2021年5月25日火曜日

「集合の集合(3行3列)」と「象は鼻が長い」の「述語論理」。

(01)
①{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
といふ「集合(1行3列)」であれば、
①{象の鼻}は長い。
①{兎の鼻}は長くない
①{馬の鼻}は長くない
従って、
(01)により、
(02)
①{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
といふ「集合(1行3列)」であれば、
① 象の鼻は長く、象以外(兎と馬)の鼻は長くない
然るに、
(03)
①{兎の鼻、兎の耳、兎の顔}
②{象の鼻、象の耳、象の顔}
③{馬の鼻、馬の耳、馬の顔}
といふ「集合集合(3行3列)」の場合は、
最初に、
②{象は}で、
②{象の鼻、象の耳、象の顔}
といふ「集合」が「選択」されて、 次に、
②{象の鼻}は長い。
②{象の耳}は長くない
②{象の顔}は長くない
然るに、
(04)
Q:象の鼻、象の耳、象の顔。どれ長いか。
A:象の鼻長い。
従って、
(03)(04)により、
(05)
② 象長い。
といふ「日本語」は、
② 象ならば、鼻は長く、鼻以外は長くない
といふ「意味」である。
然るに、
(06)
② 象ならば、鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② 象長い。⇔
② 象ならば、鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
  といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(08)
1     (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
 2    (2)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx~鼻zx)} A
  3   (3)∃x(兎x&象x)                      A
1     (4)   象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  1UE
 2    (5)   兎a→∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za)  2UE
   6  (6)   兎a&象a                       A
   6  (7)      象a                       6&E
   6  (8)   兎a                          6&E
1  6  (9)      ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  48MPP
 2 6  (ア)      ∃y(長y&耳ya)&∀z(耳za→~鼻za)  57MPP
1  6  (イ)      ∃y(鼻ya&長y)               9&E
    ウ (ウ)         鼻ba&長b                A
 2 6  (エ)      ∃y(長y&耳ya)               ア&E
     オ(オ)         長b&耳ba                A
     オ(カ)            耳ba                オ&E
 2 6  (キ)                 ∀z(耳za→~鼻za)  ア&E
 2 6  (ク)                    耳ba~鼻ba   キUE
 2 6 オ(ケ)                        ~鼻ba   カクMPP
1  6  (コ)                 ∀z(~鼻za→~長z)  ア&E
1  6  (サ)                    ~鼻ba→~長b   コUE
12 6 オ(シ)                         ~長b   ケサMPP
     オ(ス)         長b                    オ&E
12 6 オ(セ)         長b&~長b                シス&I
12 6  (ソ)         長b&~長b                エオセEE
123   (タ)         長b&~長b                36ソEE
12    (チ)~∃x(兎x&象x)                     3タRAA
12    (ツ)∀x~(兎x&象x)                     チ量化子の関係
12    (テ)  ~(兎a&象a)                     ツUE
12    (ト)  ~兎a∨~象a                      テ、ド・モルガンの法則
12    (ナ)   兎a→~象a                      ト含意の定義
12    (ニ)∀x(兎x→~象x)                     ナUI
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。然るに、
(ⅱ)∀x{兎x→∃y(長y&耳yx)&∀z(耳zx→~鼻zx)}。従って、
(ⅲ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「推論(三段論法)」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。   然るに、
(ⅱ)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyは長くて、xの耳であり、すべてのzについて、zがxの耳であるならば、zはxの鼻ではない}。従って、
(ⅲ)すべてのxについて(xが兎であるならば、xは象ではない。)
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)象は鼻長い。然るに
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(05)~(10)により、
(11)
② 象長い。⇔
② 象ならば、鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
  といふ「等式」が、「妥当」であるが故に、
(ⅰ)象は鼻長い。然るに
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(11)により、
(12)
(ⅰ)象は鼻長い。然るに
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論(三段論法)」を「否定」出来ない以上、
② 象は鼻長い。⇔
② 象ならば、鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
  といふ「等式」を、「否定」することは、出来ない。
然るに、
(13)
(15)象は、鼻長い。
この文に主語はひとつもない。日本語にそもそも主語など不要なのだから当然と言えば当然だが、二重主語どころではないのだ。「象は」は主題であり、文がここで切れている。「象について話しますよ」と利き手の注意を引いておき、それに続く話して手のコメントが「鼻が長い」だ。
(金谷武洋、日本語の文法の謎を解く、2003年、79・80頁)。
然るに、
(12)(13)により、
(14)
「象は」=「象ならば」=「∀x{象x→」=「すべてのxについて、xが象であるならば、」
といふことは、確かに
「象について話しますよ」
といふことであり、それ故、「金谷先生の直観」は、「述語論理(Predicate logic)」としても、「正しい」。
然るに、
(15)
実際、文法学者が「主語」という「語」を使わなければならないことは、不幸なことだ。この語は、普通のことばでは、とりわけ「話題」(主題)という意味でも使われているからである(イェスペルセン著、安藤貞雄 訳、文法の原理(中)、2006年、45頁)。
従って、
(15)により、
(16)
主語」であることと、「主題」であることは、「矛盾」しない
然るに、
(17)
主語や目的語や補語、これだけは自分で考えるクセを付けて下さい。学校の先生がこれまた、考えなくとも、どんどん入れて訳してくれるんです。古文はよく、省かれているんですね。誰が、誰を、誰に、みたいなものが、日本語はよく省略されているんですけど、先生がどんどん補って下さる。で、皆さんは何でその主語になるのかよくわかんないまま、またノートに、訳のところに、一生懸命、書いて覚えて、テストを受けてる。さっきも言いました。自力です。「自力で補足するです。」入試のときそばで誰も助けてくれないからですね。で実は、これが皆さんを古文嫌いにさせている、つまり、せっかく、訳ができた。単語を覚えて、Aさんがしてることを、Bさんがしたと勘違いして、変え~んな、文章にしちゃったことないですかあ。ワタシは模擬試験の時にですねえ、よく、ストーリーは、ある程度わかったのに、「やったひととやられた人を勘違い」して、もう途中で「大混乱」してですね。七行目ぐらいまで頑張って読んだのに、もう「まんなか辺」で、プチッと切れて、もうええいいや、ワケわかんなくなっちゃたといって、「放り出す」ことがよくありますけども、これ(主語・目的語・補語)を自分で意識すると、「こうやって考えながらやるんだな」って意識すると、かなり読みやすくなるんです(東進ハイスクール 荻野文子先生 - YouTube)。
といふ「説明」は、「理解可能」である。
然るに、
(18)
日本語」には、「主語」が無いにも拘らず、「説明(17)」が、「理解可能」である。
といふことは、有りえない
従って、
(17)(18)による、
(19)
「否定否定式(MTT)」により、「日本語」には、萩野文子先生が所謂、「主語」が有る
令和03年05月25日、毛利太。

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