2019年4月17日水曜日

「民無二王。」の「述語論理」。

―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。
(01)
孔子曰天無二日、民無二王。
孔子曰く、天に二つの太陽は無く、民に二人の王は無い(孟子、萬章章句上)。
(02)
(ⅰ)
1  (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1  (2)∃xFx                 1&E
 3 (3)  Fa                 A
1  (4)     ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1  (5)       ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1  (6)          Fa&Fb→a=b  5UE
  7(7)          ∀y(Fy)     A
  7(8)             Fb      7UE
 37(9)          Fa&Fb      38&I
137(ア)                a=b  69MPP
13 (イ)             Fb→a=b  8アCP
13 (ウ)          ∀y(Fy→a=y) イUI
13 (エ)   Fa&∀y(Fy→a=y)     3ウ&I
13 (オ)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    エEI
1  (カ)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    13オEE
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ) ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
(ⅱ)∃x{Fx&  ∀y(   Fy→x=y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)である。
然るに、
(04)
任意の名前が、結論Cの中に現れてはならないという理由を知るためには、そうでなければ、
あるものがFをもつという仮定から、すべてのものがFをもつということが証明されるであろうということを考えれば十分である。
 1 (1)∃xFx A
  2(2)  Fa A
  (3)  F 122EE
 1 (4)∀xFx 2UI
UIの適用は正しい。  なぜならば、1はaを含んでいないからである。しかし、
EEの適用は正しくない。なぜならば、問題になる結論、ここでは、
  (3)  F 122EE
において、     をふくんでいるからである。
あるものがFをもっていることから、任意に選ばれた対象がFをもつということは帰結しない。
(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、147頁改)
然るに、
(05)
(ⅱ)
 1  (1)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    A
  2 (2)   Fa&∀y(Fy→a=y)     A
  2 (3)   Fa                2&E
  2 (4)      ∀y(Fy→a=y)     2&E
   (5)      ∀y(Fy→=y)     124EE
 1  (6)    ∀x∀y(Fy→x=y)     5UI
  2 (7)∃xFx                 3EI
 1  (8)∃xFx                 127EE
 1  (9)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 68&I
UIの適用は正しい。  なぜならば、1はaを含んでいないからである。しかし、
EEの適用は正しくない。なぜならば、問題になる結論、ここでは、
   (5)      ∀y(Fy→=y)     124EE
において、               をふくんでいるからである。
従って、
(04)(05)により、
(06)
(ⅱ)
 1  (1)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}    A
  2 (2)   Fa&∀y(Fy→a=y)     A
  2 (3)   Fa                2&E
  2 (4)      ∀y(Fy→a=y)     2&E
 1  (5)      ∀y(Fy→a=y)     124EE
 1  (6)    ∀x∀y(Fy→x=y)     5UI
  2 (7)∃xFx                 3EI
 1  (8)∃xFx                 127EE
 1  (9)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 68&I
といふ「述語計算」は、「正しくない」。
(02)~(06)により、
(07)
(ⅰ) ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
(ⅱ)∃x{Fx&  ∀y(   Fy→x=y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であるが、
(ⅱ)ならば(ⅰ)ではない。
然るに、
(08)
(ⅱ)
1   (1)  ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
 2  (2)     Fa&∀y(Fy→a=y)  A<br>
 2  (3)     Fa             2&E<br>
 2  (4)        ∀y(Fy→a=y)  2&E<br>
 2  (5)           Fb→a=b   4UE
 2  (6)          ~Fb∨a=b   5含意の定義
 2  (7)       ~~(~Fb∨a=b)  6DN
 2  (8)       ~(~~Fb&a<>b)  7ド・モルガンの法則
 2  (9)         ~(Fb&a<>b)  8DN
  ア (ア)        ∃y(Fy&a<>y)  A
   イ(イ)          (Fb&a<>b)  A
 2 イ(ウ)~(Fb&a<>b)&(Fb&a<>b)  9イ&I  
 2ア (エ)~(Fb&a<>b)&(Fb&a<>b)  アイウEE
 2  (オ)       ~∃y(Fy&a<>y)  アエRAA
 2  (カ)    Fa&~∃y(Fy&a<>y)  3オ&I
 2  (キ) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} カEI
1   (ク) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} 12キEE
(ⅲ)
1   (1) ∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)} A
 2  (2)    Fa&~∃y(Fy&a<>y)  A
 2  (3)    Fa              2&E
 2  (4)       ~∃y(Fy&a<>y)  2&E  
  5 (5)           Fb&a<>b   A
  5 (6)        ∃y(Fb&a<>y)  5EI
 25 (7)       ~∃y(Fy&a<>y)&
               ∃y(Fb&a<>y)  46&I
 2  (8)         ~(Fb&a<>b)  57RAA
 2  (9)         ~Fb&∨a=b   8ド・モルガンの法則
 2  (ア)           Fb→a=b   9含意の定義
 2  (イ)        ∀y(Fy→a=y)  アUI
 2  (ウ)     Fa&∀y(Fy→a=y)  3イ&I
 2  (エ)  ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 2EI
1   (オ)  ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 12EE
cf.
「≠」を「<>」と書くこととし、それ故、「<>ではない」が「=」であって、「=ではない」が「<>」である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅱ)∃x{Fx& ∀y(Fy→x=y)}
(Ⅲ)∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば、(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば、(ⅰ)である。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅱ)∃x{Fx& ∀y(Fy→x=y)}
(ⅲ)∃x{Fx&~∃y(Fy&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(03)(10)により、
(11)
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
従って、
(12)
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
従って、
(12)により、
(13)
(ⅰ)あるxは王であり、すべてのxとyについて、xが王でありyも王であるならば、xはyと「同一人物」である。
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、  yが王であるならば、      xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅰ)ならば(ⅲ)である。
然るに、
(13)により、
(14)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふこと、すなはち、
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、yが王であるならば、xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
といふことは、要するに、
(ⅱ)王は、一人しかゐない。
(ⅲ)王は、一人しかゐない。
といふことである。
従って、
(14)
(ⅱ)∃x{舜x&王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅲ)∃x{舜x&王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふこと、すなはち、
(ⅱ)あるxは舜といふ王であり、すべてのyについて、yが王であるならば、xとyは「同一人物」である。
(ⅲ)あるxは舜といふ王であり、xと「同一人物」ではない、あるyが、王である。といふことはない。
といふことは、要するに、
(ⅱ)王は、舜の一人だけある。
(ⅲ)王は、舜の一人だけある。
といふことである。
従って、
(14)により、
(15)
獨舜爲王矣。⇔
獨りのみ王たり。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∃x{舜x&王x& ∀y(王y→x=y)}
(ⅱ)∃x{舜x&王x&~∃y(王y&x<>y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
因みに、
(16)
(ⅰ)あるxは王であり、すべてのxとyについて、xが王でありyも王であるならば、xはyと「同一人物」である。
(ⅱ)あるxは王であり、すべてのyについて、  yが王であるならば、      xとyは「同一人物」である。
に於いても、
(ⅰ)=(ⅱ) であるやうに、思へない、こともない。
然るに、
(17)
因みに言ふと、
E.J.レモン自身は、「E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、211・212頁」に於いて、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
と、書いてゐる。
然るに、
(18)
「E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英雄 訳、1973年、211・212頁」の中には、「結論」だけが書かれてゐて、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
といふことに関する、「計算」が示されてゐない。
従って、
(02)~(12)、(18)により、
(19)
私自身は、
(ⅰ)∃x王x&∀x∀y(王x&王y→x=y)
(ⅱ)∃x{王x& ∀y(王y→x=y)}
(Ⅲ)∃x{王x&~∃y(王y&x<>y)}
に於いて、
(ⅰ){(ⅱ)=(ⅲ)}
であらうと、思ってゐるものの、
E.J.レモンは、
(ⅰ){(ⅱ)=(ⅲ)}
である。いふ風に、書いてゐる。
平成31年04月17日、毛利太。

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