2020年2月6日木曜日

残念なこと(?)に、「漢文・訓読」は、「英語」よりもはるかに「論理的(Logical)」である。

(01)
⑪ 不不(不P如Q)≡(Pならざるか、もしくはQに)あらずんば、あらず。
ではなく、「正しく」は、
⑪ 無非(不P如Q)≡(Pならざるか、もしくはQに)あらざるは、なし。
でなければならない。
といふことは、ここでは、「不問」にする。
(02)
(ⅰ)P則Q├ 不P如Q
1  (1)    P則Q   A
 2 (2) 不(不P如Q)  A
  3(3)   不P     A
  3(4)   不P如Q   3如I
 23(5) 不(不P如Q)而
        (不P如Q)  24而I
 2 (6)  不不P     35RAA
 2 (7)    P     6DN
12 (8)      Q   17MPP
12 (9)   不P如Q   8如I
12 (ア) 不(不P如Q)而
        (不P如Q)  29而I
1  (イ)不不(不P如Q)  2アRAA
1  (ウ)   不P如Q   イDN
といふ「計算(Propositional calculus)」の中の「漢文(Kanbun)」は、
(ⅰ)
(1) Pならば、すなはちQなり。
(2)(Pならざるか、もしくはQに)あらず。
(3) Pならず。
(4) Pならざるか、もしくはQなり。
(5)(Pならざるか、もしくはQに)あらずして、
   (Pならざるか、もしくはQなり。)
(6) Pならずんばあらず。
(7) Pなり。
(8) Qなり。
(9) Pならざるか、もしくはQなり。
(ア)(Pならざるか、もしくはQに)あらずして、
   (Pならざるか、もしくはQなり。)
(イ)(Pならざるか、もしくはQに)あらずんば、あらず。
(ウ) Pならざるか、もしくはQなり。
といふ風に、「訓読」出来る。
従って、
(02)により、
(03)
(1) Pならば、すなはちQなり。
(2)(Pならざるか、もしくはQに)あらず。
(3) Pならず。
(4) Pならざるか、もしくはQなり。
(5)(Pならざるか、もしくはQに)あらずして、
   (Pならざるか、もしくはQなり。)
(6) Pならずんばあらず。
(7) Pなり。
(8) Qなり。
(9) Pならざるか、もしくはQなり。
(ア)(Pならざるか、もしくはQに)あらずして、
   (Pならざるか、もしくはQなり。)
(イ)(Pならざるか、もしくはQに)あらずんば、あらず。
(ウ) Pならざるか、もしくはQなり。
といふ「日本語」は、
(1)    P則Q
(2) 不(不P如Q)
(3)   不P
(4)   不P如Q
(5) 不(不P如Q)而
     (不P如Q)
(6)  不不P
(7)    P
(8)      Q
(9)   不P如Q
(ア) 不(不P如Q)而
     (不P如Q)
(イ)不不(不P如Q)
(ウ)   不P如Q
といふ「漢文」に、「置き換へ」ることが出来る。
然るに、
(04)
(ⅰ)P則Q├ 不P如Q
1  (1)    P則Q   A
 2 (2) 不(不P如Q)  A
  3(3)   不P     A
  3(4)   不P如Q   3如I
 23(5) 不(不P如Q)而
        (不P如Q)  24而I
 2 (6)  不不P     35RAA
 2 (7)    P     6DN
12 (8)      Q   17MPP
12 (9)   不P如Q   8如I
12 (ア) 不(不P如Q)而
        (不P如Q)  29而I
1  (イ)不不(不P如Q)  2アRAA
1  (ウ)   不P如Q   イDN
といふ「計算」は、「意味」としては、
(ⅰ)P→Q├ ~P∨Q
1  (1)    P→Q   A
 2 (2) ~(~P∨Q)  A
  3(3)   ~P     A
  3(4)   ~P∨Q   3∨I
 23(5) ~(~P∨Q)&
        (~P∨Q)  24&I
 2 (6)  ~~P     35RAA
 2 (7)    P     6DN
12 (8)      Q   17MPP
12 (9)   ~P∨Q   8∨I
12 (ア) ~(~P∨Q)&
        (~P∨Q)  29&I
1  (イ)~~(~P∨Q)  2アRAA
1  (ウ)   ~P∨Q   イDN
といふ「計算」と、「全く同じ」である。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
例へば、
(1)    P→Q
(2) ~(~P∨Q)
(3)   ~P
(4)   ~P∨Q
(5) ~(~P∨Q)&
     (~P∨Q)
(6)  ~~P
(7)    P
(8)      Q
(9)   ~P∨Q
(ア) ~(~P∨Q)&
     (~P∨Q)
(イ)~~(~P∨Q)
(ウ)   ~P∨Q
といふ「論理式(well-formed formula)」は、
(1)    P則Q
(2) 不(不P如Q)
(3)   不P
(4)   不P如Q
(5) 不(不P如Q)而
     (不P如Q)
(6)  不不P
(7)    P
(8)      Q
(9)   不P如Q
(ア) 不(不P如Q)而
     (不P如Q)
(イ)不不(不P如Q)
(ウ)   不P如Q
といふ「漢文(Kanbun)」に「等しい」。
従って、
(06)
例へば、
 ―「分配法則の証明」―
(a) P而   (Q如R)├(P而Q)如(P而R)
(b)(P而Q)如(P而R)├ P而   (Q如R)
(c) P如   (Q而R)├(P如Q)而(P如R)
(d)(P如Q)而(P如R)├ P如   (Q而R)
(a)
1  (1) P而(Q如R)    A
1  (2) P          1而E
1  (3)    Q如R     1而E
 4 (4)    Q       A
14 (5) P而Q        24而I
14 (6)(P而Q)如(P而R) 5如I
  7(7)      R     A
1 7(8)       P而R  27而I
1 7(9)(P而Q)如(P而R) 8如I
1  (ア)(P而Q)如(P而R) 34679如E
(b)
1  (1)(P而Q)如(P而R) A
 2 (2)(P而Q)       A
 2 (3) P          2而E
 2 (4)   Q        2而E
 2 (5)    Q如R     4如I
 2 (6) P而(Q如R)    35而I
  7(7)      (P而R) A
  7(8)       P    7而E
  7(9)         R  7而E
  7(ア)       Q如R  9如I
  7(イ) P而(Q如R)    8ア而I
1  (ウ) P而(Q如R)    1267イVE
(c)
1  (1) P如(Q而R)    A
 2 (2) P          A
 2 (2) P如Q        2如I
 2 (3) P如R        2如I
 2 (4)(P如Q)而(P如R) 23而I
  5(5)    Q而R     A
  5(6)    Q       5而E
  5(7)      R    5而E
  5(8) P如Q        6如I
  5(9)       P如R  7如I
  5(ア)(P如Q)而(P如R) 89而I
1  (イ)(P如Q)而(P如R) 1245ア如E
(d)
1      (1) (P如Q)而(P如R) A
1      (2)  P如Q        1而E
 3     (3)  P          A
 3     (4)不不P          3DN
 3     (5)不不P如Q        4如I
 3     (6) 不P則Q        5含意の定義
  7    (7)    Q        A
  7    (8)不不P如Q        7如I
  7    (9) 不P則Q        8含意の定義
1      (ア) 不P則Q        23679如E
1      (イ)        P如R  A
    ウ  (ウ)        P    A
    ウ  (エ)      不不P    ウDN
    ウ  (オ)      不不P如R  エ如I
    ウ  (カ)       不P則R  オ含意の定義
     キ (キ)          R  A
     キ (ク)      不不P如R  如I
     キ (ケ)       不P則R  ク含意の定義
1      (コ)       不P則R  イウカキケ如E
      サ(サ) 不P          A
1     サ(シ)    Q        アサMPP
1     サ(ス)          R  コサ
1     サ(セ)    Q而R      シス而I
1      (ソ)不P則(Q而R)     サセCP
1      (タ) P如(Q而R)     ソ含意の定義
といふ「計算」は、
(a) P&   (Q∨R)├(P&Q)∨(P&R)
(b)(P&Q)∨(P&R)├ P&   (Q∨R)
(c) P∨   (Q&R)├(P∨Q)&(P∨R)
(d)(P∨Q)&(P∨R)├ P∨   (Q&R)
といふ「連式(Sequents)」の「証明そのものである。
然るに、
(07)
漢文自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は、原理的に存在しない。
(加藤徹、白文攻略 漢文法ひとり学び、2013年、8頁)
従って、
(01)~(07)により、
(08)
漢文(Kanbun)」といふ「人工言語・書記言語」は、その「部分集合(subset)」として「命題論理(propositional logic)」そのものを含んでゐる
従って、
(08)により、
(09)
明治以前の日本人は、漢文を読むことで論理的な考えを身につけました。漢文論理的な構文たくさん含んでいるからです(山下正男、論理的に考えること、1985年、ⅲ)。
といふことになる。
従って、
(08)(09)により、
(10)
そのように、その「部分集合」として「命題論理」を含んでゐる「漢文(Kanbun)」に対して、「逐語的に対応する日本語(訓読)」が、「英語」よりも「非論理的」である。
といふことは、ほとんど、有り得ない
(11)
⑪ ~~(~P∨Q)=
⑪ 不不(不P如Q)=
⑪ 無非(不P如Q)=
⑪ 無[非〔不(P)如Q〕]⇒
⑪ [〔(P)不如Q〕非]無=
⑪ [〔(Pなら)ざるか、もしくはQに〕非ざるは]無し=
⑪ Pでないか、もしくは、Qである。といふことはない、のではない。
然るに、
(12)
⑪ Pでないか、もしくは、Qである。といふことはない、のではない。
に対する、「グーグル翻訳」、並びに、「ワード2019」による「機械翻訳」は
⑪ Not P or Q. It is not that it is not.
⑪ Not P or, it is Q. It is not.
となって、「分けが、分からない」。
(13)
⑪ [〔(Pなら)ざるか、もしくはQに〕非ざるは]無し
ではなく、
⑪ [〔(Pなら)ざるか、もしくはQに〕非ず。
であるならば、
⑪ It is not the case that not P or Q.
であるはずである。
然るに、
(14)
⑪ It is not the case that not P or Q.
に対する、「グーグル翻訳」、並びに、「ワード2019」による「機械翻訳」は
⑪ PまたはQではないというわけではありません。
⑪ PやQではない場合ではありません。
となって、すなはち、
⑪ Pであるか、もしくは、Qでない。といふことはない。
となって、
⑪ Pでないか、もしくは、Qである。といふことはない。
とはならない。
(15)
⑪[〔(Pなら)ざるか、もしくはQに〕非ず。
に対する「英訳」、すなはち、
⑪ It is not the case that not P or Q.
といふ「英語」の「否定形」は、「どう書いたら良い」のかが分からない。
従って、
(11)~(15)により、
(16)
⑪ ~~(~P∨Q)
といふ「論理式(well-formed formula)」を、「漢文訓読」では、
⑪ 無非(不P如Q)⇔
⑪(Pならざるか、もしくはQに)非ざるは無し。
といふ風に「書ける」のに対して、
⑪ ~~(~P∨Q)
といふ「論理式(well-formed formula)」を、「英訳」することは、出来ない
従って、
(16)により、
(17)
飽く迄も、その「意味」では、「漢文訓読」の方が、「英語」よりも、はるかに論理的(Logical)」である。
(18)
⑫ 無不好我者⇔
⑫ 無[不〔好(我)〕者]⇔
⑫ [〔(我)好〕不者]無⇔
⑫ [〔(我を)好ま〕ざる者]無し⇔
⑫ 私のことを、嫌いな人は、ゐない⇔
⑫ 誰もが、私のことを、好いてゐる⇔
⑫ ∀x{人x→∃y(私y&愛xy)}⇔
⑫ すべてのxについて、xが人ならば、あるyは私であって、xはyを愛す。
(19)
⑬ 我無物不知⇔
⑬ 我無〔物不(知)〕⇔
⑬ 我〔物(知)不〕無⇔
⑬ 我に〔物として(知ら)ざるは〕無し⇔
⑬ 私には、知らない物が無い(どんな物でも知ってゐる)。
然るに、
(20)
このような用法は、特に英語問題になる。たとえば、Nobody don't like me. (誰も僕を好いてくれない)や I don't know nothing. (僕は何も知らない) などがこれにあたる。
二重否定 (言語学)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
従って、
(19)(20)により、
(21)
「漢文訓読」とは異なり、「英語」では、
Nobody don't like me.
⑬ I don't know nothing.
といふ「二重否定」が、
⑫ 私のことを、嫌いな人はゐない。
⑬ 私には、知らない物が無い。
といふ「意味」ではなく
⑫ 誰も僕を好いてくれない。
⑬ 僕は何も知らない。
といふ「反対の意味」になる。
然るに、
(22)
このような言い方は2つの否定を意味する語句が対応しあって1つの否定表現を形作るもので、英語は本来はこのように否定文では否定形の語を一貫して使う否定呼応を用いる言語であった。すなわち、否定呼応を用いる言語では、二重に否定語を用いても単純にひとつの否定表現を作るだけであり、論理学的に見た場合は単なる否定である。しかし、否定呼応を用いない言語では、二重に否定語を用いることは論理学的に見るところの「否定」の否定であり、肯定である。
二重否定 (言語学)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
従って、
(18)~(22)により、
(23)
無不好者(我を好まざる無し)。
⑬ 我不知(我に物として知らざる無し)。
Nobody don't like me.
⑬ I don't know nothing.
に於いて、「論理的(Logical)」なのは、「漢文訓読」であって、「英語」ではない
従って、

(01)~(23)により、
(24)
以上を要するに、
(ⅰ)「漢文(Kanbun)」といふ「人工言語・書記言語」は、その「部分集合(subset)」として、少なくとも、「命題論理(propositional logic)」を含んでゐた。
(ⅱ)然るに、「訓読」は、そのやうな「漢文」を「逐語的に、日本語」に「翻訳」した「結果」である。
(ⅲ)従って、「漢文・訓読」は、必然的に「論理的(Logical)」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(25)
先日、数人の大学の先生と話をしているときに、ある先生が「うちの学生が、英語ができるようになったら、数学ができるようになった」と言った。これは、暗に、英語ができるようになった、だから数学ができるようになったと言いたいのである。言い換えれば、日本語では論理的に考えられないから、数学ができない、と言いたいのである。私は「またか」と思った。日本人は、この大学の先生のように、日本語非論理的であり、論理的思考に向いていないと思い込んでいる人が多い。
(月本洋、日本語は論理的である、2009年、2頁)
従って、
(24)(25)により、
(26)
漢文」が「得意(好き)」であった人物が、「論理学」が「好き(得意)」になる。といふことは、有り得ても、
日本語では論理的に考えられないから、数学できない。」といふことは、有り得ない
令和02年02月06日、毛利太。

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