29RAA
1     (イ)~(P&~Q)  1367ア∨E
    ウ (ウ)  P      A
     エ(エ)    ~Q   A
    ウエ(オ)  P&~Q   ウエ&I
1   ウエ(カ)~(P&~Q)&
          (P&~Q)  イオ&I
1   ウ (キ)   ~~Q   エカRAA
1   ウ (ク)     Q   キDN
1     (ケ)  P→ Q   ウクCP
従って、
(17)により、
(18)
「計算(17)」は、
(ⅰ)
1  (1)    甲則乙   A
 2 (2) 不(不甲如乙)  A
  3(3)   不甲     A
  3(4)   不甲如乙   3如I
 23(5) 不(不甲如乙)而
        (不甲如乙)  24而I
 2 (6)  不不甲     35RAA
 2 (7)    甲     6DN
12 (8)      乙   17MPP
12 (9)   不甲如乙   8如I
12 (ア) 不(不甲如乙)而
        (不甲如乙)  29而I
1  (イ)不不(不甲如乙)  2アRAA
1  (ウ)   不甲如乙   イDN
(ⅱ)
1     (1) 不甲如 乙   A
 2    (2)  甲而不乙   A
  3   (3) 不甲      A
 2    (4)  甲      2而E
 23   (5) 不甲而甲    34而I
  3   (6)不(甲而不乙)  25RAA
   7  (7)     乙   A
 2    (8)    不乙   2而E
 2 7  (9)  乙而不乙   67而I
   7  (ア)不(甲而不乙)  29RAA
1     (イ)不(甲而不乙)  1367ア如E
    ウ (ウ)  甲      A
     エ(エ)    不乙   A
    ウエ(オ)  甲而不乙   ウエ而I
1   ウエ(カ)不(甲而不乙)而
          (甲而不乙)  イオ而I
1   ウ (キ)   不不乙   エカRAA
1   ウ (ク)     乙   キDN
1     (ケ)  甲則 乙   ウクC甲
といふ「計算(18)」と、「完全に、同じ」である。
従って、
(17)(18)により、
(19)
①  甲則乙(Pならば、Qである)。
② 不甲如乙(PでないかQである)。
に於いて、
①=② であって、この「等式」を「含意の定義」といふ。
従って、
(01)~(19)により、
(20)
漢文」といふ「集合」は、「命題論理」を、その「部分集合」として、含んでゐる
従って、
(21)
明治以前の日本人は、漢文を読むことで論理的な考えを身につけました。漢文は論理的な構文をたくさん含んでいるからです(山下正男、論理的に考えること、1985年、ⅲ)。
といふ「言ひ方」は、「正しい」。
従って、
(20)(21)により、
(22)
「中国語」は学んでも、「漢文」を学ぼうとしない、令和時代の日本人が、明治以前の日本人よりも、「論理的に考えること」が苦手であることは、「已むを得ない」。
令和02年02月28日、毛利太。

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