―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―「昨日の記事」の「続き」を書きます。―
従って、
(17)
③ 以吾從大夫之後。不敢不告也。
③ 吾れは大夫の後に従える以て、敢へてて告げずんばあらざるなり(論語、憲問第十四 22)。
に於ける、
③ 不敢不告也。
の場合も、
③ 必ず、告げるのだ。⇔
③ 告げないことは、決してしないのだ。
といふ、「意味」になる。
従って、
(17)
① 不敢不走。
の場合も、
① 必ず、走る。⇔
① 走らないことは、決してない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(18)
反語とは、表現されている内容と反対のことを意味する言い方で、多くは疑問形と同じ形であり、日本語でも、「そんなこと誰が知ろうか」と言う場合、「誰が知っているか」とたずねているのではなく、逆に「誰も知ってはいない」ということを言っているのである。けっきょく、肯定している場合は否定に、否定している場合は肯定の内容になる。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、45頁)。
然るに、
(19)
② 敢不走乎。
は、「反語」である。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
② 敢不走乎。
は、「疑問形」ではなく「反語」であるが故に、
① 不敢不走。
② 敢不走乎。
に於いて、
①=② である。
従って、
(17)(20)により、
(21)
② 百獸之見我而敢不走乎=
② 百獸之見(我)而敢不(走)乎=
② 百獸の(我を)見て敢へて(走ら)ざらんや。
に於ける、
② 敢不走乎。
といふ「反語」の場合も、
① 不敢不走。⇔
① 必ず、走る。⇔
① 走らないことは、決してない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(22)
1 (1) ∃x{我x&∀y(獸y→見yx& 走y)} A
2 (2)∃x∃y(我x&狐y&獸y&見yx&~走y) A
3 (3) 我a&∀y(獸y→見ya& 走y) 1UE
3 (4) 我a 3&E
3 (5) ∀y(獸y→見ya& 走y) 3&E
3 (6) 獸b→見ba& 走b 5UE
7 (7) ∃y(我a&狐y&獸y&見ya&~走y) A
8(8) 我a&狐b&獸b&見ba&~走b A
8(9) 狐b 8&E
8(ア) 獸b 8&E
8(イ) ~走b 8&E
3 8(ウ) 見ba& 走b 6アMPP
3 8(エ) 見ba ウUE
3 8(オ) 走b エUE
3 8(カ) ~走b&走b イオ&I
3 (キ) ~獸b アカRAA
3 8(ク) 狐b&~獸b 9キ&I
3 8(ケ) ∃y(狐y&~獸y) クEI
37 (コ) ∃y(狐y&~獸y) 78ケEE
23 (サ) ∃y(狐y&~獸y) 27コEE
12 (シ) ∃y(狐y&~獸y) 13サEE
12 (〃) ある狐は獸ではない。 13
従って、
(22)により、
(23)
(1)あるxは我であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、yはxを見て、yは走る。 と「仮定」し、
(2)あるxは我であって、あるyは狐であって獸であり、yはxを見ても、yは走らない。 と「仮定」すると、
(3)あるyは狐であって獸でない。 といふ「結論」を得る。
然るに、
(24)
(1)すべての獸は、私を見れば、必ず走る。然るに、
(2)ある狐は、私を見ても走らない。 従って、
(3)ある狐は、獸ではなく(百獸の長である)。
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(21)~(24)により、
(25)
② 百獸之見我而敢不走乎=
② 百獸之見(我)而敢不(走)乎=
② 百獸の(我を)見て敢へて(走ら)ざらんや=
② すべてのけだものたちは、わたし(の姿)を見れば、必ず(おそれて)逃げだすにちがいありません(旺文社訳、1973年)。
といふ「漢文訓読」は、
② ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}=
② あるxは我であって、すべてのyについて、yが獸であるならば、yはxを見て、yは走る。
といふ「述語論理」に、相当する。
平成31年04月16日、毛利太。
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