(ⅱ)
1 (1) P→ Q A
2 (2) ~Q A
3(3) P A
1 3(4) Q 13MPP
123(5) ~Q&Q 24&I
12 (6) ~P 35RAA
1 (7) ~Q→~P 26CP
(ⅲ)
1 (1) ~Q→~P A
2 (2) P A
3(3) ~Q A
1 3(4) ~P 13MPP
123(5) P&~P 24&I
12 (6)~~Q 35RAA
12 (7) Q 6DN
1 (8) P→ Q 27CP
従って、
(01)により、
(02)
(ⅱ)
P=大野である。
Q= 私 である。
として、
1 (1)大野であるならば、私である。 仮定
2 (2) 私でない。 仮定
3(3)大野である。 仮定
1 3(4) 私である。 13肯定肯定式
123(5) 私でないが、私である。 24連言導入
12 (6)大野でない。 35背理法
1 (7)私でないならば、大野ではない。 26条件法
(ⅲ)
1 (1)私でないならば、大野ではない。 仮定
2 (2) 大野である。 仮定
3(3)私でない。 仮定
1 3(4) 大野でない。 13肯定肯定式
123(5)大野であるが、 大野でない。 24連言導入
12 (6)私でない、ではない。 35背理法
12 (7)私である。 6二重否定
1 (8)大野であるならば、私である。 27条件法
従って、
(02)により、
(03)
② 大野であるならば、私である。
③ 私でないならば、大野ではない。
に於いて、
②=③ であるは、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(03)により、
(04)
② 大野は、私です。
③ 私の他に、大野はゐない。
に於いて、
②=③ であるは、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(05)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 私が大野です。
② 大野は、私です。
③ 私の他に、大野はゐない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(06)
(07)
① 私が大野です。
② 大野は、私です。
③ 私の他に、大野はゐない。
④(他にはゐない)私が大野です。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(08)
① 私が大野です。
④(他にはゐない)私が大野です。
に於いて、すなはち、
① 私が大野です。
④(他ならぬ)私が大野です。
に於いて、
①=④ である。
従って、
(09)
④ 他ならぬ私が、大野です。
といふ「日本語」に対して、
⑤ 他ならぬ私は、大野です。
といふ「日本語」は、無い。
従って、
(10)
④ 他でもない私が、大野です。
といふ「日本語」に対して、
⑤ 他でもない私は、大野です。
といふ「日本語」も、無い。
然るに、
(11)
「古文」ではあるが、例へば、
①(他ならぬ)佐太が(準体助詞)衣(体言)
といふ「日本語」に対して、
②(他ならぬ)佐太の(準体助詞)衣(体言)
といふ「日本語」も、無かったに、違ひない。
然るに、
(12)
佐太という侍の話
これはよく引かれる有名な話である。『宇治拾遺物語』に佐太という侍の話が記されている。たいした身分でもない佐太は自分の着ていた水干のほころびを直せと、無造作に物縫いの女房のところへ、投げ込んだ。ところが、もと京女であったのに、だまされて田舎に居ついたその女房は、水干を直しもせずに投げ返した。直せといったほころび目には歌が書いた結びつけてある。その歌には、
われが身は竹の林にあらねどもさたが衣を脱ぎかくるかな。
と書いてあった。この歌は、故事をふまえてつくられている。薩埵太子が、餓えた虎に自分の身をあたえて虎を救ったという仏教の有名な話がある。太子は自分の衣を竹の林に脱ぎかけ、虎の前におのが身を食わせたという。
説教を聞いてその説話を知っていた女房は、「薩埵」と、「佐太」との音がかようところから、その故事をふまえ、「自分の身は、あの薩埵太子が衣を脱いでかけたという竹の林でもないのに、佐太が衣を脱いでかけてくること」という、この歌を作った(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、162頁)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① われが身は竹の林にあらねども(薩埵太子ならぬ)さた・が衣を脱ぎかくるかな。
② われが身は竹の林ではないのだが(他ならぬ)さた・が衣を脱ぎかくること。
に於いて、
①=② であるならば、「何の問題」もない。
従って、
(13)により、
(14)
①(薩埵太子ならぬ)さた・が衣
②(他ならぬ)さた・の衣
に於いて、
①=② であることに、気付くことが、出来てゐたならば、「何の問題」もない。
然るに、
(15)
①(他ならぬ)さた・が衣
②(他ならぬ)さた・の衣
に於いて、
①=② であるならば、
③佐太・の衣(俺・の衣)でないとしたら、「お前は、一体、どうだと、言ふのだ。」
といふことで、「たいした身分でもない佐太といふ侍」が、「激怒」したとしても、「無理」はない。
cf.
見るままに大に腹を立てて、「目つぶれたる女人かな。ほころび縫ひにやりたれば、ほころびの絶えたる所をば見だにえ見つけずして、『さたの』とこそいふべきに、掛けまくもかしこき守殿だにも、まだこそここらの年月比、まだしか召さね。なぞわ女め、『さたが』といふべき事か(宇治拾遺物語九三)。
従って、
(08)(15)により、
(16)
① 私が大野です=(他ならぬ)私が大野です。
② 佐太が衣=(他ならぬ)佐太が衣。
といふ「等式」が、成立する。
令和03年05月20日、毛利太。
②=③ であるは、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(03)により、
(04)
② 大野は、私です。
③ 私の他に、大野はゐない。
に於いて、
②=③ であるは、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(05)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 私が大野です。
② 大野は、私です。
③ 私の他に、大野はゐない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(06)
(07)
① 私が大野です。
② 大野は、私です。
③ 私の他に、大野はゐない。
④(他にはゐない)私が大野です。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(08)
① 私が大野です。
④(他にはゐない)私が大野です。
に於いて、すなはち、
① 私が大野です。
④(他ならぬ)私が大野です。
に於いて、
①=④ である。
従って、
(09)
④ 他ならぬ私が、大野です。
といふ「日本語」に対して、
⑤ 他ならぬ私は、大野です。
といふ「日本語」は、無い。
従って、
(10)
④ 他でもない私が、大野です。
といふ「日本語」に対して、
⑤ 他でもない私は、大野です。
といふ「日本語」も、無い。
然るに、
(11)
「古文」ではあるが、例へば、
①(他ならぬ)佐太が(準体助詞)衣(体言)
といふ「日本語」に対して、
②(他ならぬ)佐太の(準体助詞)衣(体言)
といふ「日本語」も、無かったに、違ひない。
然るに、
(12)
佐太という侍の話
これはよく引かれる有名な話である。『宇治拾遺物語』に佐太という侍の話が記されている。たいした身分でもない佐太は自分の着ていた水干のほころびを直せと、無造作に物縫いの女房のところへ、投げ込んだ。ところが、もと京女であったのに、だまされて田舎に居ついたその女房は、水干を直しもせずに投げ返した。直せといったほころび目には歌が書いた結びつけてある。その歌には、
われが身は竹の林にあらねどもさたが衣を脱ぎかくるかな。
と書いてあった。この歌は、故事をふまえてつくられている。薩埵太子が、餓えた虎に自分の身をあたえて虎を救ったという仏教の有名な話がある。太子は自分の衣を竹の林に脱ぎかけ、虎の前におのが身を食わせたという。
説教を聞いてその説話を知っていた女房は、「薩埵」と、「佐太」との音がかようところから、その故事をふまえ、「自分の身は、あの薩埵太子が衣を脱いでかけたという竹の林でもないのに、佐太が衣を脱いでかけてくること」という、この歌を作った(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、162頁)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① われが身は竹の林にあらねども(薩埵太子ならぬ)さた・が衣を脱ぎかくるかな。
② われが身は竹の林ではないのだが(他ならぬ)さた・が衣を脱ぎかくること。
に於いて、
①=② であるならば、「何の問題」もない。
従って、
(13)により、
(14)
①(薩埵太子ならぬ)さた・が衣
②(他ならぬ)さた・の衣
に於いて、
①=② であることに、気付くことが、出来てゐたならば、「何の問題」もない。
然るに、
(15)
①(他ならぬ)さた・が衣
②(他ならぬ)さた・の衣
に於いて、
①=② であるならば、
③佐太・の衣(俺・の衣)でないとしたら、「お前は、一体、どうだと、言ふのだ。」
といふことで、「たいした身分でもない佐太といふ侍」が、「激怒」したとしても、「無理」はない。
cf.
見るままに大に腹を立てて、「目つぶれたる女人かな。ほころび縫ひにやりたれば、ほころびの絶えたる所をば見だにえ見つけずして、『さたの』とこそいふべきに、掛けまくもかしこき守殿だにも、まだこそここらの年月比、まだしか召さね。なぞわ女め、『さたが』といふべき事か(宇治拾遺物語九三)。
従って、
(08)(15)により、
(16)
① 私が大野です=(他ならぬ)私が大野です。
② 佐太が衣=(他ならぬ)佐太が衣。
といふ「等式」が、成立する。
令和03年05月20日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿