(01)
清家:Becauseの位置、最初に置くか、最後に置くか、これって、何か、違いがあるの、ネイティブ的には、
光岡:いい、クエスションです。それはねぇ。違いはあります。めっちゃ。
清家:あるんだ。
光岡:後半にもって来るほうが、ナチュラル。
清家:へえ~、そうなんや。
清家:じゃ、I will play soccer because I like it.のほうがいいんだ。
光岡:because I like it.そう。
清家:へえ~、なるほどね。
光岡:文頭にもって来ると、何が起こるかって、言うと、『強調』されます。めっちゃ理由が、
(StudyInネイティブ英会話)
従って、
(01)により、
(02)
「後置」が「原則」である際に、「敢へて、前置」をすると、「強調」が「発生」する。
然るに、
(03)
前置による強調
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)
従って、
(02)(03)により、
(04)
「後置」が「原則」である「目的語」に対して、
「前置」をすることによって、「(目的語としての)漢文の疑問詞」は、「強調」される。
然るに、
(05)
「英語」の「語順」も、「漢文」と同じく、「主語+動詞+目的語」であるため、例へば、
「Do you want what?」に対する、「What do you want?」の「What」も、「強調」されてゐる(た)。
といふ風に、解することが、可能である。
cf.
Wh移動(生成文法)。
従って、
(04)(05)により、
(06)
「何が欲しいですか。」に於ける、「何が(What)」も、あるいは、「強調」されてゐる。
然るに、
(07)
① 何が欲しいですか。
② 何は欲しいですか。
に於いて、
① は、「日本語」であるが、
② は、「日本語」ではない。
同様に、
(08)
① 誰が犯人か。
② 誰は犯人か。
に於いて、
① は、「日本語」であるが、
② は、「日本語」ではない。
然るに、
(09)
①「誰が」の「が」は、「濁音」であって、
②「誰は」の「は」は、「清音」である。
然るに、
(10)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
(11)
「濁音」の方が、「清音」よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
①「誰が(濁音)」は、
②「誰は(清音)」に対する、「強調形」である。
然るに、
(13)
(ⅰ)
1 (1)∀x(犯人x→森x∨原x) A
1 (2) 犯人a→森a∨原a 1UE
3 (3) 犯人a A
13 (4) 森a∨ 原a 23MPP
5 (5) ~森a&~原a A
6 (6) 森a A
5 (7) ~森a 5&E
56 (8) 森a&~森a 67&I
6 (9) ~(~森a&~原a) 58RAA
ア (ア) 原a A
5 (イ) ~原a 5&E
5 ア (ウ) 原a&~原a アイ&I
ア (エ) ~(~森a&~原a) 5ウRAA
13 (オ) ~(~森a&~原a) 469アエ∨E
カ (カ) ~森a A
キ (キ) ~原a A
カキ (ク) ~森a&~原ア カキ&I
13 カキ (ケ) ~(~森a&~原a)&
(~森a&~原a) オク&I
13 カ (コ) ~~原a キケRAA
13 カ (サ) 原a コDN
13 (シ) ~森a→原a カサCP
1 (ス) 犯人a→(~森a→原a) 3シCP
セ(セ) 犯人a& ~森a A
セ(ソ) 犯人a セ&E
セ(タ) ~森a セ&E
1 セ(チ) ~森a→原a スソMPP
1 セ(ツ) 原a タチMPP
1 セ(テ) 原a&犯人a ソツ&I
1 (ト) 犯人a&~森a→原a&犯人a セテCP
1 (ナ)∀x(犯人x&~森x→原x&犯人x) トUI
(ⅱ)
1 (1)∀x(犯人x&~森x→原x&犯人x) A
1 (2) 犯人a&~森a→原a&犯人a 1UE
3 (3) 犯人a A
4 (4) ~森a A
34 (5) 犯人a&~森a 34&I
134 (6) 原a&犯人a 25MPP
134 (7) 原a 6&E
13 (8) ~森a→原a 47CP
13 (9) 森a∨原a 8含意の定義
1 (ア) 犯人a→森a∨原a) 39CP
1 (イ) ∀x(犯人x→森x∨原x) アUI
従って、
(13)により、
(14)
① ∀x(犯人x→ 森x∨原x)
② ∀x(犯人x&~森x→原x&犯人x)
に於いて、
①=② である。
従って、
(14)により、
(15)
① 犯人は、森か原である。従って、
② 犯人が、森(原以外)でないならば、原が犯人である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(15)により、
(16)
① 誰が犯人か。原が犯人である。
② 原は犯人であって、原以外は犯人ではない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(17)
② AはBであり、A以外はBでない。
といふ「命題」を、「排他的命題(Exclusive proposition)」といふ。
従って、
(12)(16)(17)により、
(18)
① 誰が、犯人か。
② 原が犯人である。
に於いて、
① は、「排他的命題」であって、
② も、「排他的命題」であって、
① 誰が(濁音) は、「強調形」であって、
② 原が(濁音) は、「強調形」である。
然るに、
(19)
私が理事長です。(理事長は私です)
のように、ガの文がいわばハを内蔵していることがあるから、その説明が必要である。このような「私が」を強声的になっていると言うことにする。そこに発音上のストレスを与えたのと似た効果を持っているからである(三上章、日本語の論理、1963年、106頁)。
従って、
(19)により、
(20)
① 私が理事長です。
に於ける、
① 私が(濁音) が「強調形(強声的)」である。
といふことに関しては、三上章 先生自身が、認めてゐる。
然るに、
(21)
1 (1)理事長であるならば、私である。 仮定
2 (2) 私でない。 仮定
3(3)理事長である。 仮定
1 3(4) 私である。 13肯定肯定式
123(5)私でないが、私である。 24連言導入
12 (6)理事長でない。 35背理法
1 (7)私でないならば、理事長ではない。 26条件法
(ⅲ)
1 (1)私でないならば、理事長ではない。 仮定
2 (2) 理事長である。 仮定
3(3)私でない。 仮定
1 3(4) 理事長でない。 13肯定肯定式
123(5)理事長であるが、理事長でない。 24連言導入
12 (6)私でない、ではない。 35背理法
12 (7)私である。 6二重否定
1 (8)理事長であるならば、私である。 27条件法
従って、
(21)により、
(22)
② 理事長であるならば、私である。
③ 私でないならば、理事長でない。
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(22)により、
(23)
② 理事長は、私です。
③ 私以外は、理事長でない。
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(19)(23)により、
(24)
① 私が理事長です。
② 理事長は、私です。
③ 私以外は、理事長でない。
に於いて、
①=②=③ である。
といふことを、三上章 先生自身が、認めてゐる。
従って、
(17)(20)(24)により、
(25)
① 私が理事長です。
に於ける、
① 私が(濁音) が「強調形(強声的)」である。
といふこと、並びに、
① 私が理事長です。
といふ「日本語」が、「排他的命題」である。
といふことを、三上章 先生自身が、認めてゐる。
令和03年05月11日、毛利太。
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