2020年6月13日土曜日

「タゴール記念会は私が理事長です」の「述語論理」(Ⅲ)。

(01)
(ⅱ)
1  (1) (P→Q)&(Q→ P) A
1  (2)  P→Q         1&E
1  (3)        Q→ P  1&E
 4 (4)          ~P  A
  5(5)        Q     A
1 5(6)           P  35MPP
145(7)       ~P& P  46&I
14 (8)       ~Q     57RAA
1  (9)       ~P→~Q  48CP
1  (ア)(P→Q)&(~P→~Q) 29&I
(ⅲ)
1  (1)(P→Q)&(~P→~Q) A
1  (2) P→Q          1&E
1  (3)       ~P→~Q  1&E
 4 (4)           Q  A
  5(5)       ~P     A
1 5(6)          ~Q  35MPP
145(7)        Q&~Q  46&I
14 (8)      ~~P     57RAA
14 (9)        P     8DN
1  (ア)        Q→ P  49CP
従って、
(01)により、
(02)
(ⅱ)
1  (1) (PならばQ)&(Qならば P) A
1  (2)  PならばQ           1&E
1  (3)          Qならば P  1&E
 4 (4)              ~P  A
  5(5)            Q     A
1 5(6)               P  35MPP
145(7)           ~P& P  46&I
14 (8)           ~Q     57RAA
1  (9)         ~Pならば~Q  48CP
1  (ア)(PならばQ)&(~Pならば~Q) 29&I
(ⅲ)
1  (1)(PならばQ)&(~Pならば~Q) A
1  (2) PならばQ            1&E
1  (3)         ~Pならば~Q  1&E
 4 (4)               Q  A
  5(5)           ~P     A
1 5(6)              ~Q  35MPP
145(7)            Q&~Q  46&I
14 (8)          ~~P     57RAA
14 (9)            P     8DN
1  (ア)          Qならば P  49CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
② PならばQであり、QならばPである。
③ PならばQであり、PでないならばQでない。
に於いて、すなはち、
② PはQであり、QはPである。
③ PはQであり、P以外はQでない。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(03)により、
(04)
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(05)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① タゴール記念会は、私理事長です。
② タゴール記念会は、私は理事長であり、理事長は私である。
③ タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(08)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                             A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  34MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                 5&E
  5   (7)                      ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (8)                         理事長ca→b=c    7UE
   9  (9)       ∃z(小倉z&~私z)                      A
    ア (ア)          小倉c&~私c                       A
    ア (イ)          小倉c                           ア&E
    ア (ウ)              ~私c                       ア&E
     エ(エ)                b=c                     A
    アエ(オ)            ~私b                       ウエ=E
  5   (カ)             私b                       6&E
  5 アエ(キ)            ~私b&私b                    オカ&I
  5 ア (ク)              b≠c                     エキRAA
  5 ア (ケ)                        ~理事長ca        8クMTT
  5 ア (コ)        小倉c&~理事長ca                    イケ&I
  5 ア (サ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   コEI
  59  (シ)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   9アサEE
13 9  (ス)     ∃z(小倉z&~理事長za)                   45シEE
1  9  (セ)   T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za)              3スCP
1  9  (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}             セUI
1  9  (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。                セUI
従って、
(08)により、
(09)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(10)
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は私ではない。 従って、
(シ)タゴール記念会の理事長は、小倉氏ではない。
といふ「推論」は、「日本語」としても、「妥当」である。
従って、
(07)~(10)により、
(11)
① タゴール記念会は、私理事長です。⇔
① タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない。⇔
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(12)
理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(05)(12)により、
(13)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されるのである。
(三上章、日本語の論理、1963年、40頁)
といふのであれば、三上章先生は、
理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない
に於いて、
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である、といふことに、気付くべきであった
と、私は、言ひたい。
然るに、
(14)
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない
といふのであるならば、「必然的」に、
② 私は理事長である。
③ 私は理事長である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
必然的」に、
① 私理事長です。
② 私は理事長であり、理事長は私である。
③ 私は理事長であり、私以外は理事長ではない
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(16)
伝統的論理学を速水滉『論理学』(16)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九刷一万部中の一冊で、なお引続き刊行だろうから、前後かなり多く読者を持つ論理学書と考えられる。新興の記号論理学の方は、沢田充茂の『現代論理学入門』(62)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(17)
『沢田充茂、現代論理学入門、1962年』は、「現代論理学の解説書」であって、「現代論理学の教科書」ではなく、そのため、
『沢田充茂、現代論理学入門、1962年』には「練習問題」が全く無いし、「練習問題」を、自分で解けるようにならない限り、「現代論理学(特に、述語論理)」を、知ったことには、ならない
従って、
(16)(17)により、
(18)
三上章先生は、「現代論理学(特に、述語論理)」を知った上で、「三上章、日本語の論理、1963年」を書いた。
といふことには、ならない
令和02年06月13日、毛利太。

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