(01)
(ⅱ)
1 (1) (P→Q)&(Q→ P) A
1 (2) P→Q 1&E
1 (3) Q→ P 1&E
4 (4) ~P A
5(5) Q A
1 5(6) P 35MPP
145(7) ~P& P 46&I
14 (8) ~Q 57RAA
1 (9) ~P→~Q 48CP
1 (ア)(P→Q)&(~P→~Q) 29&I
(ⅲ)
1 (1)(P→Q)&(~P→~Q) A
1 (2) P→Q 1&E
1 (3) ~P→~Q 1&E
4 (4) Q A
5(5) ~P A
1 5(6) ~Q 35MPP
145(7) Q&~Q 46&I
14 (8) ~~P 57RAA
14 (9) P 8DN
1 (ア) Q→ P 49CP
従って、
(01)により、
(02)
(ⅱ)
1 (1) (PならばQ)&(Qならば P) A
1 (2) PならばQ 1&E
1 (3) Qならば P 1&E
4 (4) ~P A
5(5) Q A
1 5(6) P 35MPP
145(7) ~P& P 46&I
14 (8) ~Q 57RAA
1 (9) ~Pならば~Q 48CP
1 (ア)(PならばQ)&(~Pならば~Q) 29&I
(ⅲ)
1 (1)(PならばQ)&(~Pならば~Q) A
1 (2) PならばQ 1&E
1 (3) ~Pならば~Q 1&E
4 (4) Q A
5(5) ~P A
1 5(6) ~Q 35MPP
145(7) Q&~Q 46&I
14 (8) ~~P 57RAA
14 (9) P 8DN
1 (ア) Qならば P 49CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
② PならばQであり、QならばPである。
③ PならばQであり、PでないならばQでない。
に於いて、すなはち、
② PはQであり、QはPである。
③ PはQであり、P以外はQでない。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(03)により、
(04)
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(05)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 私が理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私は理事長であり、理事長は私である。
③ タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(08)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3スCP
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(08)により、
(09)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(10)
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は私ではない。 従って、
(シ)タゴール記念会の理事長は、小倉氏ではない。
といふ「推論」は、「日本語」としても、「妥当」である。
従って、
(07)~(10)により、
(11)
① タゴール記念会は、私が理事長です。⇔
① タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない。⇔
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(12)
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(05)(12)により、
(13)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。
(三上章、日本語の論理、1963年、40頁)
といふのであれば、三上章先生は、
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である、といふことに、気付くべきであった。
と、私は、言ひたい。
然るに、
(14)
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
といふのであるならば、「必然的」に、
② 私は理事長である。
③ 私は理事長である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
「必然的」に、
① 私が理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(16)
伝統的論理学を速水滉『論理学』(16)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九刷一万部中の一冊で、なお引続き刊行だろうから、前後かなり多く読者を持つ論理学書と考えられる。新興の記号論理学の方は、沢田充茂の『現代論理学入門』(62)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(17)
『沢田充茂、現代論理学入門、1962年』は、「現代論理学の解説書」であって、「現代論理学の教科書」ではなく、そのため、
『沢田充茂、現代論理学入門、1962年』には「練習問題」が全く無いし、「練習問題」を、自分で解けるようにならない限り、「現代論理学(特に、述語論理)」を、知ったことには、ならない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
三上章先生は、「現代論理学(特に、述語論理)」を知った上で、「三上章、日本語の論理、1963年」を書いた。
といふことには、ならない。
令和02年06月13日、毛利太。
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