―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』をお読み下さい。―
(01)
1 (1) ∃x{吾輩x&猫x& ~∃y(名前yx)} A
1 (〃)あるxは吾輩であって猫であるが、名前は無い。 A
1 (〃) 吾輩は猫である。名前はまだ無い。 A
2 (2) 吾輩a&猫a& ~∃y(名前ya) A
2 (3) 吾輩a 2&E
2 (4) 猫a 2&E
2 (5) ~∃y(名前ya) 2&E
6 (6) ∃x{タマx& ∃y(名前yx)} A
6 (〃)あるxはタマであり、あるyはxの名前である。 A
6 (〃) タマには名前が有る。 A
7 (7) タマa& ∃y(名前ya) A
7 (8) タマa& 7&E
7 (9) ∃y(名前ya) 7&E
2 7 (ア) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 59&I
26 (イ) ~∃y(名前ya)&∃y(名前ya) 67アEE
2 (ウ)~∃x{タマx& ∃y(名前yx)} 6アRAA
2 (エ)∀x~{タマx& ∃y(名前yx)} ウ量化子の関係
2 (オ) ~{タマa& ∃y(名前ya)} エUE
2 (カ) ~タマa∨ ~∃y(名前ya) オ、ドモルガンの法則
キ (キ) ~タマa A
キ (ク) ~∃y(名前ya)∨~タマa キ∨I
ケ(ケ) ~∃y(名前ya) A
ケ(コ) ~∃y(名前ya)∨~タマa ケ∨I
2 (サ) ~∃y(名前ya)∨~タマa カキクケコ∨E
2 (シ) ∃y(名前ya)→~タマa サ含意の定義
2 7 (ス) ~タマa 9シMPP
2 7 (セ) 吾輩a&~タマa 3ス&I
2 7 (ソ) 吾輩a&~タマa&猫a 4セ&I
2 7 (タ) ∃x(吾輩x&~タマx&猫x) ソEI
26 (チ) ∃x(吾輩x&~タマx&猫x) 67タEE
1 6 (ツ) ∃x(吾輩x&~タマx&猫x) 12チEE
1 6 (〃)あるxは吾輩であってタマではなく猫である。 12チEE
1 6 (〃) 吾輩はタマではないが、 猫である。 12チEE
従って、
(01)により、
(02)
(1)吾輩は猫である。名前はまだ無い。然るに、
(2)タマには名前が有る。 従って、
(3)吾輩はタマではないが、猫である。
といふ「日本語による推論」は、「述語論理による推論」としても「妥当(valid)」である。
然るに、
(03)
(01)に於いて、
F=吾輩(人称代名詞)
G= 猫 ( 普通名詞 )
N=名前( 普通名詞 )
T=タマ( 固有名詞 )
とするならば、
1 (1) ∃x{Fx&Gx& ~∃y(Nyx)} A
2 (2) Fa&Ga& ~∃y(Nya) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) Ga 2&E
2 (5) ~∃y(Nya) 2&E
6 (6) ∃x{Tx& ∃y(Nyx)} A
7 (7) Ta& ∃y(Nya) A
7 (8) Ta& 7&E
7 (9) ∃y(Nya) 7&E
2 7 (ア) ~∃y(Nya)&∃y(Nya) 59&I
26 (イ) ~∃y(Nya)&∃y(Nya) 67アEE
2 (ウ)~∃x{Tx& ∃y(Nyx)} 6アRAA
2 (エ)∀x~{Tx& ∃y(Nyx)} ウ量化子の関係
2 (オ) ~{Ta& ∃y(Nya)} エUE
2 (カ) ~Ta∨ ~∃y(Nya) オ、ドモルガンの法則
キ (キ) ~Ta A
キ (ク) ~∃y(Nya)∨~Ta キ∨I
ケ(ケ) ~∃y(Nya) A
ケ(コ) ~∃y(Nya)∨~Ta ケ∨I
2 (サ) ~∃y(Nya)∨~Ta カキクケコ∨E
2 (シ) ∃y(Nya)→~Ta サ含意の定義
2 7 (ス) ~Ta 9シMPP
2 7 (セ) Fa&~Ta 3ス&I
2 7 (ソ) Fa&~Ta&Ga 4セ&I
2 7 (タ) ∃x(Fx&~Tx&Gx) ソEI
26 (チ) ∃x(Fx&~Tx&Gx) 67タEE
1 6 (ツ) ∃x(Fx&~Tx&Gx) 12チEE
といふ「推論」は、「述語論理による推論」として「妥当(valid)」である。
然るに、
(04)
第1に、固有名詞をつぎの符号のひとつとして定義する。
m,n,・・・・・
第2に、任意の名前をつぎの符号のひとつとして定義する。
a,b,c,・・・・・
第3に、個体変数をつぎの符号のひとつとして定義する。
x,y,z,・・・・・
第4に、述語文字をつぎの符号のひとつとして定義する。
F,G,H,・・・・・
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、176頁)
従って、
(03)(04)により、
(05)
「述語論理」の場合は「人称代名詞・普通名詞・固有名詞」の「区別」は、「不要」である。
然るに、
(06)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語となりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問にたいして「部屋の隅にある机がこれです」ということができる(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、118頁)。
(06)により、
(07)
沢田允茂先生は、
「述語論理」は「普通名詞(人間)・固有名詞(ソクラテス)」の「区別」は、「不要」である。
と、されてゐる。
然るに、
(08)
「日本語に即した文法の樹立を」を目指すわれわれは「日本語で人称代名詞と呼ばれているものは、実は名詞だ」と宣言したい。どうしても区別したいなら「人称名詞」で十分だ。日本語の「人称代名詞」はこれからは「人称名詞」と呼ぼう(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、40・41頁)。
従って、
(08)により、
(09)
金谷武洋先生は、
「日本語」は「人称代名詞(私、あなた 他)・名詞」の「区別」は、「不要」である。
と、されてゐる。
従って、
(05)(07)(09)により、
(10)
「述語論理」の場合は「人称代名詞・普通名詞・固有名詞」の「区別」は、「不要」である。
としても、そのこと自体は、「特別に、ヲカシイ」といふことには、ならない。
平成31年04月09日、毛利太。
0 件のコメント:
コメントを投稿