(01)
甲:Bはどうですか。
乙:いいえ、Aを 下さい!!
といふ風に、
乙:「Aを」を「強調」するならば、
② 欲しいのは、Aであって、B(A以外)ではない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(02)
② Aは欲しく、A以外は欲しくない。
といふ「命題」を、「排他的命題(Exclusive Prosition)」といふ。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
然るに、
(04)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(05)
① これは(清音)はいいです。
② これが(濁音)はいいです。
に於いて、
① これは(清音) に対する、
② これが(濁音) は、「強調形」である。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
② これが(濁音)はいいです(強調形)。
③ これはよく、これ以外はよくない(排他的命題)。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(07)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
② これが(濁音)はいいです(強調形)。
③ これはよく、これ以外はよくない(排他的命題)。
に於いて、
②=③ であるならば、当然、
③ これはよく、これ以外はよくない(排他的命題)。
④ これが欲しい、これを下さい(入用)。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
① これは(清音)いいです。
② これが(濁音)いいです(排他的命題)。
と言ふのであれば、必然的に、
① は、「不用」であって、
② は、「入用」である。
然るに、
(09)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、ハとガで意味が反対になることがある。
これはいいです。(不用)
これがいいです。(入用)
ここで異を立てる方にはハを使っているが、述語が同型異議になっている。不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう(三上章、日本語の論理、1963年、156・7頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
三上章 先生は、「結果的」には、
② これが(濁音)はいいです(強調形)。
③ これはよく、これ以外はよくない(排他的命題)。
に於いて、
②=③ である。
といふことを、「認めて」はゐるが、そのことに、「気付いて」は、ゐない。
令和03年05月12日、毛利太。
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