―「先ほどの記事」を「続き」を書きます。―
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(34)
(ⅶ)
1 (1) P→ Q A
2 (2) P A
3(3) ~Q A
12 (4) Q 12MPP
123(5) ~Q&Q 34&I
1 3(6) ~P 25RAA
1 (7) ~Q→~P 36CP
(ⅷ)
1 (1) ~Q→~P A
2 (2) ~Q A
3(3) P A
12 (4) ~P 12MPP
123(5) P&~P 34&I
1 3(6)~~Q 25RAA
1 3(7) Q 6DN
1 (8) P→ Q 47CP
従って、
(34)により、
(35)
(ⅶ) P→ Q
(ⅷ)~Q→~P
に於いて、
(ⅶ)=(ⅷ) である。
然るに、
(36)
自然演繹論理のあるバージョンには、公理が存在しない。ジョン・レモンが開発した体系Lは、証明の構文規則に関する次のような「10個の基本的規則」だけを持つ。
1.仮定の規則(A)
2.肯定肯定式(MPP)
3.否定否定式(MTT)
4.二重否定 (DN)
5.条件的証明(CP)
6.&導入 (&I)
7.&除去 (&E)
8.∨導入 (&I)
9.∨除去 (&E)
10.背理法 (RAA)
(ウィキペディア改)
従って、
(35)(36)により、
(37)
「体系Lの基本規則の内の、A、MPP、DN、CP、&I、RAA」によって、
(ⅶ) P→ Q
(ⅷ)~Q→~P
すなはち、「対偶は、等しい」。
然るに、
(38)
(ⅸ)
1(1) P→ Q A
1(2) ~P∨ Q 1含意の定義
1(3) Q∨~P 2交換法則
1(4)~~Q∨~P 3DN
1(5) ~Q→~P 4含意の定義
(ⅹ)
1(1) ~Q→~P A
1(2)~~Q∨~P 1含意の定義α
1(3) Q∨~P 2DN
1(4) ~P∨ Q 3交換法則
1(5) P→ Q 4含意の定義α
従って、
(36)(38)により、
(39)
「体系Lの基本規則の内の、A、DN」と「含意の定義α、交換法則」によっても、
(ⅸ) P→ Q
(ⅹ)~Q→~P
すなはち、「対偶は、等しい」。
然るに、
(40)
(ⅺ)
1 (1)~P∨Q A
2 (2)~P A
2 (3)Q∨~P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨~P 4∨I
1 (6)Q∨~P 12345EE
(ⅻ)
1 (1)Q∨~P A
2 (2)Q A
2 (3)~P∨Q 2∨I
4(4) ~P A
4(5)~P∨Q 4∨I
1 (6)~P∨Q 12345EE
従って、
(41)
(01)(02)(36)(40)により、
(41)
「含意の定義α、交換法則」自体も、「体系Lの、10個の基本規則」で「証明」出来る。
加へて、
(16)により、
(42)
「ド・モルガンの法則」も、「体系Lの、10個の基本規則」で「証明」出来る。
従って、
(36)~(42)により、
(43)
「自然演繹の体系Lの、10個の基本規則」は、「公理」のやうな「働き」をする。
然るに、
(44)
ヒルベルトの演繹システムは、公理が多く、推論規則が少ないものです。そして、公理も、わけのわからない論理式となっています。例えば、
P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
という論理式が公理として設定されています。つまり、この論理式を出発点として演繹を行って良い。ということです、多くの人は、この論理式の意味が飲み込めないでしょう(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、136頁)。
然るに、
(45)
(α)
1 (1) P→(Q→ P) A
2(2) P&(Q&~P) A
2(3) P 2&E
2(4) Q&~P 2&E
2(5) Q 2&E
2(6) ~P 4&E
12(7) Q→ P 13MPP
12(8) P 57MPP
12(9) ~P&P 68&I
1 (ア)~{P&(Q&~P)} 29RAA
(β)
1 (1)~{P&(Q&~P)} A
2 (2) P A
3 (3) (Q&~P) A
23 (4) P&(Q&~P) 34&I
123 (5)~{P&(Q&~P)}&
{P&(Q&~P)} 14&I
12 (6) ~(Q&~P) 35RAA
7 (7) Q A
8(8) ~P A
78(9) Q&~P 78&I
1278(ア) ~(Q&~P)&
(Q&~P) 69&I
127 (イ) ~~P 8アRAA
127 (ウ) P イDN
12 (エ) Q→ P 7ウCP
1 (オ) P→(Q→ P) 2エCP
従って、
(45)により、
(46)
(α) P→(Q→ P)
(β)~{(P&~P)&Q}
に於いて、
(α)=(β) である。
然るに、
(47)
(β)~{(P&~P)&Q} は、
(β)~{( 矛盾 )&Q} である。
従って、
(47)により、
(48)
(β)~{(P&~P)&Q} は、
(β)~{( 偽 )&真} であっても、
(β)~{( 偽 )&偽} であっても、
(β)~{ 偽 } は、「真」である。
従って、
(47)(48)により、
(49)
(α) P→(Q→ P)
(β)~{(P&~P)&Q}
に於いて、
(α)=(β) であって、尚且つ、
(β) は、「恒真」である。
従って、
(44)(49)により、
(50)
(α)P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
といふ、「わけのわからない、ヒルベルトの公理(論理式)」は「恒真」である。
従って、
(36)(44)(50)により、
(51)
(α)P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
といふ、「わけのわからない、ヒルベルトの公理(論理式)」は、「ジョン・レモンが開発した自然演繹の体系L」に於いても、「恒真」である。
平成31年04月30日、毛利太。
2019年4月30日火曜日
トートロジー(恒真式)。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
(ⅰ)
1 (1) P→ Q A
2(2) P&~Q A
2(3) P 2&E
2(4) ~Q 2&E
12(5) Q 13MPP
12(6) ~Q&Q 45&I
1 (7) ~~Q 46RAA
1 (8) Q 7DN
1 (9) ~P∨Q 8∨I
(ⅱ)
1 (1) ~P∨ Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P& P 34&I
3 (6)~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q A
2 7 (9) Q&~Q 78&I
7 (ア)~(P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q エオ&I
1 ウエ(カ)~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q 7カRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウクCP
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ) P→Q
(ⅱ)~P∨Q
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) であるものの、「この等式」を、「含意の定義α」とする。
(03)
(ⅲ)
1 (1) P→ Q A
2(2) P&~Q A
2(3) P 2&E
2(4) ~Q 2&E
12(5) Q 13MPP
12(6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(ⅳ)
1 (1)~(P&~Q) A
2 (2) P A
3(3) ~Q A
23(4) P&~Q 23&I
123(5)~(P&~Q)&
(P&~Q) 14&I
12 (6) ~~Q 35RAA
12 (7) Q 6DN
1 (8) P→ Q 27CP
従って、
(03)により、
(04)
(ⅲ) P→ Q
(ⅳ)~(P&~Q)
に於いて、
(ⅲ)=(ⅳ) であるものの、「この等式」を、「含意の定義β」とする。
然るに、
(05)
(a)
1(1) P A
(2) P→P 11CP
(b)
1(1) P A
(2) P→P 11CP
(3) ~P∨P 2含意の定義α
(c)
1(1) P A
(2) P→P 11CP
(3)~(P&~P) 2含意の定義β
従って、
(05)により、
(06)
「P→P」=「~P∨P」=「~(P&~P)」
である。
従って、
(06)により、
(07)
「P→P」=「~P∨P」=「~(P&~P)」⇔
「PならばPである。」=「Pでないか、または、Pである。」=「PであってPでない。といふことはない。」
である。
然るに、
(08)
「PならばPである。」の「対偶」は、
「PでないならばPでない。」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
「PならばPである。」
「PでないならばPでない。」
「Pでないか、または、Pである。」
「PであってPでない。といふことはない。」
に於いて、「4つの言ひ方」は、すべて、「同じこと」である。
然るに、
(10)
「Pでないか、または、Pである。」
といふことと、
「PでないならばPでなく、PであるならばPである。」
といふことは、たしかに、「同じこと」である。
然るに、
(11)
「Pでないか、または、Pである。」
といふことは、
「Pであるのか、Pでないのかは、分からない。」
といふことである。
然るに、
(12)
「Pであるのか、Pでないのかは、分からない。」
と、誰かが言ふならば、その誰かは、
「Pであるとは、言ってゐないし、Pでないとも、言ってゐない。」
といふことである。
然るに、
(13)
「Pであるとは、言ってゐないし、Pでないとも、言ってゐない。」
と、誰かが言ったとして、その誰かが「言ったこと」を、「否定」することは、「不可能」である。
従って、
(06)~(13)により、
(14)
「 P→ P 」=「PならばPである。」⇔
「 ~P→~P 」=「PでないならばPでない。」⇔
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」
といふ「4通りの、言ひ方」は、誰にも「否定できず」、それ故、「常に真(トートロジー)」である。
然るに、
(15)
1(1) ~(P&~P) A
1(2)~~(P&~P) A
1(3) (P&~P) 2DN
然るに、
(16)
(ⅴ)
1 (1) ~(~P∨Q) A
2 (2) ~P A
2 (3) ~P∨Q 2∨I
12 (4) ~(~P∨Q)&(~P∨Q) 13&I
1 (5) ~~P 24RAA
1 (6) P 5DN
7(7) Q A
7(8) ~P∨Q 7∨I
1 7(9) ~(~P∨Q)&(~P∨Q) 18&I
1 (ア) ~Q 79RAA
1 (ウ) P&~Q 6イ&I
(ⅵ)
1 (1) P&~Q A
2 (2) ~P∨ Q A
3 (3) ~P A
1 (4) P 1&E
1 3 (5) ~P& P 34&I
3 (6) ~(P&~Q) 15RAA
7(7) Q A
1 (8) ~Q 1&E
1 7(9) Q&~Q 78&I
7(ア) ~(P&~Q) 19RAA
2 (イ) ~(P&~Q) 2367ア∨E
12 (ウ) (P&~Q)&~(P&~Q) 1イ&I
1 (エ)~(~P∨ Q) 2ウRAA
従って、
(16)により、
(17)
(ⅴ)~(~P∨ Q)
(ⅵ) ( P&~Q)
に於いて、
(ⅴ)=(ⅵ) である。
ものの、「この等式」を、「ド・モルガンの法則」と言ふ。
然るに、
(18)
(ⅴ)~(~P∨ Q)
(ⅵ) ( P&~Q)
に於いて、
(ⅴ)Q=P
(ⅵ)Q=P
といふ「代入」を行ふと、
(ⅴ)~(~P∨ P)
(ⅵ) ( P&~P)
従って、
(17)(18)により、
(19)
(ⅴ)~(~P∨ P)
(ⅵ) ( P&~P)
に於いて、
(ⅴ)=(ⅵ) である。
従って、
(14)(15)(19)により、
(20)
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」⇔
を「否定」すると、「矛盾(P&~P)」が、生じることになる。
従って、
(09)(14)(20)により、
(21)
「 P→ P 」=「PならばPである。」⇔
「 ~P→~P 」=「PでないならばPでない。」⇔
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」
といふ「4通り」を「否定」すると、「矛盾(P&~P)」が、生じることになる。
然るに、
(22)
「矛盾(P&~P)」の「肯定」するわけには、行かない。
従って、
(21)(22)により、
(23)
「 P→ P 」=「PならばPである。」⇔
「 ~P→~P 」=「PでないならばPでない。」⇔
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」
といふ「4通りの、言ひ方」は、誰にも「否定できず」、それ故、「常に真(トートロジー)」である。
従って、
(22)(23)により、
(24)
「 P→ P 」=「PならばPである。」⇔
「 ~P→~P 」=「PでないならばPでない。」⇔
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」
といふ「4通りの、言ひ方」は、「当然のこと」を述べてゐるのと「同時」に、「矛盾(P&~P)」は、「否定」しなければならない。
といふことを、述べてゐる。
(25)
1(1)~P A
1(2)~P∨ Q 1∨I
1(3) P→ Q 3含意の定義α
1(4) ~Q 前件否定
然るに、
(26)
P=Aは外国人である。とすれば、
~P=Aは日本人である。
Q=Aは女性である。 とすれば、
~Q=Aは男性である。
従って、
(25)(26)により、
(27)
1(1)~P A
1(2)~P∨ Q 1∨I
1(3) P→ Q 3含意の定義α
1(4) ~Q 13前件否定
といふ「計算」が「正しい」のであれば、
1(1)~P A
からは、「どのような結論」をも、得ることが出来る。
然るに、
(28)
前件否定(ぜんけんひてい、英: Denying the antecedent)は、誤謬の一種であり、次のような推論の論証形式に関する誤謬である。
もし P ならば、Q である。
P ではない。
従って、Q ではない。
この形式の主張は妥当ではない。この形式の論証はたとえ前提が真であっても、結論を導く推論過程に瑕疵がある(ウィキペディア)。
従って、
(27)(28)により、
(29)
1(1)~P A
1(2)~P∨ Q 1∨I
1(3) P→ Q 3含意の定義α
1(4) ~Q 13前件否定
といふ「計算(前件否定の誤謬)」は「マチガイ」である。
然るに、
(30)
1(1)~P&P A
1(2)~P 1&E
1(3)~P∨Q 2∨I
1(4) P→Q 3含意の定義α
1(5) P 1&E
1(6) Q 45MPP
といふ「計算」は、「正しい」。
従って、
(30)により、
(31)
1(1)~P&P A
といふ「矛盾(~P&P)」を「仮定」すれば、どのやうな「結論(Q)」であって、「否定」出来ない。
然るに、
(32)
1(1) ~P&P A
(2)~(~P&P) 11RAA
従って、
(33)
「自然演繹(Natural deduction)」では、
1(1) ~P&P A
(2)~(~P&P) 11RAA
といふ具合に、「矛盾(~P&P)」を「仮定(A)」すると、ただちに、「背理法(RAA)」によって、「否定」される。
平成31年04月30日、毛利太。
(01)
(ⅰ)
1 (1) P→ Q A
2(2) P&~Q A
2(3) P 2&E
2(4) ~Q 2&E
12(5) Q 13MPP
12(6) ~Q&Q 45&I
1 (7) ~~Q 46RAA
1 (8) Q 7DN
1 (9) ~P∨Q 8∨I
(ⅱ)
1 (1) ~P∨ Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P& P 34&I
3 (6)~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q A
2 7 (9) Q&~Q 78&I
7 (ア)~(P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q エオ&I
1 ウエ(カ)~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q 7カRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウクCP
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ) P→Q
(ⅱ)~P∨Q
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) であるものの、「この等式」を、「含意の定義α」とする。
(03)
(ⅲ)
1 (1) P→ Q A
2(2) P&~Q A
2(3) P 2&E
2(4) ~Q 2&E
12(5) Q 13MPP
12(6) ~Q&Q 45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(ⅳ)
1 (1)~(P&~Q) A
2 (2) P A
3(3) ~Q A
23(4) P&~Q 23&I
123(5)~(P&~Q)&
(P&~Q) 14&I
12 (6) ~~Q 35RAA
12 (7) Q 6DN
1 (8) P→ Q 27CP
従って、
(03)により、
(04)
(ⅲ) P→ Q
(ⅳ)~(P&~Q)
に於いて、
(ⅲ)=(ⅳ) であるものの、「この等式」を、「含意の定義β」とする。
然るに、
(05)
(a)
1(1) P A
(2) P→P 11CP
(b)
1(1) P A
(2) P→P 11CP
(3) ~P∨P 2含意の定義α
(c)
1(1) P A
(2) P→P 11CP
(3)~(P&~P) 2含意の定義β
従って、
(05)により、
(06)
「P→P」=「~P∨P」=「~(P&~P)」
である。
従って、
(06)により、
(07)
「P→P」=「~P∨P」=「~(P&~P)」⇔
「PならばPである。」=「Pでないか、または、Pである。」=「PであってPでない。といふことはない。」
である。
然るに、
(08)
「PならばPである。」の「対偶」は、
「PでないならばPでない。」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
「PならばPである。」
「PでないならばPでない。」
「Pでないか、または、Pである。」
「PであってPでない。といふことはない。」
に於いて、「4つの言ひ方」は、すべて、「同じこと」である。
然るに、
(10)
「Pでないか、または、Pである。」
といふことと、
「PでないならばPでなく、PであるならばPである。」
といふことは、たしかに、「同じこと」である。
然るに、
(11)
「Pでないか、または、Pである。」
といふことは、
「Pであるのか、Pでないのかは、分からない。」
といふことである。
然るに、
(12)
「Pであるのか、Pでないのかは、分からない。」
と、誰かが言ふならば、その誰かは、
「Pであるとは、言ってゐないし、Pでないとも、言ってゐない。」
といふことである。
然るに、
(13)
「Pであるとは、言ってゐないし、Pでないとも、言ってゐない。」
と、誰かが言ったとして、その誰かが「言ったこと」を、「否定」することは、「不可能」である。
従って、
(06)~(13)により、
(14)
「 P→ P 」=「PならばPである。」⇔
「 ~P→~P 」=「PでないならばPでない。」⇔
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」
といふ「4通りの、言ひ方」は、誰にも「否定できず」、それ故、「常に真(トートロジー)」である。
然るに、
(15)
1(1) ~(P&~P) A
1(2)~~(P&~P) A
1(3) (P&~P) 2DN
然るに、
(16)
(ⅴ)
1 (1) ~(~P∨Q) A
2 (2) ~P A
2 (3) ~P∨Q 2∨I
12 (4) ~(~P∨Q)&(~P∨Q) 13&I
1 (5) ~~P 24RAA
1 (6) P 5DN
7(7) Q A
7(8) ~P∨Q 7∨I
1 7(9) ~(~P∨Q)&(~P∨Q) 18&I
1 (ア) ~Q 79RAA
1 (ウ) P&~Q 6イ&I
(ⅵ)
1 (1) P&~Q A
2 (2) ~P∨ Q A
3 (3) ~P A
1 (4) P 1&E
1 3 (5) ~P& P 34&I
3 (6) ~(P&~Q) 15RAA
7(7) Q A
1 (8) ~Q 1&E
1 7(9) Q&~Q 78&I
7(ア) ~(P&~Q) 19RAA
2 (イ) ~(P&~Q) 2367ア∨E
12 (ウ) (P&~Q)&~(P&~Q) 1イ&I
1 (エ)~(~P∨ Q) 2ウRAA
従って、
(16)により、
(17)
(ⅴ)~(~P∨ Q)
(ⅵ) ( P&~Q)
に於いて、
(ⅴ)=(ⅵ) である。
ものの、「この等式」を、「ド・モルガンの法則」と言ふ。
然るに、
(18)
(ⅴ)~(~P∨ Q)
(ⅵ) ( P&~Q)
に於いて、
(ⅴ)Q=P
(ⅵ)Q=P
といふ「代入」を行ふと、
(ⅴ)~(~P∨ P)
(ⅵ) ( P&~P)
従って、
(17)(18)により、
(19)
(ⅴ)~(~P∨ P)
(ⅵ) ( P&~P)
に於いて、
(ⅴ)=(ⅵ) である。
従って、
(14)(15)(19)により、
(20)
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」⇔
を「否定」すると、「矛盾(P&~P)」が、生じることになる。
従って、
(09)(14)(20)により、
(21)
「 P→ P 」=「PならばPである。」⇔
「 ~P→~P 」=「PでないならばPでない。」⇔
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」
といふ「4通り」を「否定」すると、「矛盾(P&~P)」が、生じることになる。
然るに、
(22)
「矛盾(P&~P)」の「肯定」するわけには、行かない。
従って、
(21)(22)により、
(23)
「 P→ P 」=「PならばPである。」⇔
「 ~P→~P 」=「PでないならばPでない。」⇔
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」
といふ「4通りの、言ひ方」は、誰にも「否定できず」、それ故、「常に真(トートロジー)」である。
従って、
(22)(23)により、
(24)
「 P→ P 」=「PならばPである。」⇔
「 ~P→~P 」=「PでないならばPでない。」⇔
「 ~P∨ P 」=「Pでないか、または、Pである。」⇔
「~(P&~P)」=「PであってPでない。といふことはない。」
といふ「4通りの、言ひ方」は、「当然のこと」を述べてゐるのと「同時」に、「矛盾(P&~P)」は、「否定」しなければならない。
といふことを、述べてゐる。
(25)
1(1)~P A
1(2)~P∨ Q 1∨I
1(3) P→ Q 3含意の定義α
1(4) ~Q 前件否定
然るに、
(26)
P=Aは外国人である。とすれば、
~P=Aは日本人である。
Q=Aは女性である。 とすれば、
~Q=Aは男性である。
従って、
(25)(26)により、
(27)
1(1)~P A
1(2)~P∨ Q 1∨I
1(3) P→ Q 3含意の定義α
1(4) ~Q 13前件否定
といふ「計算」が「正しい」のであれば、
1(1)~P A
からは、「どのような結論」をも、得ることが出来る。
然るに、
(28)
前件否定(ぜんけんひてい、英: Denying the antecedent)は、誤謬の一種であり、次のような推論の論証形式に関する誤謬である。
もし P ならば、Q である。
P ではない。
従って、Q ではない。
この形式の主張は妥当ではない。この形式の論証はたとえ前提が真であっても、結論を導く推論過程に瑕疵がある(ウィキペディア)。
従って、
(27)(28)により、
(29)
1(1)~P A
1(2)~P∨ Q 1∨I
1(3) P→ Q 3含意の定義α
1(4) ~Q 13前件否定
といふ「計算(前件否定の誤謬)」は「マチガイ」である。
然るに、
(30)
1(1)~P&P A
1(2)~P 1&E
1(3)~P∨Q 2∨I
1(4) P→Q 3含意の定義α
1(5) P 1&E
1(6) Q 45MPP
といふ「計算」は、「正しい」。
従って、
(30)により、
(31)
1(1)~P&P A
といふ「矛盾(~P&P)」を「仮定」すれば、どのやうな「結論(Q)」であって、「否定」出来ない。
然るに、
(32)
1(1) ~P&P A
(2)~(~P&P) 11RAA
従って、
(33)
「自然演繹(Natural deduction)」では、
1(1) ~P&P A
(2)~(~P&P) 11RAA
といふ具合に、「矛盾(~P&P)」を「仮定(A)」すると、ただちに、「背理法(RAA)」によって、「否定」される。
平成31年04月30日、毛利太。
2019年4月29日月曜日
「象は(が)鼻は(が)長い。」の「述語論理」と「主題」。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
① すべてのxについて、xが僕であるならば、あるyは君であって、xはyが好きであって、すべてのzについて、zがyでないならば、xはzを好きではない。
といふことは、
① 僕は君が好きだ。
といふ、ことである。
従って、
(01)により、
(02)
① 僕は君が好きだ。
といふ「日本語」は、
① ∀x{僕x→∃y(君y&好xy)&∀z(~君z→~好xz)}⇔
① すべてのxについて、xが僕であるならば、あるyは君であって、xはyが好きであって、すべてのzについて、zがyでないならば、xはzを好きではない。
といふ「述語論理」に、相当する。
cf.
金谷武洋先生にならって、「僕・私・俺」等は「人称代名詞」ではなく、「単なる名詞」であるとします。そのため、「僕」を「述語」にしても、支障はありません。
然るに、
(03)
① 僕は君が好きだ。
ではなく、
② 僕は君は好きだ。
といふのであれば、
② 君以外は好きではない。
とは、限らない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① ∀x{僕x→∃y(君y&好xy)&∀z(~君z→~好xz)}⇔
① すべてのxについて、xが僕であるならば、あるyは君であって、xはyが好きであって、すべてのzについて、zがyでないならば、xはzを好きではない。
といふ「述語論理」から、
① ∀z(~君z→~好xz)
① すべてのzについて、zがyでないならば、xはzを好きではない。
といふ「命題関数」を除いた、
② ∀x{僕x→∃y(君y&好xy)}⇔
② すべてのxについて、xが僕であるならば、あるyは君であって、xはyが好きである。
といふ「述語論理」が、
② 僕は君は好きだ。
といふ「日本語」に相当する。
従って、
(04)により、
(05)
① 象は鼻が長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}⇔
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に対して、
② 象は鼻は長い。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長い。
である。
然るに、
(06)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(06)により、
(07)
いづれにせよ、
① 私が大野です。
② 大野は私です。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
② 大野は私です。
といふことは、
③ 私以外は大野ではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
いづれにせよ、
① 私が大野です。
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(10)
① 私が大野です。
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではない。
に於いて、
① 私=象
① 大野=鼻は長い
といふ「代入」を行ふと、
① 象が鼻は長いです。
② 鼻は長いは象です。
③ 象以外は鼻は長いではない。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① 象が鼻は長い。
② 鼻が長いのは象である。
③ 象以外の鼻は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(12)
① 象が鼻は長い。
といふのであれば、
① 象は鼻は長い。
従って、
(11)(12)により、
(13)
③ 象が鼻は長い=
③ 象は鼻は長く、象以外は鼻は長くない。
である。
然るに、
(14)
③ 象以外は鼻は長くない。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
といふ「述語論理」に相当する。
従って、
(05)(13)(14)により、
(15)
③ 象が鼻は長い。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
といふ「述語論理」に相当する。
cf.
「A⇔B」=「Aならば、そのときに限ってBである。」
といふ風に「定義」すると、
③ ∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)} は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)} に等しい。
然るに、
(16)
③ 兎は象ではない。 ⇔
③ ∀x(兎x→~象x)⇔
③ すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。
然るに、
(17)
1 (1)∀x(兎x→~象x) A
1 (2) 兎a→~象a 1UE
3 (3) 兎a A
13 (4) ~象a 23MPP
5 (5)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)} A
5 (6) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya&長y) 5UE
7(7) 象a A
57(8) ∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya&長y) 67MPP
57(9) ∃y(鼻ya&長y) 8&E
57(ア) ~象a→~∃y(鼻ya&長y) 8&E
1357(イ) ~∃y(鼻ya&長y) 4アMPP
1357(ウ) ∃y(鼻ya&長y)&~∃y(鼻ya&長y) 9イ&I
135 (エ) ~象a 7ウRAA
135 (オ) ∀y~(鼻ya&長y) イ量化子の関係
135 (カ) ~(鼻ba&長b) オUE
135 (キ) ~鼻ba∨~長b カ、ドモルガンの法則
135 (ク) 鼻ba→~長b キ含意の定義
135 (ケ) ∀y(鼻ya→~長y) ケUI
1 5 (コ) 兎a→∀y(鼻ya→~長y) 3ケCP
1 5 (サ)∀x{兎x→∀y(鼻yx→~長y)} コUI
1 5 (〃)すべてのxについて、xが兎ならば、すべてのyについて、yがxの鼻ならば、yは長くない。
1 5 (〃)すべての兎の、すべての鼻は長くない。
1 5 (〃)兎の鼻は長くない。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
③ 兎は象ではない。 ⇔
③ ∀x(兎x→~象x)⇔
③ すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。
と「仮定」した上で、
③ 象が鼻は長い。⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
と「仮定」すると、
③ 兎の鼻は長くない。⇔
③ ∀x{兎x→∀y(鼻yx→~長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが兎ならば、すべてのyについて、yがxの鼻ならば、yは長くない。
といふ『結論』を、得ることになる。
従って、
(18)により、
(19)
③ 象が鼻は長い。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(05)(19)により、
(20)
④ 象が鼻が長い。
といふ「日本語」は、
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}⇔
④ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはなく、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(05)(18)(20)により、
(21)
「番号」を付け替へると、
① 象は鼻は長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長い。
② 象は鼻が長い。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}⇔
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
③ 象が鼻は長い。⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
④ 象が鼻が長い。⇔
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}⇔
④ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはなく、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「4通り」が、成立する。
然るに、
(22)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(23)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる少なくとも2つの箇所を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
従って、
(22)(23)により、
(24)
例へば、
⑤ ∀x(Fx)=すべてのxはFである。
であれば、
⑤ ∀x といふ「量記号」の「作用範囲」」は、
⑤ ∀x(Fx)
といふ「論理式の、全体」である。
従って、
(21)~(24)により、
(25)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
であっても、「∀x」といふ「量記号」の「作用範囲」」は、それぞれの「文の、全体」ある。
従って、
(25)により、
(26)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
といふ「等式」の「左辺」である、
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
③ 象が鼻は長い。
④ 象が鼻が長い。
であっても、「象は・象が」といふ「主語」の「作用範囲」は、それぞれの「文の、全体」ある。
然るに、
(27)
「象は鼻が長い」という文が大正年間から専門家を悩ませていた。「象は」も主語、「鼻が」も主語。ひとつのセンテンスに二つも主語があってはならない。しかし、この表現は誤りではない。どう説明、合理化したらよいか、というのである。うまく解決する方法は見つからなかった。戦後になって三上章という人がおもしろい説を出した。「象は」は主語ではなくて主題である。「鼻が長い」は主語と述語だというので、これなら二重主語でなくなる。主題というのは、〝 についていえば〝 のように範囲を示す、いわば副詞のようなものだと考える。副詞なら主語になれない(外山滋比古、象は鼻が長い - TranNet New Column)。
従って、
(25)(26)(27)により、
(28)
「象は・象が」といふ「主語」の「作用範囲」は、それぞれの「文の、全体」あって、尚且つ、
「主題というのは、〝 についていえば〝 のように範囲を示す」といふことからすれば、
「象は・象が」は、「二つとも、主題」である。といふ、ことになる。
然るに、
(29)
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長い。
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
を読めば分かる通り、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於いて、
① は、「象」だけに言及してゐて、
② も、「象」だけに言及してゐて、
① は、「象の鼻」だけに言及してゐて、
② は、「象の鼻」と「象の鼻以外」に、言及してゐる。
加へて、
(30)
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
④ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはなく、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
を読めば分かる通り、
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於いて、
③ は、「象」と「象以外」に言及してゐて、
④ も、「象」と「象以外」に言及してゐて、
③ は、「象の鼻」だけに言及してゐて、
④ は、「象の鼻」と「象の鼻以外」に、言及してゐる。
従って、
(26)(29)(30)により、
(31)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於いて、
「象は・鼻は」は、「象と鼻」だけに言及してゐて、
「象が・鼻が」は、「象と象以外・鼻と鼻以外」に言及してゐる。
従って、
(31)により、
(32)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於いて、
「象は」は、「象だけ」 を「話題」にしてゐて、
「象が」は、「象と象以外」を「話題」にしてゐる。
従って、
(33)
④{象、キりン、河馬、ライオン、シマウマ}を「変域(ドメイン)」とするならば、
④ {キりン、河馬、ライオン、シマウマ}の「鼻は長くない」が故に。
④ 象が鼻が長い。
といふ、ことになる。
従って、
(32)(33)により、
(34)
「象」を「主題」にする際に、
「象以外の動物(キリン、河馬、ライオン、シマウマ、他)」を「念頭に置いてはならない」。
といふ「ルール」を設けるのであれば、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於ける「象は(主語)」は「主題」であり、
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於ける「象が(主語)」は「主題」ではない。
平成31年04月29日、毛利太。
(01)
① すべてのxについて、xが僕であるならば、あるyは君であって、xはyが好きであって、すべてのzについて、zがyでないならば、xはzを好きではない。
といふことは、
① 僕は君が好きだ。
といふ、ことである。
従って、
(01)により、
(02)
① 僕は君が好きだ。
といふ「日本語」は、
① ∀x{僕x→∃y(君y&好xy)&∀z(~君z→~好xz)}⇔
① すべてのxについて、xが僕であるならば、あるyは君であって、xはyが好きであって、すべてのzについて、zがyでないならば、xはzを好きではない。
といふ「述語論理」に、相当する。
cf.
金谷武洋先生にならって、「僕・私・俺」等は「人称代名詞」ではなく、「単なる名詞」であるとします。そのため、「僕」を「述語」にしても、支障はありません。
然るに、
(03)
① 僕は君が好きだ。
ではなく、
② 僕は君は好きだ。
といふのであれば、
② 君以外は好きではない。
とは、限らない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① ∀x{僕x→∃y(君y&好xy)&∀z(~君z→~好xz)}⇔
① すべてのxについて、xが僕であるならば、あるyは君であって、xはyが好きであって、すべてのzについて、zがyでないならば、xはzを好きではない。
といふ「述語論理」から、
① ∀z(~君z→~好xz)
① すべてのzについて、zがyでないならば、xはzを好きではない。
といふ「命題関数」を除いた、
② ∀x{僕x→∃y(君y&好xy)}⇔
② すべてのxについて、xが僕であるならば、あるyは君であって、xはyが好きである。
といふ「述語論理」が、
② 僕は君は好きだ。
といふ「日本語」に相当する。
従って、
(04)により、
(05)
① 象は鼻が長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}⇔
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に対して、
② 象は鼻は長い。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長い。
である。
然るに、
(06)
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(06)により、
(07)
いづれにせよ、
① 私が大野です。
② 大野は私です。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
② 大野は私です。
といふことは、
③ 私以外は大野ではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(07)(08)により、
(09)
いづれにせよ、
① 私が大野です。
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(10)
① 私が大野です。
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではない。
に於いて、
① 私=象
① 大野=鼻は長い
といふ「代入」を行ふと、
① 象が鼻は長いです。
② 鼻は長いは象です。
③ 象以外は鼻は長いではない。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① 象が鼻は長い。
② 鼻が長いのは象である。
③ 象以外の鼻は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(12)
① 象が鼻は長い。
といふのであれば、
① 象は鼻は長い。
従って、
(11)(12)により、
(13)
③ 象が鼻は長い=
③ 象は鼻は長く、象以外は鼻は長くない。
である。
然るに、
(14)
③ 象以外は鼻は長くない。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
といふ「述語論理」に相当する。
従って、
(05)(13)(14)により、
(15)
③ 象が鼻は長い。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
といふ「述語論理」に相当する。
cf.
「A⇔B」=「Aならば、そのときに限ってBである。」
といふ風に「定義」すると、
③ ∀x{象x⇔∃y(鼻yx&長y)} は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)} に等しい。
然るに、
(16)
③ 兎は象ではない。 ⇔
③ ∀x(兎x→~象x)⇔
③ すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。
然るに、
(17)
1 (1)∀x(兎x→~象x) A
1 (2) 兎a→~象a 1UE
3 (3) 兎a A
13 (4) ~象a 23MPP
5 (5)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)} A
5 (6) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya&長y) 5UE
7(7) 象a A
57(8) ∃y(鼻ya&長y)&~象a→~∃y(鼻ya&長y) 67MPP
57(9) ∃y(鼻ya&長y) 8&E
57(ア) ~象a→~∃y(鼻ya&長y) 8&E
1357(イ) ~∃y(鼻ya&長y) 4アMPP
1357(ウ) ∃y(鼻ya&長y)&~∃y(鼻ya&長y) 9イ&I
135 (エ) ~象a 7ウRAA
135 (オ) ∀y~(鼻ya&長y) イ量化子の関係
135 (カ) ~(鼻ba&長b) オUE
135 (キ) ~鼻ba∨~長b カ、ドモルガンの法則
135 (ク) 鼻ba→~長b キ含意の定義
135 (ケ) ∀y(鼻ya→~長y) ケUI
1 5 (コ) 兎a→∀y(鼻ya→~長y) 3ケCP
1 5 (サ)∀x{兎x→∀y(鼻yx→~長y)} コUI
1 5 (〃)すべてのxについて、xが兎ならば、すべてのyについて、yがxの鼻ならば、yは長くない。
1 5 (〃)すべての兎の、すべての鼻は長くない。
1 5 (〃)兎の鼻は長くない。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
③ 兎は象ではない。 ⇔
③ ∀x(兎x→~象x)⇔
③ すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。
と「仮定」した上で、
③ 象が鼻は長い。⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
と「仮定」すると、
③ 兎の鼻は長くない。⇔
③ ∀x{兎x→∀y(鼻yx→~長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが兎ならば、すべてのyについて、yがxの鼻ならば、yは長くない。
といふ『結論』を、得ることになる。
従って、
(18)により、
(19)
③ 象が鼻は長い。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(05)(19)により、
(20)
④ 象が鼻が長い。
といふ「日本語」は、
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}⇔
④ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはなく、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(05)(18)(20)により、
(21)
「番号」を付け替へると、
① 象は鼻は長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長い。
② 象は鼻が長い。⇔
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}⇔
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
③ 象が鼻は長い。⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
④ 象が鼻が長い。⇔
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}⇔
④ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはなく、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「4通り」が、成立する。
然るに、
(22)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(23)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる少なくとも2つの箇所を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
従って、
(22)(23)により、
(24)
例へば、
⑤ ∀x(Fx)=すべてのxはFである。
であれば、
⑤ ∀x といふ「量記号」の「作用範囲」」は、
⑤ ∀x(Fx)
といふ「論理式の、全体」である。
従って、
(21)~(24)により、
(25)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
であっても、「∀x」といふ「量記号」の「作用範囲」」は、それぞれの「文の、全体」ある。
従って、
(25)により、
(26)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
といふ「等式」の「左辺」である、
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
③ 象が鼻は長い。
④ 象が鼻が長い。
であっても、「象は・象が」といふ「主語」の「作用範囲」は、それぞれの「文の、全体」ある。
然るに、
(27)
「象は鼻が長い」という文が大正年間から専門家を悩ませていた。「象は」も主語、「鼻が」も主語。ひとつのセンテンスに二つも主語があってはならない。しかし、この表現は誤りではない。どう説明、合理化したらよいか、というのである。うまく解決する方法は見つからなかった。戦後になって三上章という人がおもしろい説を出した。「象は」は主語ではなくて主題である。「鼻が長い」は主語と述語だというので、これなら二重主語でなくなる。主題というのは、〝 についていえば〝 のように範囲を示す、いわば副詞のようなものだと考える。副詞なら主語になれない(外山滋比古、象は鼻が長い - TranNet New Column)。
従って、
(25)(26)(27)により、
(28)
「象は・象が」といふ「主語」の「作用範囲」は、それぞれの「文の、全体」あって、尚且つ、
「主題というのは、〝 についていえば〝 のように範囲を示す」といふことからすれば、
「象は・象が」は、「二つとも、主題」である。といふ、ことになる。
然るに、
(29)
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長い。
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
を読めば分かる通り、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於いて、
① は、「象」だけに言及してゐて、
② も、「象」だけに言及してゐて、
① は、「象の鼻」だけに言及してゐて、
② は、「象の鼻」と「象の鼻以外」に、言及してゐる。
加へて、
(30)
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはない。
④ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、xが象でないならば、あるyがxの鼻であって、そのyが長い、といふことはなく、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
を読めば分かる通り、
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於いて、
③ は、「象」と「象以外」に言及してゐて、
④ も、「象」と「象以外」に言及してゐて、
③ は、「象の鼻」だけに言及してゐて、
④ は、「象の鼻」と「象の鼻以外」に、言及してゐる。
従って、
(26)(29)(30)により、
(31)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於いて、
「象は・鼻は」は、「象と鼻」だけに言及してゐて、
「象が・鼻が」は、「象と象以外・鼻と鼻以外」に言及してゐる。
従って、
(31)により、
(32)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於いて、
「象は」は、「象だけ」 を「話題」にしてゐて、
「象が」は、「象と象以外」を「話題」にしてゐる。
従って、
(33)
④{象、キりン、河馬、ライオン、シマウマ}を「変域(ドメイン)」とするならば、
④ {キりン、河馬、ライオン、シマウマ}の「鼻は長くない」が故に。
④ 象が鼻が長い。
といふ、ことになる。
従って、
(32)(33)により、
(34)
「象」を「主題」にする際に、
「象以外の動物(キリン、河馬、ライオン、シマウマ、他)」を「念頭に置いてはならない」。
といふ「ルール」を設けるのであれば、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於ける「象は(主語)」は「主題」であり、
③ 象が鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
④ 象が鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長x)}。
に於ける「象が(主語)」は「主題」ではない。
平成31年04月29日、毛利太。
2019年4月28日日曜日
「は」と「が」:「強調形」と「排他的命題」。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
① ゴジラ=濁音+濁音+ラ。
② コシラ=清音+清音+ラ。
然るに、
(02)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ゴジラ=濁音+濁音+ラ。
② コシラ=清音+清音+ラ。
に於いて、
① の方が、② よりも、「大きくて、力強い」。
従って、
(03)により、
(04)
① 私が=私+濁音。
② 私は=私+清音。
に於いて、
① は、② に対する、「心理的な音量差」による、「強調形」である。
然るに、
(05)
Ego te laudo,tu me non laudas.
ここで ego(私が)といい、tu(お前が)というのは、特に「自分だ、と誉めるのは自分だ」と強調したからであり、また、一方 ego 一方 tu と対象させたからである。
(村松正俊、ラテン語四週間、1951年、182頁)
cf.
laudo=I praise.
であるため、
Ego laudo. と言へば、「I(私)」を「2回」言ってゐることになり、そのため、
Ego laudo. と言へば、「I(私)」を「強調」してゐることになる。
従って、
(05)により、
(06)
① I praise(te laudo).
に於いて、
① I を「強調」すると、
① 私以外は褒めない。
といふ「命題」、すなはち、「排他的命題(Exclusive proposition)」になる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
「強調形」は、「排他的命題(A以外はBでない。)」を、「主張」する。
然るに、
(04)により、
(08)
① 私が(濁音)大野です。
② 私は(清音)大野です。
に於いて、
① の「主語」 は、
② の「主語」 に対する、「心理的な音量差」による、「強調形」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 私は(清音)大野です。
に対する、
① 私が(濁音)大野です。
といふ「日本語」は、
① 私以外は大野ではない。
といふ「意味(排他的命題)」になる。
然るに、
(10)
(a)
1 (1) 私→大野 A
2 (2) 私 A
3(3) ~大野 A
12 (4) 大野 12MPP
123(5)~大野&大野 34&I
1 3(6)~私 25RAA
1 (7)~大野→~私 37CP
1 (〃)大野でないならば、私ではない。
(b)
1 (1)~大野→~私 A
2 (2)~大野 A
3(3) 私 A
12 (4) ~私 12MPP
123(5) 私& ~私 34&I
1 3(6)~~大野 25RAA
1 3(7) 大野 6DN
1 (8) 私→大野 37CP
1 (〃)私ならば大野である。
従って、
(10)により、
(11)
① 私以外は大野ではない。
の「対偶」は、
① 大野は私である。
であって、
① 大野は私である。
の「対偶」は。
① 私以外は大野ではない。
である。
然るに、
(12)
デジタル大辞泉の解説
たい‐ぐう【対偶】
3 論理学で、「pならばqである」に対して、仮定および結論を否定し同時に両者を逆にした「qでなければpでない」という形の命題。原命題が真ならば、その対偶も必ず真となる。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① 私以外は大野ではない。
の「対偶」は、
① 大野は私である。
であって、尚且つ、「対偶」は「等しい」。
従って、
(09)~(13)により、
(14)
① 私が大野です。 といふ「命題」 は、
① 私以外は大野ではない。といふ「排他的命題」に「等しく」、
① 私以外は大野ではない。といふ「排他的命題」は、
① 大野は私です。 といふ「逆命題」 に「等しい」。
従って、
(14)により、
(15)
① 私が大野です。
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではありません。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(16)
(3)未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(15)(16)により、
(17)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
大野さんはとちらですか。
私が大野です。
それゆえ(未知と既知の故に)この形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる。
といふ、わけではない。
然るに、
(15)により、
(18)
① 象がゐる。
② ゐるのは象である。
③ 象以外はゐない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(19)
① 地球上には、象以外に、人間もゐるし、犬もゐるし、馬もゐるし、鳥もゐるし、魚もゐるし、・・・・・・。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① 象がゐる。
② ゐるのは象である。
③ 象以外はゐない。
といふのであれば、必然的に、
①(今、目の前に)象がゐる。
②(今、目の前に)ゐるのは象である。
③(今、目の前に)象以外はゐない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(15)により、
(21)
① 象が哺乳類である。
② 哺乳類は象である。
③ 象以外は哺乳類ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(22)
① 地球上には、哺乳類として、象以外に、人間もゐるし、犬もゐるし、馬もゐるし、・・・・・・。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① ゾウ(象)は、哺乳綱ゾウ目(長鼻目)ゾウ科の総称である[2][3](ウィキペディア)。
といふことを、言ひたいのであれば、
① 象が哺乳類である。
とは言はずに、
① 象は哺乳類である。
といふ風に、言はなければ、ならない。
然るに、
(24)
その一方で、
①(今、目の前に)象がゐる。象は鼻が長いなァ。
と言ふことも、可能である。
然るに、
(25)
①(今、目の前に)象がゐる。象は鼻が長いなァ。
と言ふ場合は、
①(今、目の前に)ゐる任意の象。
に関する「性質」を、
① すべての象。
に対して、「当て嵌めてゐる」と、すべきである。
然るに、
(26)
「UI(普遍量記号導入の規則)」に対する根拠でづけは、ある制限をふして、任意に選ばれた対象がある性質をもつことが示されうるならば、すべてのものはその性質をもたねばならないということである。
E.J.レモン、 竹尾治一郎・ 浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、136頁)
従って、
(24)(25)(26)により、
(27)
①(今、目の前に)ゐる象。
に関する「性質」を、
① すべての象。
に対して、「当て嵌めてゐる」と、するならば、
①(今、目の前に)象がゐる。象は鼻が長いなァ。
といふ「言ひ方」は、
①「UI(普遍量記号導入の規則)」の具体例。
である。
従って、
(23)(27)により、
(28)
① 象は哺乳類である。
② 象は鼻が長い。
に於ける、
① 象は は、「百科事典的な意味」での、「象は」であって、
② 象は も、「百科事典的な意味」での、「象は」である。はずである。
然るに、
(15)により、
(29)
① 鼻が長い。
② 長いのは鼻である。
③ 鼻以外は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(28)(29)により、
(30)
① 象は鼻が長い。
② 象で、長いのは鼻である。
③ 象は、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(31)
① 象は鼻が長い。
といふのであれば、
① 象の鼻は長い。
従って、
(30)(31)により、
(32)
① 象は鼻が長い。
② 象は鼻は長く、長いのは鼻である。
③ 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(32)により、
(33)
② と ③ を、「述語論理」で書くならば、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z( 長z →鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(34)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z( 長z →鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於ける、
② ∀z( 長z →鼻zx)}
③ ∀z(~鼻zx→~長z)}
に関しては、「対偶」である。
従って、
(12)(34)により、
(35)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z( 長z →鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
すなはち、
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zが長い ならば、zはxの鼻である。
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に於いて、たしかに、
②=③ である。
従って、
(32)~(35)により、
(36)
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(32)(35)により、
(37)
③ 鼻以外は長くない = ∀z(~鼻zx→~長z)
であるため、
④ 鼻以外は長くない。といふことはない=~∀z(~鼻zx→~長z)
然るに、
(38)
(ⅰ)
1 (1)~∀z(~鼻zx→ ~長z) A
1 (2)∃x~(~鼻zx→ ~長z) 1量化子の関係
3(3) ~(~鼻ax→ ~長a) A
3(4) ~( 鼻ax∨ ~長a) 3含意の定義
3(5) ~鼻ax&~~長a 4ド・モルガンの法則
3(6) ~鼻ax& 長a 5DN
3(7) ∃z(~鼻zx& 長z) 6EI
1 (8) ∃z(~鼻zx& 長z) 237EE
(ⅱ)
1 (1) ∃z(~鼻zx& 長z) A
2(2) ~鼻ax& 長a A
2(3) ~~(~鼻ax& 長a) 2DN
2(4) ~(~~鼻ax∨ ~長a) 3ド・モルガンの法則
2(5) ~(~鼻ax→ ~長a) 4含意の定義
2(6)∃x~(~鼻ax→ ~長a) 5EI
1 (7)∃x~(~鼻ax→ ~長a) 126EE
1 (8)~∀z(~鼻zx→ ~長z) 7量化子の関係
従って、
(38)により、
(39)
(ⅰ)~∀z(~鼻zx→~長z)
(ⅱ) ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(39)により、
(40)
(ⅰ)すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。といふわけではない。
(ⅱ)あるzは、xの鼻ではないが、zは長い。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(41)
④ 鼻以外は長くない。といふことはない。
といふことは、
④ 鼻以外も長い=鼻も長い。
といふことに、他ならない。
従って、
(36)~(41)により、
(42)
④ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
に於いて、
④=⑤ である。
従って、
(36)(42)により、
(43)
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
に於いて、
②=③ であって、
④=⑤ であるが、
②=④ ではなく、尚且つ、
②と④ は、
② ∀z(~鼻zx→~長z)}&
④ ~∀z(~鼻zx→~長z)} に於いて、「矛盾」する。
然るに、
(44)
① 私は、あなたは、好きです。
といふのであれば、
① あなた以外は好きではない。のか、
① あなた以外も好きである。 のかが、分からない。
従って、
(44)により、
(45)
① 象は鼻は長い。
といふのであれば、
① 象は、鼻以外は長くない。のか、
① 象は、鼻以外も長い。 のかが、分からない。
従って、
(43)(44)(45)により、
(46)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
に於いて、
① と「②と③」は、「矛盾」せず、
① と「④と⑤」も、「矛盾」しない。
従って、
(01)~(46)により、
(47)
① 鼻は=鼻+は(清音)。
② 鼻が=鼻+が(濁音)。
に於いて、
① に対する、② が、「心理的な音量差」による、「強調形」である。が故に、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(48)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於ける、「右辺」を見れば分かる通り、
① 象は鼻は長い。 といふ「日本語」は、
② 象は鼻が長い。 といふ「日本語」よりも、「情報量」が「少ない」。
従って、
(48)により、
(49)
実際に、
② 象は、鼻以外は長くない=∀z( 長z →鼻zx)
③ 象は、鼻以外は長くない=∀z(~鼻zx→~長z)
といふのであれば、
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ風に、言ふべきであって、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ風に、言ふべきではない。
然るに、
(50)
「象は鼻が長い」という例文
三上章は『象は鼻が長い』という本を書いて、日本語には主語がないと主張しました。「象は鼻が長い」という文の「象は」というのは主語ではなく、主題なのだという主張でした。助詞「は」がつく語は主題になります。「は」は文の区切りになるようです。「象は鼻が長い」の「象は」という主題は、「象についていうと」という意味になります。「象は」のあとに主題についての解説が続くというのが、この文の構造のようです。解説ですから、「象は」と関係があるものならよくて、論理性は問題になりません。
(投稿日: 2017年2月8日 作成者: 丸山有彦)
然るに、
(51)
「論理性は問題になりません」といふ場合の、「論理性」といふ「意味」が、私には、分からない。
然るに、
(52)
③ 象は鼻が長い ⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
然るに、
(53)
③ すべてのxについて、xが象であるならば、
といふことは、
③ すべての象について、
といふ、ことである。
従って、
(52)(53)により、
(54)
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いても、
③ 象は は、「象についていうと」といふ「意味」である。
従って、
(50)(54)により、
(55)
「象についていうと」に於ける、「象」を「主題」と呼ぶならば、「象は」はたしかに、「主題」である。
然るに、
(56)
「象は」を、「主題」と呼ぶのであれば、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ「日本語」には、
① 象は
① 鼻は
といふ、「二つの主題」が有ることになるのであるが、普通は、「主題」は、「一つの文に、一つしか無い」と思はれる。
然るに、
(57)
「象は鼻が長い」という文が大正年間から専門家を悩ませていた。「象は」も主語、「鼻が」も主語。ひとつのセンテンスに二つも主語があってはならない。しかし、この表現は誤りではない。どう説明、合理化したらよいか、というのである。うまく解決する方法は見つからなかった。戦後になって三上章という人がおもしろい説を出した。「象は」は主語ではなくて主題である。「鼻が長い」は主語と述語だというので、これなら二重主語でなくなる。主題というのは、〝 についていえば〝 のように範囲を示す、いわば副詞のようなものだと考える。副詞なら主語になれない(外山滋比古、象は鼻が長い - TranNet New Column)。
従って、
(47)(56)(57)により、
(58)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於ける、
①「二重主題」を「問題」にせずに、
②「二重主語」を「問題」にするのは、ヲカシイ。
然るに、
(59)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(60)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる少なくとも2つの箇所を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(ⅱ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、同じ変数を用いたいかなる他の量記号も含まないであろう。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
従って、
(58)(59)(60)により、
(61)
要するに、
(ⅰ)∀xのxが、「すべての括弧の中」に在るため、
③ 象は鼻が長い ⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に於いて、
③ 象は
③ ∀x{象x→
③ すべてのxについて、xが象であるならば、
といふ「意味」は、「文末」にまで、「及んでゐる」。
従って、
(50)(61)により、
(62)
「象は」が「主語」であらうと、
「象は」が「主題」であらうと、
「象は」のあとに「象」についての解説が続くというのが、この文の構造のようです。
といふのは、「正しい」。
然るに、
(63)
主語や目的語や補語、これだけは自分で考えるクセを付けて下さい。学校の先生がこれまた、考えなくとも、どんどん入れて訳してくれるんです。古文はよく、省かれているんですね。誰が、誰を、誰に、みたいなものが、日本語はよく省略されているんですけど、先生がどんどん補って下さる。で皆さんは何でその主語になるのかよくわかんないまま、またノートに、訳のところに、一生懸命、書いて覚えて、テストを受けてる。さっきも言いました。自力です。「自力で補足するです。」入試のときそばで誰も助けてくれないからですね。で実は、これが皆さんを古文嫌いにさせている、つまり、せっかく、訳ができた。単語を覚えて、Aさんがしてることを、Bさんがしたと勘違いして、変え~んな、文章にしちゃったことないですかあ。ワタシは模擬試験の時にですねえ、よく、ストーリーは、ある程度わかったのに、「やったひととやられた人を勘違い」して、もう途中で「大混乱」してですね。七行目ぐらいまで頑張って読んだのに、もう「まんなか辺」で、プチッと切れて、もうええいいや、ワケわかんなくなっちゃたといって、「放り出す」ことがよくありますけども、これ(主語・目的語・補語)を自分で意識すると、「こうやって考えながらやるんだな」って意識すると、かなり読みやすくなるんです(東進ハイスクール 荻野文子先生 - YouTube)。
といふことは、「本当」である。
従って、
(50)(57)(63)により。
(64)
三上章先生が、「日本語には、主語は無い。」と言はれようと、言はれまいと、「古文・漢文」を読解するためには、「主語」といふ「用語」を、無くすわけには、いかないはずである。
平成31年04月28日、毛利太。
(01)
① ゴジラ=濁音+濁音+ラ。
② コシラ=清音+清音+ラ。
然るに、
(02)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ゴジラ=濁音+濁音+ラ。
② コシラ=清音+清音+ラ。
に於いて、
① の方が、② よりも、「大きくて、力強い」。
従って、
(03)により、
(04)
① 私が=私+濁音。
② 私は=私+清音。
に於いて、
① は、② に対する、「心理的な音量差」による、「強調形」である。
然るに、
(05)
Ego te laudo,tu me non laudas.
ここで ego(私が)といい、tu(お前が)というのは、特に「自分だ、と誉めるのは自分だ」と強調したからであり、また、一方 ego 一方 tu と対象させたからである。
(村松正俊、ラテン語四週間、1951年、182頁)
cf.
laudo=I praise.
であるため、
Ego laudo. と言へば、「I(私)」を「2回」言ってゐることになり、そのため、
Ego laudo. と言へば、「I(私)」を「強調」してゐることになる。
従って、
(05)により、
(06)
① I praise(te laudo).
に於いて、
① I を「強調」すると、
① 私以外は褒めない。
といふ「命題」、すなはち、「排他的命題(Exclusive proposition)」になる。
従って、
(05)(06)により、
(07)
「強調形」は、「排他的命題(A以外はBでない。)」を、「主張」する。
然るに、
(04)により、
(08)
① 私が(濁音)大野です。
② 私は(清音)大野です。
に於いて、
① の「主語」 は、
② の「主語」 に対する、「心理的な音量差」による、「強調形」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 私は(清音)大野です。
に対する、
① 私が(濁音)大野です。
といふ「日本語」は、
① 私以外は大野ではない。
といふ「意味(排他的命題)」になる。
然るに、
(10)
(a)
1 (1) 私→大野 A
2 (2) 私 A
3(3) ~大野 A
12 (4) 大野 12MPP
123(5)~大野&大野 34&I
1 3(6)~私 25RAA
1 (7)~大野→~私 37CP
1 (〃)大野でないならば、私ではない。
(b)
1 (1)~大野→~私 A
2 (2)~大野 A
3(3) 私 A
12 (4) ~私 12MPP
123(5) 私& ~私 34&I
1 3(6)~~大野 25RAA
1 3(7) 大野 6DN
1 (8) 私→大野 37CP
1 (〃)私ならば大野である。
従って、
(10)により、
(11)
① 私以外は大野ではない。
の「対偶」は、
① 大野は私である。
であって、
① 大野は私である。
の「対偶」は。
① 私以外は大野ではない。
である。
然るに、
(12)
デジタル大辞泉の解説
たい‐ぐう【対偶】
3 論理学で、「pならばqである」に対して、仮定および結論を否定し同時に両者を逆にした「qでなければpでない」という形の命題。原命題が真ならば、その対偶も必ず真となる。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① 私以外は大野ではない。
の「対偶」は、
① 大野は私である。
であって、尚且つ、「対偶」は「等しい」。
従って、
(09)~(13)により、
(14)
① 私が大野です。 といふ「命題」 は、
① 私以外は大野ではない。といふ「排他的命題」に「等しく」、
① 私以外は大野ではない。といふ「排他的命題」は、
① 大野は私です。 といふ「逆命題」 に「等しい」。
従って、
(14)により、
(15)
① 私が大野です。
② 大野は私です。
③ 私以外は大野ではありません。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(16)
(3)
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(15)(16)により、
(17)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
大野さんはとちらですか。
私が大野です。
それゆえ(未知と既知の故に)この形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる。
といふ、わけではない。
然るに、
(15)により、
(18)
① 象がゐる。
② ゐるのは象である。
③ 象以外はゐない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(19)
① 地球上には、象以外に、人間もゐるし、犬もゐるし、馬もゐるし、鳥もゐるし、魚もゐるし、・・・・・・。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① 象がゐる。
② ゐるのは象である。
③ 象以外はゐない。
といふのであれば、必然的に、
①(今、目の前に)象がゐる。
②(今、目の前に)ゐるのは象である。
③(今、目の前に)象以外はゐない。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(15)により、
(21)
① 象が哺乳類である。
② 哺乳類は象である。
③ 象以外は哺乳類ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(22)
① 地球上には、哺乳類として、象以外に、人間もゐるし、犬もゐるし、馬もゐるし、・・・・・・。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① ゾウ(象)は、哺乳綱ゾウ目(長鼻目)ゾウ科の総称である[2][3](ウィキペディア)。
といふことを、言ひたいのであれば、
① 象が哺乳類である。
とは言はずに、
① 象は哺乳類である。
といふ風に、言はなければ、ならない。
然るに、
(24)
その一方で、
①(今、目の前に)象がゐる。象は鼻が長いなァ。
と言ふことも、可能である。
然るに、
(25)
①(今、目の前に)象がゐる。象は鼻が長いなァ。
と言ふ場合は、
①(今、目の前に)ゐる任意の象。
に関する「性質」を、
① すべての象。
に対して、「当て嵌めてゐる」と、すべきである。
然るに、
(26)
「UI(普遍量記号導入の規則)」に対する根拠でづけは、ある制限をふして、任意に選ばれた対象がある性質をもつことが示されうるならば、すべてのものはその性質をもたねばならないということである。
E.J.レモン、 竹尾治一郎・ 浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、136頁)
従って、
(24)(25)(26)により、
(27)
①(今、目の前に)ゐる象。
に関する「性質」を、
① すべての象。
に対して、「当て嵌めてゐる」と、するならば、
①(今、目の前に)象がゐる。象は鼻が長いなァ。
といふ「言ひ方」は、
①「UI(普遍量記号導入の規則)」の具体例。
である。
従って、
(23)(27)により、
(28)
① 象は哺乳類である。
② 象は鼻が長い。
に於ける、
① 象は は、「百科事典的な意味」での、「象は」であって、
② 象は も、「百科事典的な意味」での、「象は」である。はずである。
然るに、
(15)により、
(29)
① 鼻が長い。
② 長いのは鼻である。
③ 鼻以外は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(28)(29)により、
(30)
① 象は鼻が長い。
② 象で、長いのは鼻である。
③ 象は、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(31)
① 象は鼻が長い。
といふのであれば、
① 象の鼻は長い。
従って、
(30)(31)により、
(32)
① 象は鼻が長い。
② 象は鼻は長く、長いのは鼻である。
③ 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(32)により、
(33)
② と ③ を、「述語論理」で書くならば、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z( 長z →鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(34)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z( 長z →鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於ける、
② ∀z( 長z →鼻zx)}
③ ∀z(~鼻zx→~長z)}
に関しては、「対偶」である。
従って、
(12)(34)により、
(35)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z( 長z →鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
すなはち、
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zが長い ならば、zはxの鼻である。
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に於いて、たしかに、
②=③ である。
従って、
(32)~(35)により、
(36)
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(32)(35)により、
(37)
③ 鼻以外は長くない = ∀z(~鼻zx→~長z)
であるため、
④ 鼻以外は長くない。といふことはない=~∀z(~鼻zx→~長z)
然るに、
(38)
(ⅰ)
1 (1)~∀z(~鼻zx→ ~長z) A
1 (2)∃x~(~鼻zx→ ~長z) 1量化子の関係
3(3) ~(~鼻ax→ ~長a) A
3(4) ~( 鼻ax∨ ~長a) 3含意の定義
3(5) ~鼻ax&~~長a 4ド・モルガンの法則
3(6) ~鼻ax& 長a 5DN
3(7) ∃z(~鼻zx& 長z) 6EI
1 (8) ∃z(~鼻zx& 長z) 237EE
(ⅱ)
1 (1) ∃z(~鼻zx& 長z) A
2(2) ~鼻ax& 長a A
2(3) ~~(~鼻ax& 長a) 2DN
2(4) ~(~~鼻ax∨ ~長a) 3ド・モルガンの法則
2(5) ~(~鼻ax→ ~長a) 4含意の定義
2(6)∃x~(~鼻ax→ ~長a) 5EI
1 (7)∃x~(~鼻ax→ ~長a) 126EE
1 (8)~∀z(~鼻zx→ ~長z) 7量化子の関係
従って、
(38)により、
(39)
(ⅰ)~∀z(~鼻zx→~長z)
(ⅱ) ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(39)により、
(40)
(ⅰ)すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。といふわけではない。
(ⅱ)あるzは、xの鼻ではないが、zは長い。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(41)
④ 鼻以外は長くない。といふことはない。
といふことは、
④ 鼻以外も長い=鼻も長い。
といふことに、他ならない。
従って、
(36)~(41)により、
(42)
④ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
に於いて、
④=⑤ である。
従って、
(36)(42)により、
(43)
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
に於いて、
②=③ であって、
④=⑤ であるが、
②=④ ではなく、尚且つ、
②と④ は、
② ∀z(~鼻zx→~長z)}&
④ ~∀z(~鼻zx→~長z)} に於いて、「矛盾」する。
然るに、
(44)
① 私は、あなたは、好きです。
といふのであれば、
① あなた以外は好きではない。のか、
① あなた以外も好きである。 のかが、分からない。
従って、
(44)により、
(45)
① 象は鼻は長い。
といふのであれば、
① 象は、鼻以外は長くない。のか、
① 象は、鼻以外も長い。 のかが、分からない。
従って、
(43)(44)(45)により、
(46)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
に於いて、
① と「②と③」は、「矛盾」せず、
① と「④と⑤」も、「矛盾」しない。
従って、
(01)~(46)により、
(47)
① 鼻は=鼻+は(清音)。
② 鼻が=鼻+が(濁音)。
に於いて、
① に対する、② が、「心理的な音量差」による、「強調形」である。が故に、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑤ 象は鼻も長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(48)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於ける、「右辺」を見れば分かる通り、
① 象は鼻は長い。 といふ「日本語」は、
② 象は鼻が長い。 といふ「日本語」よりも、「情報量」が「少ない」。
従って、
(48)により、
(49)
実際に、
② 象は、鼻以外は長くない=∀z( 長z →鼻zx)
③ 象は、鼻以外は長くない=∀z(~鼻zx→~長z)
といふのであれば、
② 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z( 長z →鼻zx)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ風に、言ふべきであって、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ風に、言ふべきではない。
然るに、
(50)
「象は鼻が長い」という例文
三上章は『象は鼻が長い』という本を書いて、日本語には主語がないと主張しました。「象は鼻が長い」という文の「象は」というのは主語ではなく、主題なのだという主張でした。助詞「は」がつく語は主題になります。「は」は文の区切りになるようです。「象は鼻が長い」の「象は」という主題は、「象についていうと」という意味になります。「象は」のあとに主題についての解説が続くというのが、この文の構造のようです。解説ですから、「象は」と関係があるものならよくて、論理性は問題になりません。
(投稿日: 2017年2月8日 作成者: 丸山有彦)
然るに、
(51)
「論理性は問題になりません」といふ場合の、「論理性」といふ「意味」が、私には、分からない。
然るに、
(52)
③ 象は鼻が長い ⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
然るに、
(53)
③ すべてのxについて、xが象であるならば、
といふことは、
③ すべての象について、
といふ、ことである。
従って、
(52)(53)により、
(54)
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いても、
③ 象は は、「象についていうと」といふ「意味」である。
従って、
(50)(54)により、
(55)
「象についていうと」に於ける、「象」を「主題」と呼ぶならば、「象は」はたしかに、「主題」である。
然るに、
(56)
「象は」を、「主題」と呼ぶのであれば、
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ「日本語」には、
① 象は
① 鼻は
といふ、「二つの主題」が有ることになるのであるが、普通は、「主題」は、「一つの文に、一つしか無い」と思はれる。
然るに、
(57)
「象は鼻が長い」という文が大正年間から専門家を悩ませていた。「象は」も主語、「鼻が」も主語。ひとつのセンテンスに二つも主語があってはならない。しかし、この表現は誤りではない。どう説明、合理化したらよいか、というのである。うまく解決する方法は見つからなかった。戦後になって三上章という人がおもしろい説を出した。「象は」は主語ではなくて主題である。「鼻が長い」は主語と述語だというので、これなら二重主語でなくなる。主題というのは、〝 についていえば〝 のように範囲を示す、いわば副詞のようなものだと考える。副詞なら主語になれない(外山滋比古、象は鼻が長い - TranNet New Column)。
従って、
(47)(56)(57)により、
(58)
① 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於ける、
①「二重主題」を「問題」にせずに、
②「二重主語」を「問題」にするのは、ヲカシイ。
然るに、
(59)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
然るに、
(60)
(ⅰ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、問題になっている変数が現れる少なくとも2つの箇所を含むであろう(その1つの箇所は量記号そのもののなかにある);
(ⅱ)論理式または命題関数において、量記号が現れる任意の箇所の作用範囲は、同じ変数を用いたいかなる他の量記号も含まないであろう。
(論理学初歩、E.J.レモン、竹尾 治一郎・浅野 楢英 訳、1973年、183頁)
従って、
(58)(59)(60)により、
(61)
要するに、
(ⅰ)∀xのxが、「すべての括弧の中」に在るため、
③ 象は鼻が長い ⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であり、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に於いて、
③ 象は
③ ∀x{象x→
③ すべてのxについて、xが象であるならば、
といふ「意味」は、「文末」にまで、「及んでゐる」。
従って、
(50)(61)により、
(62)
「象は」が「主語」であらうと、
「象は」が「主題」であらうと、
「象は」のあとに「象」についての解説が続くというのが、この文の構造のようです。
といふのは、「正しい」。
然るに、
(63)
主語や目的語や補語、これだけは自分で考えるクセを付けて下さい。学校の先生がこれまた、考えなくとも、どんどん入れて訳してくれるんです。古文はよく、省かれているんですね。誰が、誰を、誰に、みたいなものが、日本語はよく省略されているんですけど、先生がどんどん補って下さる。で皆さんは何でその主語になるのかよくわかんないまま、またノートに、訳のところに、一生懸命、書いて覚えて、テストを受けてる。さっきも言いました。自力です。「自力で補足するです。」入試のときそばで誰も助けてくれないからですね。で実は、これが皆さんを古文嫌いにさせている、つまり、せっかく、訳ができた。単語を覚えて、Aさんがしてることを、Bさんがしたと勘違いして、変え~んな、文章にしちゃったことないですかあ。ワタシは模擬試験の時にですねえ、よく、ストーリーは、ある程度わかったのに、「やったひととやられた人を勘違い」して、もう途中で「大混乱」してですね。七行目ぐらいまで頑張って読んだのに、もう「まんなか辺」で、プチッと切れて、もうええいいや、ワケわかんなくなっちゃたといって、「放り出す」ことがよくありますけども、これ(主語・目的語・補語)を自分で意識すると、「こうやって考えながらやるんだな」って意識すると、かなり読みやすくなるんです(東進ハイスクール 荻野文子先生 - YouTube)。
といふことは、「本当」である。
従って、
(50)(57)(63)により。
(64)
三上章先生が、「日本語には、主語は無い。」と言はれようと、言はれまいと、「古文・漢文」を読解するためには、「主語」といふ「用語」を、無くすわけには、いかないはずである。
平成31年04月28日、毛利太。
2019年4月27日土曜日
「選言除去の規則(∨E)」について(Ⅱ)。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
最初にこれ(「選言除去の規則」についての説明)を読んでも、いったいどんな規則なのか、すぐには飲み込めないことでしょう。この規則がいわゆる「場合分けの原理」を表していることを理解する必要があります。
証明における場合わけとは?
数学の証明において、「場合分けをして証明する」ということが頻繁にあります。すなわち、証明の途中で、場合Pと場合Qのどちらかになることを示します。そして、まず、Pの場合にRが成り立つことを証明します。次に、Qの場合もRが成り立つと証明します。これによって。結局Rそのものが成り立つと結論する、という議論の仕方です。
具体例を使って解説しましょう。次のような証明問題を考えてみます。
例6.4 3で割りきれない自然数nに対して、「nの2乗」を「3で割った余り」は1であることを証明せよ。
先に解答を与えると以下です。
(解答)
3で割り切れない整数nは、3で割ると余り1または2となる。
(ⅰ)nを3で割ると、余り1の場合は、・・・・・・・。
(ⅱ)nを3で割ると、余り2の場合は、・・・・・・・。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、157・8頁改)
しかしながら、
(02)
実を言ふと、
3で割り切れない整数nは、3で割ると余り1または2となる。
(ⅰ)nを3で割ると、余り1の場合は、・・・・・・・。
(ⅱ)nを3で割ると、余り2の場合は、・・・・・・・。
といふ「説明」は、「例」としては、「3分の2」しか、「正しく」はありません。
(03)
(a)
1 (1)P&Q→R A
2 (2)P A
3(3) Q A
23(4)P&Q 23&I
123(5) R 14MPP
従って、
(03)により、
(04)
①「Pであって、Qである」ならば、 「Rである。」といふのであれば、
①「Pであって、Qである」でなければ、「Rである。」とは、言へません。
然るに、
(05)
(b)
1 (1)P∨Q→R A
2 (2)P A
2 (3)P∨Q 2∨I
12 (4) R 13MPP
(c)
1 (1)P∨Q→R A
2 (2) Q A
2 (3)P∨Q 2∨I
12 (4) R 13MPP
(d)
1 (1)P∨Q→R A
2 (2)P&Q A
2 (3)P 2&E
2 (4)P∨Q 2∨I
12 (5) R 14MPP
従って、
(05)により、
(06)
①「Pであるか、または、Qであるならば、Rである。」といふのであれば、
②「Pであって、Qでないとしても」、 「Rであり」、
③「Pでなくて、Qであるとしても」、 「Rであり」、
④「Pであって、Qであっても」、 「Rである」。
といふことに、なります。
従って、
(07)
「論理学」でいふ、「Pであるか、または、Qである」が「真」である場合には、「4-1=3通り」が有ります。
cf.
数理論理学において論理和(ろんりわ、英語: Logical disjunction)とは、与えられた複数の命題のいずれか少なくとも一つが真であることを示す論理演算である。離接(りせつ)、選言(せんげん)とも呼び、ORとよく表す(ウィキペディア)。
然るに、
(08)
3で割り切れない整数nは、3で割ると余り1または2となる。としても、
(ⅰ)nを3で割ると余りが、 1 の場合は、・・・・・・・。
(ⅱ)nを3で割ると余りが、 2 の場合は、・・・・・・・。
(ⅲ)nを3で割ると余りが、1と2の場合は、・・・・・・・。
といふことは、有り得ません。
然るに、
(09)
例へば、
(e)
1 (1)P∨Q A
2 (2)P A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨P 4∨I
であれば、
① Pから、 Q∨P を「証明」してゐて、その時点では、
② Qから Q∨P は「証明」してはゐません。
しかしながら、
(10)
1 (1)P∨Q A
2 (2)P A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨P 4∨I
であれば、
① Pから、 Q∨P を「証明」した後で、それに続けて、
② Qから Q∨P を「証明」し終へたならば、その時点では、
③ PとQから、 Q∨P を「証明」したことに、なります。
従って、
(09)(10)により、
(11)
(e)
1 (1)P∨Q A
2 (2)P A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨P 4∨I
(e)
1 (1)P∨Q A
2 (2) Q A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4)P A
4(5)Q∨P 4∨I
といふ「計算」は、その実、
① Pから、 Q∨P を「証明」し、
② Qから Q∨P を「証明」し、
③ PとQから、 Q∨P を「証明」してゐます。
従って、
(11)により、
(12)
(f)
1 (1) P∨(Q&R) A
2 (2) P A
2 (2) P∨Q 2∨I
2 (3) P∨R 2∨I
2 (4)(P∨Q)&(P∨R) 23&I
5(5) Q&R A
5(6) Q 5&E
5(7) R 5&E
5(8) P∨Q 6∨I
5(9) P∨R 7∨I
5(ア)(P∨Q)&(P∨R) 89&I
1 (イ)(P∨Q)&(P∨R) 1245ア∨E
といふ「計算」も、その実、
① Pから、 (P∨Q)&(P∨R) を「証明」し、
② Q&R から、(P∨Q)&(P∨R) を「証明」し、
③ Pと(Q&R)から、(P∨Q)&(P∨R) を「証明」してゐます。
然るに、
(13)
ちなみに、
(g)
1 (1) (P∨Q)&(P∨R) A
1 (2) P∨Q 1&E
1 (3)~~P∨Q 2DN
1 (4) ~P→Q 3含意の定義
1 (5) P∨R 1&E
1 (6) ~~P∨R 5DN
1 (7) ~P→R 6含意の定義
2(8) ~P A
12(9) Q 48MPP
12(ア) R 78MPP
12(イ) (Q&R) 9ア&I
1 (ウ) ~P→(Q&R) 8イCP
1 (エ)~~P∨(Q&R) ウ含意の定義
1 (オ) P∨(Q&R) エDN
従って、
(12)(13)により、
(14)
(f) P∨(Q&R)
(g)(P∨Q)&(P∨R)
に於いて、
(f)=(g) である。
然るに、
(15)
(f) P∨(Q&R)
(g)(P∨Q)&(P∨R)
に於いて、
(f)=(g) であることを、「加法の分配法則」と言ひ、「数式」であれば、
(f) P+(Q×R)
(g)(P+Q)×(P+R)
に相当します。
然るに、
(16)
(f) 2+(3×4) =14
(g)(2+3)×(2+4)=30
従って、
(15)(16)により、
(17)
「加法の分配法則」は、「数学」では、成立しません。
平成31年04月27日、毛利太。
(01)
最初にこれ(「選言除去の規則」についての説明)を読んでも、いったいどんな規則なのか、すぐには飲み込めないことでしょう。この規則がいわゆる「場合分けの原理」を表していることを理解する必要があります。
証明における場合わけとは?
数学の証明において、「場合分けをして証明する」ということが頻繁にあります。すなわち、証明の途中で、場合Pと場合Qのどちらかになることを示します。そして、まず、Pの場合にRが成り立つことを証明します。次に、Qの場合もRが成り立つと証明します。これによって。結局Rそのものが成り立つと結論する、という議論の仕方です。
具体例を使って解説しましょう。次のような証明問題を考えてみます。
例6.4 3で割りきれない自然数nに対して、「nの2乗」を「3で割った余り」は1であることを証明せよ。
先に解答を与えると以下です。
(解答)
3で割り切れない整数nは、3で割ると余り1または2となる。
(ⅰ)nを3で割ると、余り1の場合は、・・・・・・・。
(ⅱ)nを3で割ると、余り2の場合は、・・・・・・・。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、157・8頁改)
しかしながら、
(02)
実を言ふと、
3で割り切れない整数nは、3で割ると余り1または2となる。
(ⅰ)nを3で割ると、余り1の場合は、・・・・・・・。
(ⅱ)nを3で割ると、余り2の場合は、・・・・・・・。
といふ「説明」は、「例」としては、「3分の2」しか、「正しく」はありません。
(03)
(a)
1 (1)P&Q→R A
2 (2)P A
3(3) Q A
23(4)P&Q 23&I
123(5) R 14MPP
従って、
(03)により、
(04)
①「Pであって、Qである」ならば、 「Rである。」といふのであれば、
①「Pであって、Qである」でなければ、「Rである。」とは、言へません。
然るに、
(05)
(b)
1 (1)P∨Q→R A
2 (2)P A
2 (3)P∨Q 2∨I
12 (4) R 13MPP
(c)
1 (1)P∨Q→R A
2 (2) Q A
2 (3)P∨Q 2∨I
12 (4) R 13MPP
(d)
1 (1)P∨Q→R A
2 (2)P&Q A
2 (3)P 2&E
2 (4)P∨Q 2∨I
12 (5) R 14MPP
従って、
(05)により、
(06)
①「Pであるか、または、Qであるならば、Rである。」といふのであれば、
②「Pであって、Qでないとしても」、 「Rであり」、
③「Pでなくて、Qであるとしても」、 「Rであり」、
④「Pであって、Qであっても」、 「Rである」。
といふことに、なります。
従って、
(07)
「論理学」でいふ、「Pであるか、または、Qである」が「真」である場合には、「4-1=3通り」が有ります。
cf.
数理論理学において論理和(ろんりわ、英語: Logical disjunction)とは、与えられた複数の命題のいずれか少なくとも一つが真であることを示す論理演算である。離接(りせつ)、選言(せんげん)とも呼び、ORとよく表す(ウィキペディア)。
然るに、
(08)
3で割り切れない整数nは、3で割ると余り1または2となる。としても、
(ⅰ)nを3で割ると余りが、 1 の場合は、・・・・・・・。
(ⅱ)nを3で割ると余りが、 2 の場合は、・・・・・・・。
(ⅲ)nを3で割ると余りが、1と2の場合は、・・・・・・・。
といふことは、有り得ません。
然るに、
(09)
例へば、
(e)
1 (1)P∨Q A
2 (2)P A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨P 4∨I
であれば、
① Pから、 Q∨P を「証明」してゐて、その時点では、
② Qから Q∨P は「証明」してはゐません。
しかしながら、
(10)
1 (1)P∨Q A
2 (2)P A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨P 4∨I
であれば、
① Pから、 Q∨P を「証明」した後で、それに続けて、
② Qから Q∨P を「証明」し終へたならば、その時点では、
③ PとQから、 Q∨P を「証明」したことに、なります。
従って、
(09)(10)により、
(11)
(e)
1 (1)P∨Q A
2 (2)P A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨P 4∨I
(e)
1 (1)P∨Q A
2 (2) Q A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4)P A
4(5)Q∨P 4∨I
といふ「計算」は、その実、
① Pから、 Q∨P を「証明」し、
② Qから Q∨P を「証明」し、
③ PとQから、 Q∨P を「証明」してゐます。
従って、
(11)により、
(12)
(f)
1 (1) P∨(Q&R) A
2 (2) P A
2 (2) P∨Q 2∨I
2 (3) P∨R 2∨I
2 (4)(P∨Q)&(P∨R) 23&I
5(5) Q&R A
5(6) Q 5&E
5(7) R 5&E
5(8) P∨Q 6∨I
5(9) P∨R 7∨I
5(ア)(P∨Q)&(P∨R) 89&I
1 (イ)(P∨Q)&(P∨R) 1245ア∨E
といふ「計算」も、その実、
① Pから、 (P∨Q)&(P∨R) を「証明」し、
② Q&R から、(P∨Q)&(P∨R) を「証明」し、
③ Pと(Q&R)から、(P∨Q)&(P∨R) を「証明」してゐます。
然るに、
(13)
ちなみに、
(g)
1 (1) (P∨Q)&(P∨R) A
1 (2) P∨Q 1&E
1 (3)~~P∨Q 2DN
1 (4) ~P→Q 3含意の定義
1 (5) P∨R 1&E
1 (6) ~~P∨R 5DN
1 (7) ~P→R 6含意の定義
2(8) ~P A
12(9) Q 48MPP
12(ア) R 78MPP
12(イ) (Q&R) 9ア&I
1 (ウ) ~P→(Q&R) 8イCP
1 (エ)~~P∨(Q&R) ウ含意の定義
1 (オ) P∨(Q&R) エDN
従って、
(12)(13)により、
(14)
(f) P∨(Q&R)
(g)(P∨Q)&(P∨R)
に於いて、
(f)=(g) である。
然るに、
(15)
(f) P∨(Q&R)
(g)(P∨Q)&(P∨R)
に於いて、
(f)=(g) であることを、「加法の分配法則」と言ひ、「数式」であれば、
(f) P+(Q×R)
(g)(P+Q)×(P+R)
に相当します。
然るに、
(16)
(f) 2+(3×4) =14
(g)(2+3)×(2+4)=30
従って、
(15)(16)により、
(17)
「加法の分配法則」は、「数学」では、成立しません。
平成31年04月27日、毛利太。
「選言除去の規則(∨E)」について。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
正確に述べようとすると複雑であるが、「選言除去の規則(∨E)」は、全く自然の推論の原理に合致している。AあるいはBである、すなわちAあるいはBの一方が真であるとし、またAを仮定すればCが真であることが示しうる。すなわちAが成り立てばCが成り立つとし、またBという仮定からもやはりCが成り立つことを示しうる、すなわちBが成り立てばCもまた成り立つ、としよう、そうすれば、いずれにせよCは成り立つ(論理学初歩、E.J.レモン 著、 竹尾治一郎 ・浅野楢英 訳、1973年、30頁)。
(02)
P=今日は晴天である。
Q=今日は雨天である。
R=今日は日曜である。
とする。
然るに、
(03)
(a)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
23 (5)(P&R)∨(Q&R) 4∨I
6(6) Q A
2 6(7) Q&R 26&I
2 6(8)(P&R)∨(Q&R) 7∨I
12 (9)(P&R)∨(Q&R) 13568∨E
(b)
1 (1)(P&R)∨(Q&R) A
2 (2) P&R A
2 (3) P 2&E
2 (4) P∨Q 3∨I
5 (5) Q&R A
5 (6) Q 5&E
5 (7) P∨Q 6∨I
1 (8) P∨Q 12457EE
2 (9) R 2&E
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
(1)今日は晴天であるか、または、今日は雨天である=P∨Q。
(2)今日は日曜である=R
といふ「仮定」から、
(9)今日は晴天の日曜であるか、または、今日は雨天の日曜である=(P&R)∨(Q&R)。
といふ「結論」が、「選言除去の規則(∨E)」によって、導かれ、尚且つ、「逆もまた、正しい」。
然るに、
(05)
(c)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
5(5) Q A*
2 5(6) Q&R 35&I
235(7)(P&R)&(Q&R) 46&I
235(8)(P&R)&(Q&R) 46&I
12 (9)(P&R)&(Q&R) 13758∨E
といふ「計算」が、「正しい」とする。
従って、
(05)により、
(06)
(1)今日は晴天であるか、または、今日は雨天である=P∨Q。
(2)今日は日曜である=R。
といふ「仮定」から、
(9)今日は晴天の日曜であり、尚且つ、今日は雨天の日曜である=(P&R)&(Q&R)。
といふ「結論」が、「選言除去の規則(∨E)」によって、導かれる。
然るに、
(07)
(1)今日は晴天であるか、または、今日は雨天である=P∨Q。
(2)今日は日曜である=R
といふ「仮定」から、
(9)今日は晴天の日曜であり、尚且つ、今日は雨天の日曜である=(P&R)&(Q&R)。
といふ「結論」は、「導出(deduce)」出来ない。
然るに、
(08)
(a)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
23 (5)(P&R)∨(Q&R) 4∨I
6(6) Q A
2 6(7) Q&R 26&I
2 6(8)(P&R)∨(Q&R) 7∨I
12 (9)(P&R)∨(Q&R) 13568∨E
の場合は、
3 (3) P A
といふ「仮定α」から、
23 (5)(P&R)∨(Q&R) 4∨I
といふ「結論γ」を、得た後の「段階」で、
6(6) Q A
といふ「仮定β」を仮定し、その、
6(6) Q A
といふ「仮定β」から、
2 6(8)(P&R)∨(Q&R) 7∨I
といふ「結論γ」を得てゐる。
従って、
(08)により、
(09)
(a)の場合は、
「P(仮定α)」そのものから、「結論γ」を得た後で、
「Q(仮定β)」そのものから、「結論γ」を得てゐる。
然るに、
(10)
(c)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
5(5) Q A*
2 5(6) Q&R 35&I
235(7)(P&R)&(Q&R) 46&I
235(8)(P&R)&(Q&R) 46&I
12 (9)(P&R)&(Q&R) 13758∨E
の場合は、
3 (3) P A
といふ「仮定α」から、
235(7)(P&R)&(Q&R) 46&I
といふ「結論γ」を、得る前の「段階」で、
5(5) Q A*
といふ「仮定β」を仮定し、尚且つ、その「仮定β」を、
2 5(6) Q&R 35&I
といふ「形」で、用ひてゐる。
従って、
(11)
(c)の場合は、
「P(仮定α)」そのものから、「結論γ」を得た後で、
「Q(仮定β)」そのものから、「結論γ」を得てゐる。
のではなく、
「P(仮定α)」と
「Q(仮定β)」の、両方を用ひて、「結論γ」を得てゐる。
従って、
(10)(11)により、
(12)
(c)の場合は、実際には、
(d)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P&Q A*
4 (4) P A
2 4 (5) P&R 24&I
3 (6) Q 3&E
23 (7) Q&R 26&I
234 (8)(P&R)&(Q&R) 57&I
9(9) Q A*
2 9(ア) Q&R 29&I
2 49(イ)(P&R)&(Q&R) 5ア&I
123 (ウ)(P&R)&(Q&R) 1489イEE
といふ「計算」を行ってゐるのに「等しい」。
従って、
(10)(12)により、
(13)
(c)は、
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
といふ「仮定」を、
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3(3) P&Q A
といふ風に、「改ざん」してゐる。
従って、
(03)(05)(13)により、
(14)
(a)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
23 (5)(P&R)∨(Q&R) 4∨I
6(6) Q A
2 6(7) Q&R 26&I
2 6(8)(P&R)∨(Q&R) 7∨I
12 (9)(P&R)∨(Q&R) 13568∨E
といふ「選言除去の規則(∨E)」の「適用」は、「正しく」、
(c)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
5(5) Q A*
2 5(6) Q&R 35&I
235(7)(P&R)&(Q&R) 46&I
235(8)(P&R)&(Q&R) 46&I
12 (9)(P&R)&(Q&R) 13758∨E
といふ「選言除去の規則(∨E)」の「適用」は、「正しくない」。
平成31年04月27日、毛利太。
(01)
正確に述べようとすると複雑であるが、「選言除去の規則(∨E)」は、全く自然の推論の原理に合致している。AあるいはBである、すなわちAあるいはBの一方が真であるとし、またAを仮定すればCが真であることが示しうる。すなわちAが成り立てばCが成り立つとし、またBという仮定からもやはりCが成り立つことを示しうる、すなわちBが成り立てばCもまた成り立つ、としよう、そうすれば、いずれにせよCは成り立つ(論理学初歩、E.J.レモン 著、 竹尾治一郎 ・浅野楢英 訳、1973年、30頁)。
(02)
P=今日は晴天である。
Q=今日は雨天である。
R=今日は日曜である。
とする。
然るに、
(03)
(a)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
23 (5)(P&R)∨(Q&R) 4∨I
6(6) Q A
2 6(7) Q&R 26&I
2 6(8)(P&R)∨(Q&R) 7∨I
12 (9)(P&R)∨(Q&R) 13568∨E
(b)
1 (1)(P&R)∨(Q&R) A
2 (2) P&R A
2 (3) P 2&E
2 (4) P∨Q 3∨I
5 (5) Q&R A
5 (6) Q 5&E
5 (7) P∨Q 6∨I
1 (8) P∨Q 12457EE
2 (9) R 2&E
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
(1)今日は晴天であるか、または、今日は雨天である=P∨Q。
(2)今日は日曜である=R
といふ「仮定」から、
(9)今日は晴天の日曜であるか、または、今日は雨天の日曜である=(P&R)∨(Q&R)。
といふ「結論」が、「選言除去の規則(∨E)」によって、導かれ、尚且つ、「逆もまた、正しい」。
然るに、
(05)
(c)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
5(5) Q A*
2 5(6) Q&R 35&I
235(7)(P&R)&(Q&R) 46&I
235(8)(P&R)&(Q&R) 46&I
12 (9)(P&R)&(Q&R) 13758∨E
といふ「計算」が、「正しい」とする。
従って、
(05)により、
(06)
(1)今日は晴天であるか、または、今日は雨天である=P∨Q。
(2)今日は日曜である=R。
といふ「仮定」から、
(9)今日は晴天の日曜であり、尚且つ、今日は雨天の日曜である=(P&R)&(Q&R)。
といふ「結論」が、「選言除去の規則(∨E)」によって、導かれる。
然るに、
(07)
(1)今日は晴天であるか、または、今日は雨天である=P∨Q。
(2)今日は日曜である=R
といふ「仮定」から、
(9)今日は晴天の日曜であり、尚且つ、今日は雨天の日曜である=(P&R)&(Q&R)。
といふ「結論」は、「導出(deduce)」出来ない。
然るに、
(08)
(a)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
23 (5)(P&R)∨(Q&R) 4∨I
6(6) Q A
2 6(7) Q&R 26&I
2 6(8)(P&R)∨(Q&R) 7∨I
12 (9)(P&R)∨(Q&R) 13568∨E
の場合は、
3 (3) P A
といふ「仮定α」から、
23 (5)(P&R)∨(Q&R) 4∨I
といふ「結論γ」を、得た後の「段階」で、
6(6) Q A
といふ「仮定β」を仮定し、その、
6(6) Q A
といふ「仮定β」から、
2 6(8)(P&R)∨(Q&R) 7∨I
といふ「結論γ」を得てゐる。
従って、
(08)により、
(09)
(a)の場合は、
「P(仮定α)」そのものから、「結論γ」を得た後で、
「Q(仮定β)」そのものから、「結論γ」を得てゐる。
然るに、
(10)
(c)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
5(5) Q A*
2 5(6) Q&R 35&I
235(7)(P&R)&(Q&R) 46&I
235(8)(P&R)&(Q&R) 46&I
12 (9)(P&R)&(Q&R) 13758∨E
の場合は、
3 (3) P A
といふ「仮定α」から、
235(7)(P&R)&(Q&R) 46&I
といふ「結論γ」を、得る前の「段階」で、
5(5) Q A*
といふ「仮定β」を仮定し、尚且つ、その「仮定β」を、
2 5(6) Q&R 35&I
といふ「形」で、用ひてゐる。
従って、
(11)
(c)の場合は、
「P(仮定α)」そのものから、「結論γ」を得た後で、
「Q(仮定β)」そのものから、「結論γ」を得てゐる。
のではなく、
「P(仮定α)」と
「Q(仮定β)」の、両方を用ひて、「結論γ」を得てゐる。
従って、
(10)(11)により、
(12)
(c)の場合は、実際には、
(d)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P&Q A*
4 (4) P A
2 4 (5) P&R 24&I
3 (6) Q 3&E
23 (7) Q&R 26&I
234 (8)(P&R)&(Q&R) 57&I
9(9) Q A*
2 9(ア) Q&R 29&I
2 49(イ)(P&R)&(Q&R) 5ア&I
123 (ウ)(P&R)&(Q&R) 1489イEE
といふ「計算」を行ってゐるのに「等しい」。
従って、
(10)(12)により、
(13)
(c)は、
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
といふ「仮定」を、
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3(3) P&Q A
といふ風に、「改ざん」してゐる。
従って、
(03)(05)(13)により、
(14)
(a)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
23 (5)(P&R)∨(Q&R) 4∨I
6(6) Q A
2 6(7) Q&R 26&I
2 6(8)(P&R)∨(Q&R) 7∨I
12 (9)(P&R)∨(Q&R) 13568∨E
といふ「選言除去の規則(∨E)」の「適用」は、「正しく」、
(c)
1 (1) P∨Q A
2 (2) R A
3 (3) P A
23 (4) P&R 23&I
5(5) Q A*
2 5(6) Q&R 35&I
235(7)(P&R)&(Q&R) 46&I
235(8)(P&R)&(Q&R) 46&I
12 (9)(P&R)&(Q&R) 13758∨E
といふ「選言除去の規則(∨E)」の「適用」は、「正しくない」。
平成31年04月27日、毛利太。
2019年4月26日金曜日
「選言導入の規則(∨I)」は「不自然」ではない(Ⅳ)。
―「先ほどの記事」の「続き」を書きます。―
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(27)
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1∨I
といふ「推論」を、「不自然」であると、思ふのであれば、
1(2)の左には、
1 しかない。
といふことは、
1の行 は、 「真 」であるが、
1の行 以外の「真偽」は、
1の行 に「依存」する。
といふことを、「意味」してゐる。
といふことを、「教へられてゐない」か、「忘れてゐる」の、どちらかである。
従って、
(27)により、
(28)
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1選言導入の規則
であれば、
1(2)ソクラテスは人間である。
までが、「確実」に「真」であり、
1(2) 豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。
といふ「部分」に関しては、「真」であるかどうか、分からない。
といふ、ことになる。
従って、
(28)により、
(29)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨I
に於いて、
1(2)の左には、
1 しかない。
といふことは、
1の行 は、 「真 」であるが、
1の行 以外の「真偽」は、
1の行 に「依存」する。
といふことからすれば、
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1選言導入の規則
といふ「推論」は、初めから、
1(1) ソクラテスは人間である。 A
1(2)従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。 1選言導入の規則
といふ「意味」であった。といふことになる。
従って、
(29)により、
(30)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨
1(3)P∨Q∨R 1∨
1(4)P∨Q∨R∨S 1∨
1(5)P∨Q∨R∨S∨T 1∨
1(6)P∨Q∨R∨S∨T∨U 1∨
といふ具合に、「いくらでも、無限に、選言肢を加へること」が出来、尚且つ、「これらの選言枝」は、「真」であっても、「偽」であっても、かまはない。
然るに、
(31)
1(1)P A
(2)P→P 11CP
(〃)PであるならばPである。 は、トートロジーである。
cf.
トートロジー(tautology)
文法的には同じ語の無意味な反復をいうが,論理学では,経験的知識の内容とはかかわりなく,必然的に真として成立する命題,ないしその関数関係をいう。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
然るに、
(32)
1(1) P A
1(2) P∨~P ∨I
1(3)~P∨ P 2交換法則
1(4) P→ P 3含意の定義
(5) P→(P→P) 14CP
(〃)Pであるならば(PであるならばPである)。 は、トートロジーである。
従って、
(31)(32)により、
(33)
① PであるならばPである。
② Pであるならば(PであるならばPである)。
に於いて、
① は、トートロジーであり、
② も、トートロジーであるが、
② を「証明」するためには、「選言導入の規則(∨I)」を、「必要」とする。
(34)
(ⅰ)
1 (1)P∨Q A
2 (2)P A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨P 2∨I
1 (6)Q∨P 12345∨E
(ⅱ)
1 (1)Q∨P A
2 (2)Q A
2 (3)P∨Q 2∨I
4(4) P A
4(5)P∨Q 2∨I
1 (6)P∨Q 12345∨E
従って、
(34)により、
(35)
③ P∨Q
④ Q∨P
に於いて、すなはち、
③ Pであるか、Qである。
④ Qであるか、Pである。
に於いて、
③=④ である。
といふ「交換法則」を「照明」するためにも、「選言導入の規則(∨I)」を、「必要」とする。
cf.
③ 1+2=3
④ 2+1=3
然るに、
(36)
(ⅰ)
1 (1)P∨(Q∨R) A
2 (2)P A
2 (3)P∨R 2∨I
2 (4)Q∨(P∨R) 3∨I
5 (5) Q∨R A
6 (6) Q A
6 (7)Q∨(P∨R) 6∨I
8(8) R A
8(9) P∨R 8∨I
8(ア)Q∨(P∨R) 9∨I
5 (イ)Q∨(P∨R) 5678ア∨E
1 (ウ)Q∨(P∨R) 1245イ∨E
(ⅱ)
1 (1)Q∨(P∨R) A
2 (2)Q A
2 (3)Q∨R 2∨I
2 (4)P∨(Q∨R) 3∨I
5 (5) P∨R A
6 (6) P A
6 (7)P∨(Q∨R) 6∨I
8(8) R A
8(9) Q∨R 8∨I
8(ア)P∨(Q∨R) 9∨I
5 (イ)P∨(Q∨R) 5678ア∨E
1 (ウ)P∨(Q∨R) 1245イ∨E
従って、
(36)により、
(37)
⑤ P∨(Q∨R)
⑥ Q∨(P∨R)
に於いて、すなはち、
⑤ Pであるか(Qであるか、Rである)。
⑥ Qであるか(Pであるか、Rである)。
に於いて、
⑤=⑥ である。
といふ「交換法則」を「照明」するためにも、「選言導入の規則(∨I)」を、「必要」とする。
cf.
⑤ 1+(2+3)=6
⑥ 2+(1+3)=6
(38)
(ⅰ)
1 (1) P&(Q∨R) A
1 (2) P 1&E
1 (3) Q∨R 1&E
4 (4) Q A
14 (5) P&Q 24&I
14 (6)(P&Q)∨(P&R) 5∨I
7(7) R A
1 7(8) P&R 27&I
1 7(9)(P&Q)∨(P&R) 8∨I
1 (ア)(P&Q)∨(P&R) 34679EE
(ⅱ)
1 (1)(P&Q)∨(P&R) A
2 (2)(P&Q) A
2 (3) P 2&E
2 (4) Q 2&E
2 (5) Q∨R 4∨I
2 (6) P&(Q∨R) 35&I
7(7) (P&R) A
7(8) P 7&E
7(9) R 7&E
7(ア) Q∨R 9∨I
7(イ) P&(Q∨R) 8ア&I
1 (ウ) P&(Q∨R) 1267イEE
従って、
(38)により、
(39)
⑦ P&(Q∨R)
⑧ (P&Q)∨(P&R)
に於いて、すなはち、
⑦ Pであって(Qであるか、Rである)。
⑧(PであってQである)か、(PであってRである)。
といふ「分配法則」を「照明」するためにも、「選言導入の規則(∨I)」を、「必要」とする。
cf.
⑦ 2×(3+4) =14
⑧(2×3)+(2×4)=14
従って、
(33)~(39)により、
(40)
「選言導入の規則(∨I)」を認めなければ、「自然演繹(Natural deduction)」は、成り立たない。
cf.
自然演繹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
自然演繹(しぜんえんえき、英: Natural deduction)は、「自然な」ものとしての論理的推論の形式的モデルを提供する証明理論の手法であり、哲学的論理学の用語である。
従って、
(29)(40)により、
(41)
例へば、
1(1) ソクラテスは人間である。 A
1(2)従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。 1選言導入の規則
といふ、「選言導入の規則(∨I)」を認めなければ、「自然演繹(Natural deduction)」自体が、成り立たない。
従って、
(28)(41)により、
(42)
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1選言導入の規則
といふ「選言導入の規則(∨I)」に対して、「疑念」を持ってゐるのであれば、「自然演繹(Natural deduction)」自体に、「疑念」を持ったまま、例へば、
1 (1)P∨(Q∨R) A
2 (2)P A
2 (3)P∨R 2∨I
2 (4)Q∨(P∨R) 3∨I
5 (5) Q∨R A
6 (6) Q A
6 (7)Q∨(P∨R) 6∨I
8(8) R A
8(9) P∨R 8∨I
8(ア)Q∨(P∨R) 9∨I
5 (イ)Q∨(P∨R) 5678ア∨E
1 (ウ)Q∨(P∨R) 1245イ∨E
といふ「計算(Proposition calculation)」を、行ってゐることになる。
然るに、
(43)
幸いなことに、今や、私自身は、「選言導入の規則(∨I)」に対して、「何らの、疑念」も、持ってはゐない。
(44)
1(1) ソクラテスは人間である。 A
1(2)従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。 1選言導入の規則
といふ「推論(inference)」は、どう考へても、「自然(Natural)」であり、「妥当(valid)」である。
平成31年04月26日、毛利太。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(27)
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1∨I
といふ「推論」を、「不自然」であると、思ふのであれば、
1(2)の左には、
1 しかない。
といふことは、
1の行 は、 「真 」であるが、
1の行 以外の「真偽」は、
1の行 に「依存」する。
といふことを、「意味」してゐる。
といふことを、「教へられてゐない」か、「忘れてゐる」の、どちらかである。
従って、
(27)により、
(28)
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1選言導入の規則
であれば、
1(2)ソクラテスは人間である。
までが、「確実」に「真」であり、
1(2) 豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。
といふ「部分」に関しては、「真」であるかどうか、分からない。
といふ、ことになる。
従って、
(28)により、
(29)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨I
に於いて、
1(2)の左には、
1 しかない。
といふことは、
1の行 は、 「真 」であるが、
1の行 以外の「真偽」は、
1の行 に「依存」する。
といふことからすれば、
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1選言導入の規則
といふ「推論」は、初めから、
1(1) ソクラテスは人間である。 A
1(2)従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。 1選言導入の規則
といふ「意味」であった。といふことになる。
従って、
(29)により、
(30)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨
1(3)P∨Q∨R 1∨
1(4)P∨Q∨R∨S 1∨
1(5)P∨Q∨R∨S∨T 1∨
1(6)P∨Q∨R∨S∨T∨U 1∨
といふ具合に、「いくらでも、無限に、選言肢を加へること」が出来、尚且つ、「これらの選言枝」は、「真」であっても、「偽」であっても、かまはない。
然るに、
(31)
1(1)P A
(2)P→P 11CP
(〃)PであるならばPである。 は、トートロジーである。
cf.
トートロジー(tautology)
文法的には同じ語の無意味な反復をいうが,論理学では,経験的知識の内容とはかかわりなく,必然的に真として成立する命題,ないしその関数関係をいう。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
然るに、
(32)
1(1) P A
1(2) P∨~P ∨I
1(3)~P∨ P 2交換法則
1(4) P→ P 3含意の定義
(5) P→(P→P) 14CP
(〃)Pであるならば(PであるならばPである)。 は、トートロジーである。
従って、
(31)(32)により、
(33)
① PであるならばPである。
② Pであるならば(PであるならばPである)。
に於いて、
① は、トートロジーであり、
② も、トートロジーであるが、
② を「証明」するためには、「選言導入の規則(∨I)」を、「必要」とする。
(34)
(ⅰ)
1 (1)P∨Q A
2 (2)P A
2 (3)Q∨P 2∨I
4(4) Q A
4(5)Q∨P 2∨I
1 (6)Q∨P 12345∨E
(ⅱ)
1 (1)Q∨P A
2 (2)Q A
2 (3)P∨Q 2∨I
4(4) P A
4(5)P∨Q 2∨I
1 (6)P∨Q 12345∨E
従って、
(34)により、
(35)
③ P∨Q
④ Q∨P
に於いて、すなはち、
③ Pであるか、Qである。
④ Qであるか、Pである。
に於いて、
③=④ である。
といふ「交換法則」を「照明」するためにも、「選言導入の規則(∨I)」を、「必要」とする。
cf.
③ 1+2=3
④ 2+1=3
然るに、
(36)
(ⅰ)
1 (1)P∨(Q∨R) A
2 (2)P A
2 (3)P∨R 2∨I
2 (4)Q∨(P∨R) 3∨I
5 (5) Q∨R A
6 (6) Q A
6 (7)Q∨(P∨R) 6∨I
8(8) R A
8(9) P∨R 8∨I
8(ア)Q∨(P∨R) 9∨I
5 (イ)Q∨(P∨R) 5678ア∨E
1 (ウ)Q∨(P∨R) 1245イ∨E
(ⅱ)
1 (1)Q∨(P∨R) A
2 (2)Q A
2 (3)Q∨R 2∨I
2 (4)P∨(Q∨R) 3∨I
5 (5) P∨R A
6 (6) P A
6 (7)P∨(Q∨R) 6∨I
8(8) R A
8(9) Q∨R 8∨I
8(ア)P∨(Q∨R) 9∨I
5 (イ)P∨(Q∨R) 5678ア∨E
1 (ウ)P∨(Q∨R) 1245イ∨E
従って、
(36)により、
(37)
⑤ P∨(Q∨R)
⑥ Q∨(P∨R)
に於いて、すなはち、
⑤ Pであるか(Qであるか、Rである)。
⑥ Qであるか(Pであるか、Rである)。
に於いて、
⑤=⑥ である。
といふ「交換法則」を「照明」するためにも、「選言導入の規則(∨I)」を、「必要」とする。
cf.
⑤ 1+(2+3)=6
⑥ 2+(1+3)=6
(38)
(ⅰ)
1 (1) P&(Q∨R) A
1 (2) P 1&E
1 (3) Q∨R 1&E
4 (4) Q A
14 (5) P&Q 24&I
14 (6)(P&Q)∨(P&R) 5∨I
7(7) R A
1 7(8) P&R 27&I
1 7(9)(P&Q)∨(P&R) 8∨I
1 (ア)(P&Q)∨(P&R) 34679EE
(ⅱ)
1 (1)(P&Q)∨(P&R) A
2 (2)(P&Q) A
2 (3) P 2&E
2 (4) Q 2&E
2 (5) Q∨R 4∨I
2 (6) P&(Q∨R) 35&I
7(7) (P&R) A
7(8) P 7&E
7(9) R 7&E
7(ア) Q∨R 9∨I
7(イ) P&(Q∨R) 8ア&I
1 (ウ) P&(Q∨R) 1267イEE
従って、
(38)により、
(39)
⑦ P&(Q∨R)
⑧ (P&Q)∨(P&R)
に於いて、すなはち、
⑦ Pであって(Qであるか、Rである)。
⑧(PであってQである)か、(PであってRである)。
といふ「分配法則」を「照明」するためにも、「選言導入の規則(∨I)」を、「必要」とする。
cf.
⑦ 2×(3+4) =14
⑧(2×3)+(2×4)=14
従って、
(33)~(39)により、
(40)
「選言導入の規則(∨I)」を認めなければ、「自然演繹(Natural deduction)」は、成り立たない。
cf.
自然演繹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
自然演繹(しぜんえんえき、英: Natural deduction)は、「自然な」ものとしての論理的推論の形式的モデルを提供する証明理論の手法であり、哲学的論理学の用語である。
従って、
(29)(40)により、
(41)
例へば、
1(1) ソクラテスは人間である。 A
1(2)従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。 1選言導入の規則
といふ、「選言導入の規則(∨I)」を認めなければ、「自然演繹(Natural deduction)」自体が、成り立たない。
従って、
(28)(41)により、
(42)
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1選言導入の規則
といふ「選言導入の規則(∨I)」に対して、「疑念」を持ってゐるのであれば、「自然演繹(Natural deduction)」自体に、「疑念」を持ったまま、例へば、
1 (1)P∨(Q∨R) A
2 (2)P A
2 (3)P∨R 2∨I
2 (4)Q∨(P∨R) 3∨I
5 (5) Q∨R A
6 (6) Q A
6 (7)Q∨(P∨R) 6∨I
8(8) R A
8(9) P∨R 8∨I
8(ア)Q∨(P∨R) 9∨I
5 (イ)Q∨(P∨R) 5678ア∨E
1 (ウ)Q∨(P∨R) 1245イ∨E
といふ「計算(Proposition calculation)」を、行ってゐることになる。
然るに、
(43)
幸いなことに、今や、私自身は、「選言導入の規則(∨I)」に対して、「何らの、疑念」も、持ってはゐない。
(44)
1(1) ソクラテスは人間である。 A
1(2)従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。 1選言導入の規則
といふ「推論(inference)」は、どう考へても、「自然(Natural)」であり、「妥当(valid)」である。
平成31年04月26日、毛利太。
「選言導入の規則(∨I)」は「不自然」ではない(Ⅲ)。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
1 (1)P A
2(2)P→Q A
12(3) Q 12MPP
といふ「推論」は、
すなはち、
1 (1)Pである。 と「仮定」する。
2(2)PならばQである。 と「仮定」する。
12(3) Qである。 12MPP
といふ「推論」は、
(1)が「真」であって、
(2)も「真」であれば、必然的に、
(3)は「真」である。
といふ、「意味」である。
然るに、
(02)
① P(真)→Q(真)
② P(真)→Q(偽)
に於いて、
① は、「真」であるが、
② は、「偽」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
たしかに、
1 (1)P A
2(2)P→Q A
12(3) Q 12MPP
に於いて、
(1)が「真」であって、
(2)も「真」であれば、必然的に、
(3)は「真」である。
然るに、
(04)
1(1) P A
1(2) P∨Q 1∨I
(3) P→(P∨Q) 12CP
(4)~P∨(P∨Q) 3含意の定義
(5)(~P∨P)∨Q 結合法則
(05)
1(1)P A
1(2)P∨~Q 1∨I
(3)P→(P∨~Q) 12CP
(4)~P∨P∨~Q 3含意の定義
(5)(~P∨P)∨~Q 結合法則
従って、
(04)(05)により、
(06)
③ P→(P∨ Q)=Pであるならば(Pであるか、Qである)。
④ P→(P∨~Q)=Pであるならば(Pであるか、Qでない)。
に於いて、
③ は、「常に真(トートロジー)」であって、
④ も、「常に真(トートロジー)」である。
然るに、
(07)
③ Pであるならば(Pであるか、Qである)。
④ Pであるならば(Pであるか、Qでない)。
に於いて、
③ は、「常に真(トートロジー)」であって、それと同時に、
④ も、「常に真(トートロジー)」である。
といふことは、
④ Pであるならば(Pであるか、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
といふことに、他ならない。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨I
1(3)P&(P∨Q) 12&I
(ⅱ)
1(1)P&(P∨Q) A
1(2)P 1&E
従って、
(09)
(ⅰ)P
(ⅱ)P&(P∨Q)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(09)により、
(10)
⑤ P⇔P&(P∨Q)
⑤ Pならば、そのときに限って、Pであって(Pであるか、Qである)。
然るに、
(11)
⑤ P⇔P&(P∨Q) は、
⑤ 真⇔真&(真∨真) だけでなく、
⑤ 真⇔真&(真∨偽) であっても、「真」である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑤ Pであるならば、そのときに限って、Pであって(Pであるか、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
然るに、
(13)
(ⅰ)
1 (1)P A
1 (2)P∨(P&Q) 1∨I
(ⅱ)
1 (1)P∨(P&Q) A
2 (2)P A
3(3) P&Q 1&E
3(4) P 3&E
1 (5)P 12234∨E
従って、
(13)により、
(14)
(ⅰ)P
(ⅱ)P∨(P&Q)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(14)により、
(15)
⑥ P⇔P∨(P&Q)
⑥ Pであるならば、そのときに限って、Pであるか(Pであって、Qである)。
然るに、
(16)
⑥ P⇔P∨(P&Q) は、
⑥ 真⇔真∨(真&真) だけでなく、
⑥ 真⇔真∨(真&偽) であっても、「真」である。
従って、
(15)(16)により、
(17)
⑥ Pであるならば、そのときに限って、Pであるか(Pであって、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
従って、
(04)(07)(12)(17)により、
(18)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1選言導入の規則
であるとして、すなはち、
1(1)Pである。 と「仮定」すると、それだけで、
1(2)Pであるか、Qである。 としても、
④ Pであるならば(Pであるか、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
⑤ Pであるならば、そのときに限って、Pであって(Pであるか、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
⑥ Pであるならば、そのときに限って、Pであるか(Pであって、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
といふ、ことになる。
従って、
(19)
1(1)Pである。 と「仮定」すると、それだけで、
1(2)Pであるか、Qである。 としても、Pではあるが、Qであるかどうかは、「不明」である。
とするのが、「選言導入の規則(∨I)」である。といふ、ことになる。
然るに、
(20)
この規則は、推論の中で意識されることがおおよそないといえます。「彼女は背が高い」という主張をPとしましょう。すると、このPから「彼女は背が高い または 彼女は美人だ」が導けます。この場合、主張Qは「彼女は美人だ」に対応しています。しかし、「彼女は背が高い」がわかっているのに、わざわざ、「彼女は背が高い または 彼女は美人だ」とつなげる場面は普通の会話ではあまりないでしょう。数学の証明でも、これが使われる場面はほとんど見かけないような気がします(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、156頁)。
然るに、
(21)
「彼女は背が高い または 彼女は美人だ。」といふ会話は、ともかく、
「彼女は背が高い が、彼女が美人であるかどうかは分からない。」といふ会話であれば、「普通」である。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
1(1)Pである。 と「仮定」すると、それだけで、
1(2)Pであるか、Qである。 としても、Pではあるが、Qであるかどうかは、「不明」である。
とする、「選言導入の規則(∨I)」は、「少しも、不自然」ではない。
(23)
(ⅰ)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨I
に於ける。
1(2)P∨Q 1∨I
に於いて、
1(2)の左には、
1 しかない。
然るに、
(23)により、
(24)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨I
に於いて、
1(2)の左には、
1 しかない。
といふことは、
1の行 は、 「真 」であるが、
1の行 以外の「真偽」は、
1の行 に「依存」する。
といふことを、「意味」してゐる。
(25)
1(1)Socrates is a man. A
1(2)Socrates is a man or pigs are flying in formation over the English Channel. 1∨I
に於ける、
1の行 とは、
1(1)ソクラテスは人間である。 A
である。
従って、
(24)(25)により、
(26)
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1∨I
といふ「命題」が「真」であったとしても、「豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるか、どうかは分からない。」
従って、
(24)(25)(26)により、
(27)
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1∨I
といふ「推論」を、「不自然」であると、思ふのであれば、
1(2)の左には、
1 しかない。
といふことは、
1の行 は、 「真 」であるが、
1の行 以外の「真偽」は、
1の行 に「依存」する。
といふことを、「意味」してゐる。
といふことを、「教へられてゐない」か、「忘れてゐる」の、どちらかである。
平成31年04月26日、毛利太。
(01)
1 (1)P A
2(2)P→Q A
12(3) Q 12MPP
といふ「推論」は、
すなはち、
1 (1)Pである。 と「仮定」する。
2(2)PならばQである。 と「仮定」する。
12(3) Qである。 12MPP
といふ「推論」は、
(1)が「真」であって、
(2)も「真」であれば、必然的に、
(3)は「真」である。
といふ、「意味」である。
然るに、
(02)
① P(真)→Q(真)
② P(真)→Q(偽)
に於いて、
① は、「真」であるが、
② は、「偽」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
たしかに、
1 (1)P A
2(2)P→Q A
12(3) Q 12MPP
に於いて、
(1)が「真」であって、
(2)も「真」であれば、必然的に、
(3)は「真」である。
然るに、
(04)
1(1) P A
1(2) P∨Q 1∨I
(3) P→(P∨Q) 12CP
(4)~P∨(P∨Q) 3含意の定義
(5)(~P∨P)∨Q 結合法則
(05)
1(1)P A
1(2)P∨~Q 1∨I
(3)P→(P∨~Q) 12CP
(4)~P∨P∨~Q 3含意の定義
(5)(~P∨P)∨~Q 結合法則
従って、
(04)(05)により、
(06)
③ P→(P∨ Q)=Pであるならば(Pであるか、Qである)。
④ P→(P∨~Q)=Pであるならば(Pであるか、Qでない)。
に於いて、
③ は、「常に真(トートロジー)」であって、
④ も、「常に真(トートロジー)」である。
然るに、
(07)
③ Pであるならば(Pであるか、Qである)。
④ Pであるならば(Pであるか、Qでない)。
に於いて、
③ は、「常に真(トートロジー)」であって、それと同時に、
④ も、「常に真(トートロジー)」である。
といふことは、
④ Pであるならば(Pであるか、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
といふことに、他ならない。
然るに、
(08)
(ⅰ)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨I
1(3)P&(P∨Q) 12&I
(ⅱ)
1(1)P&(P∨Q) A
1(2)P 1&E
従って、
(09)
(ⅰ)P
(ⅱ)P&(P∨Q)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(09)により、
(10)
⑤ P⇔P&(P∨Q)
⑤ Pならば、そのときに限って、Pであって(Pであるか、Qである)。
然るに、
(11)
⑤ P⇔P&(P∨Q) は、
⑤ 真⇔真&(真∨真) だけでなく、
⑤ 真⇔真&(真∨偽) であっても、「真」である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑤ Pであるならば、そのときに限って、Pであって(Pであるか、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
然るに、
(13)
(ⅰ)
1 (1)P A
1 (2)P∨(P&Q) 1∨I
(ⅱ)
1 (1)P∨(P&Q) A
2 (2)P A
3(3) P&Q 1&E
3(4) P 3&E
1 (5)P 12234∨E
従って、
(13)により、
(14)
(ⅰ)P
(ⅱ)P∨(P&Q)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(14)により、
(15)
⑥ P⇔P∨(P&Q)
⑥ Pであるならば、そのときに限って、Pであるか(Pであって、Qである)。
然るに、
(16)
⑥ P⇔P∨(P&Q) は、
⑥ 真⇔真∨(真&真) だけでなく、
⑥ 真⇔真∨(真&偽) であっても、「真」である。
従って、
(15)(16)により、
(17)
⑥ Pであるならば、そのときに限って、Pであるか(Pであって、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
従って、
(04)(07)(12)(17)により、
(18)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1選言導入の規則
であるとして、すなはち、
1(1)Pである。 と「仮定」すると、それだけで、
1(2)Pであるか、Qである。 としても、
④ Pであるならば(Pであるか、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
⑤ Pであるならば、そのときに限って、Pであって(Pであるか、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
⑥ Pであるならば、そのときに限って、Pであるか(Pであって、Qである)が、Qであるかどうかは、「不明」である。
といふ、ことになる。
従って、
(19)
1(1)Pである。 と「仮定」すると、それだけで、
1(2)Pであるか、Qである。 としても、Pではあるが、Qであるかどうかは、「不明」である。
とするのが、「選言導入の規則(∨I)」である。といふ、ことになる。
然るに、
(20)
この規則は、推論の中で意識されることがおおよそないといえます。「彼女は背が高い」という主張をPとしましょう。すると、このPから「彼女は背が高い または 彼女は美人だ」が導けます。この場合、主張Qは「彼女は美人だ」に対応しています。しかし、「彼女は背が高い」がわかっているのに、わざわざ、「彼女は背が高い または 彼女は美人だ」とつなげる場面は普通の会話ではあまりないでしょう。数学の証明でも、これが使われる場面はほとんど見かけないような気がします(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、156頁)。
然るに、
(21)
「彼女は背が高い または 彼女は美人だ。」といふ会話は、ともかく、
「彼女は背が高い が、彼女が美人であるかどうかは分からない。」といふ会話であれば、「普通」である。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
1(1)Pである。 と「仮定」すると、それだけで、
1(2)Pであるか、Qである。 としても、Pではあるが、Qであるかどうかは、「不明」である。
とする、「選言導入の規則(∨I)」は、「少しも、不自然」ではない。
(23)
(ⅰ)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨I
に於ける。
1(2)P∨Q 1∨I
に於いて、
1(2)の左には、
1 しかない。
然るに、
(23)により、
(24)
1(1)P A
1(2)P∨Q 1∨I
に於いて、
1(2)の左には、
1 しかない。
といふことは、
1の行 は、 「真 」であるが、
1の行 以外の「真偽」は、
1の行 に「依存」する。
といふことを、「意味」してゐる。
(25)
1(1)Socrates is a man. A
1(2)Socrates is a man or pigs are flying in formation over the English Channel. 1∨I
に於ける、
1の行 とは、
1(1)ソクラテスは人間である。 A
である。
従って、
(24)(25)により、
(26)
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1∨I
といふ「命題」が「真」であったとしても、「豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるか、どうかは分からない。」
従って、
(24)(25)(26)により、
(27)
1(1)ソクラテスは人間である。 A
1(2)ソクラテスは人間であるか、または、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。 1∨I
といふ「推論」を、「不自然」であると、思ふのであれば、
1(2)の左には、
1 しかない。
といふことは、
1の行 は、 「真 」であるが、
1の行 以外の「真偽」は、
1の行 に「依存」する。
といふことを、「意味」してゐる。
といふことを、「教へられてゐない」か、「忘れてゐる」の、どちらかである。
平成31年04月26日、毛利太。
2019年4月25日木曜日
昔々、お爺さんとお婆さんがの「が」について。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
① 象がゐる=象はゐて、象以外はゐない。
② 龍はゐる=龍はゐる。
である、といふ風に、仮定する。
然るに、
(02)
① 地球上には、象以外に、人間もゐるし、犬もゐるし、馬もゐるし、鳥もゐるし、魚もゐるし、・・・・・・。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 象がゐる=象はゐて、象以外はゐない。
といふ「意味」であると、仮定すると、例へば、
① 象がゐる=今、目の前に、象がゐる。
といふ「意味」であると、せざるを得ない。
従って、
(03)により、
(04)
① 龍がゐる。
とするならば、
① 龍がゐる=今、目の前に、龍がゐる。
といふ「意味」であると、せざるを得ない。
然るに、
(05)
② 龍は架空の動物ではなく、何処かに、実在する。
といふのであれば、
① 今、目の前に、龍がゐる。
といふ「意味」ではない。
従って、
(01)~(05)により。
(06)
① 龍_ゐる=今、目の前に、龍がゐる。
② 龍_ゐる=龍は架空の動物ではなく、何処かに、実在する。
といふ「等式」が、成立するために、必然的に、
① 龍がゐる=今、目の前に、龍がゐる。
② 龍はゐる=龍は架空の動物ではなく、何処かに、実在する。
でなければ、ならない。
従って、
(01)(06)により、
(07)
① Aがゐる(た)。
と言へば、
① 時間と場所を限定し、尚且つ、
① A以外はゐない(なかった)。
といふ「意味」になる。
従って、
(08)
① 昔々(といふ特定の時間)の、ある所(という特定の場所)に、お爺さんとお婆さんはゐたけれど、お爺さんとお婆さん以外は、ゐなかった。
といふことを、「確認」したいのであれば、
① 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐました。
と、 言ひ、
② 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんは住んでゐました。
とは、言はない、ことになる。
然るに、
(09)
① お爺さんは山に、薪を集めに行き、お婆さんは川へ、洗濯をしに行きました。
② お婆さんは山に、薪を集めに行き、お爺さんは川へ、洗濯をしに行きました。
に於いて、
① であれば、「桃太郎の話」と「同じ」であるが、
② であれば、「お爺さんの行き先と、お婆さんの行き先」が、「桃太郎の話とは、逆」である。
然るに、
(10)
②(お爺さんではなく)お婆さん_山に、薪を集めに行き、(お婆さんではなく)お爺さん_川へ、洗濯をしに行きました。
であるならば、
②(お爺さんではなく)お婆さんが山に、薪を集めに行き、(お婆さんではなく)お爺さんが川へ、洗濯をしに行きました。
といふ風に、言ふのが「普通」である。
従って、
(11)
②(お爺さんではなく)お婆さん_山に、薪を集めに行き、(お婆さんではなく)お爺さん_川へ、洗濯をしに行きました。
といふことを、「確認したい」場合は、
① お爺さんは山に、薪を集めに行き、お婆さんは川へ、洗濯をしに行きました。
とは言はずに、
② お婆さんが山に、薪を集めに行き、お爺さんが川へ、洗濯をしに行きました。
といふ風に、言ふことになる。
従って、
(11)により、
(12)
① お爺さんは山へ行きました=お爺さんは山に行きました。
① お婆さんは川へ行きました=お婆さんは川へ行きました。
② お爺さんが山へ行きました=お爺さんは山に行き、お爺さん以外(お婆さん)は、山に行きませんでした。
② お婆さんが川へ行きました=お婆さんは川へ行き、お婆さん以外(お爺さん)は、川へ行きませんでした。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① Once upon a time, there lived an old man and an old woman.The old man went to the mountains to gather wood, and the old woman went to the river to do the washing.
② Once upon a time, there lived an old man and an old woman.The old woman went to the mountains to gather wood, and the old man went to the river to do the washing.
に於いて、
① ではなく、
② であるならば、
② 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐましたが、お婆さんが山に、薪を集めに、そして、お爺さんが川へ、洗濯をしに行きました。
といふ風に、言ふことになる。
従って、
(13)により、
(14)
② お爺さんとお婆さんが=an old man and an old woman。
② お婆さんが=the old woman。お爺さんが=the old man。
である。
従って、
(14)により、
(15)
「は・が」の「違ひ」は、「不定冠詞(未知)・定冠詞(既知)」の「違ひ」相当する。
といふことには、ならない。
従って、
(16)
「が」は未知のものを受け、「は」は既知のものを受ける。
例えば、「むか~し昔、あるところに、おじいさんとおばあさんガいました」と言ったとき、このおじいさんとおばあさんは、突然登場した未知の人です。
でも、「おじいさんハ山へ芝刈りに、おばあさんハ川へ洗濯に行きました」と続けた時、このおじいさんとおばあさんは、名前は知らないけど、既に出てきた既知の人です。
(文章の危機管理コンサルタントが日本語について考える)
といふことに、ならない。
平成31年04月25日、毛利太。
(01)
① 象がゐる=象はゐて、象以外はゐない。
② 龍はゐる=龍はゐる。
である、といふ風に、仮定する。
然るに、
(02)
① 地球上には、象以外に、人間もゐるし、犬もゐるし、馬もゐるし、鳥もゐるし、魚もゐるし、・・・・・・。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 象がゐる=象はゐて、象以外はゐない。
といふ「意味」であると、仮定すると、例へば、
① 象がゐる=今、目の前に、象がゐる。
といふ「意味」であると、せざるを得ない。
従って、
(03)により、
(04)
① 龍がゐる。
とするならば、
① 龍がゐる=今、目の前に、龍がゐる。
といふ「意味」であると、せざるを得ない。
然るに、
(05)
② 龍は架空の動物ではなく、何処かに、実在する。
といふのであれば、
① 今、目の前に、龍がゐる。
といふ「意味」ではない。
従って、
(01)~(05)により。
(06)
① 龍_ゐる=今、目の前に、龍がゐる。
② 龍_ゐる=龍は架空の動物ではなく、何処かに、実在する。
といふ「等式」が、成立するために、必然的に、
① 龍がゐる=今、目の前に、龍がゐる。
② 龍はゐる=龍は架空の動物ではなく、何処かに、実在する。
でなければ、ならない。
従って、
(01)(06)により、
(07)
① Aがゐる(た)。
と言へば、
① 時間と場所を限定し、尚且つ、
① A以外はゐない(なかった)。
といふ「意味」になる。
従って、
(08)
① 昔々(といふ特定の時間)の、ある所(という特定の場所)に、お爺さんとお婆さんはゐたけれど、お爺さんとお婆さん以外は、ゐなかった。
といふことを、「確認」したいのであれば、
① 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐました。
と、 言ひ、
② 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんは住んでゐました。
とは、言はない、ことになる。
然るに、
(09)
① お爺さんは山に、薪を集めに行き、お婆さんは川へ、洗濯をしに行きました。
② お婆さんは山に、薪を集めに行き、お爺さんは川へ、洗濯をしに行きました。
に於いて、
① であれば、「桃太郎の話」と「同じ」であるが、
② であれば、「お爺さんの行き先と、お婆さんの行き先」が、「桃太郎の話とは、逆」である。
然るに、
(10)
②(お爺さんではなく)お婆さん_山に、薪を集めに行き、(お婆さんではなく)お爺さん_川へ、洗濯をしに行きました。
であるならば、
②(お爺さんではなく)お婆さんが山に、薪を集めに行き、(お婆さんではなく)お爺さんが川へ、洗濯をしに行きました。
といふ風に、言ふのが「普通」である。
従って、
(11)
②(お爺さんではなく)お婆さん_山に、薪を集めに行き、(お婆さんではなく)お爺さん_川へ、洗濯をしに行きました。
といふことを、「確認したい」場合は、
① お爺さんは山に、薪を集めに行き、お婆さんは川へ、洗濯をしに行きました。
とは言はずに、
② お婆さんが山に、薪を集めに行き、お爺さんが川へ、洗濯をしに行きました。
といふ風に、言ふことになる。
従って、
(11)により、
(12)
① お爺さんは山へ行きました=お爺さんは山に行きました。
① お婆さんは川へ行きました=お婆さんは川へ行きました。
② お爺さんが山へ行きました=お爺さんは山に行き、お爺さん以外(お婆さん)は、山に行きませんでした。
② お婆さんが川へ行きました=お婆さんは川へ行き、お婆さん以外(お爺さん)は、川へ行きませんでした。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① Once upon a time, there lived an old man and an old woman.The old man went to the mountains to gather wood, and the old woman went to the river to do the washing.
② Once upon a time, there lived an old man and an old woman.The old woman went to the mountains to gather wood, and the old man went to the river to do the washing.
に於いて、
① ではなく、
② であるならば、
② 昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでゐましたが、お婆さんが山に、薪を集めに、そして、お爺さんが川へ、洗濯をしに行きました。
といふ風に、言ふことになる。
従って、
(13)により、
(14)
② お爺さんとお婆さんが=an old man and an old woman。
② お婆さんが=the old woman。お爺さんが=the old man。
である。
従って、
(14)により、
(15)
「は・が」の「違ひ」は、「不定冠詞(未知)・定冠詞(既知)」の「違ひ」相当する。
といふことには、ならない。
従って、
(16)
「が」は未知のものを受け、「は」は既知のものを受ける。
例えば、「むか~し昔、あるところに、おじいさんとおばあさんガいました」と言ったとき、このおじいさんとおばあさんは、突然登場した未知の人です。
でも、「おじいさんハ山へ芝刈りに、おばあさんハ川へ洗濯に行きました」と続けた時、このおじいさんとおばあさんは、名前は知らないけど、既に出てきた既知の人です。
(文章の危機管理コンサルタントが日本語について考える)
といふことに、ならない。
平成31年04月25日、毛利太。
私が大野です(大野は私です):未知と既知?
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
標準的な論理で表してみよう。「W」は述語「・・・は『ウェイヴァリー』を書いた」を表現し、「S」は述語「・・・はスコットランド人である」を表現んするものとしよう。すると、ラッセルの三つの条件は以下のようになる。
(a)∃xWx
(b)∀x{Wx→∀y(Wy→x=y)}
(c)∀x(Wx→Sx)
(a)から(c)までを連言で結んだものは、
(d)∃x{Wx→∀y(Wy→x=y)&Sx}
と同値である。
〔言語哲学―入門から中級まで 単行本 – 2005/12/1 W.G. ライカン (著), William G. Lycan (原著), 荒磯 敏文 (翻訳), 鈴木 生郎 (翻訳), 川口 由起子 (翻訳), 峯島 宏次 (翻訳)、22・23頁〕
然るに、
(02)
「ソクラテスは人間である。」=「ソクラテスといふ人間がゐる。」=「あるxはソクラテスであり、xは人間である。」=「∃x(ソクラテスx&人間x)」
従って、
(02)により、
(03)
「ソクラテス(人名)」は、「述語」であっても、「不都合」はない。
cf.
S=ソクラテス、人=人間、動=動物、とすると、
1 (1)∃x(Sx&人x) A
1 (〃)ソクラテスは人間である。
2 (2)∀x(人x→動x) A
2 (〃)すべての人間は動物である。
3(3) Sa&人a A
2 (5) 人a→動a 3UE
3(6) 人a 3&E
23(7) 動a 56MPP
2 (8) Sa 3&E
23(9) Sa&動a 78&I
23(ア)∃x(Sx&動x) 9EI
12 (イ)∃x(Sx&動x) 13アEE
12 (〃)あるxはソクラテスと言ひ、xは動物である。
12 (〃)ソクラテスは動物である。
然るに、
(04)
「日本語に即した文法の樹立を」を目指すわれわれは「日本語で人称代名詞と呼ばれているものは、実は名詞だ」と宣言したい。どうしても区別したいなら「人称名詞」で十分だ。日本語の「人称代名詞」はこれからは「人称名詞」と呼ぼう。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、40・41頁)
従って、
(04)により、
(05)
所謂、「日本語の人称代名詞」は、実は「名詞」に過ぎず、それ故、「私(人称名詞)」は、「述語」とすることが、出来る。
従って、
(01)(03)(05)により、
(06)
(a)∃xWx
(b)∀x{Wx→∀y(Wy→x=y)}
(c)∀x(Wx→Sx)
(a)から(c)までを連言で結んだものが、
(d)∃x{Wx→∀y(Wy→x=y)&Sx}
と同値である際に、
(a)∃x私x
(b)∀x{私x→∀y(私y→x=y)}
(c)∀x(私x→大野x)
(a)から(c)までを連言で結んだものは、
(d)∃x{私x→∀y(私y→x=y)&大野x}
と同値である。
然るに、
(07)
(d)∃x{私x→∀y(私y→x=y)&大野x}
(e)∃x{私x→大野x&∀y(私y→x=y)}
に於いて、
(d)と(e)は「同値」である。
然るに、
(08)
(e)∃x{私x→大野x&∀y(私y→x=y)}
に於いて、
(e)∀y(私y→x=y)
といふことは、すなはち、
(e)すべてのyについて、yが私であるならば、xとyは「同一」である。
といふことは、この場合は、
(e)私と言ひ得るのは、一人だけである。
といふことを、「意味」してゐる。
従って、
(08)により、
(09)
(e)∃x{私x→大野x&∀y(私y→x=y)}
といふ「述語論理」は、
(e)あるxが私であるならば、xは大野であって、私と言ひ得るのは、一人だけである。
といふことを、「意味」してゐる。
従って、
(09)により、
(10)
(e)∃x{私x→大野x&∀y(私y→x=y)}
といふ「述語論理」は、
(e)私は大野であり、私以外に大野はゐない。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(11)
(e)私は大野であり、私以外に大野はゐない。
といふのであれば、必然的に、
(e)私は大野であり、大野は私である。
といふ、ことになる。
然るに、
(12)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
(e)私は大野であり、大野は私である。
(f)私は大野であり、私が大野である。
(g)私は大野であり、私以外に大野はゐない。
に於いて、
(e)=(f)=(g) である。
従って、
(13)により、
(14)
(e)大野は私です。
(f)私が大野です。
(g)私以外に大野はゐない。
に於いて、
(e)=(f)=(g) である。
然るに、
(15)
ラッセルの記述の理論
ラッセルによる the の文脈的定義は次のようなものである。典型的なものとし、The F is G. という文の形えおとりあげよう。
― 中略 ―
(5)The author of Waverly was Scotch.
『ウェイヴァリー』の著者がスコットランド人であるならば、そのような著者がいることになる。また、著者が二人以上いるとしたら、the が用いられているはずがない。
〔言語哲学―入門から中級まで 単行本 – 2005/12/1 W.G. ライカン (著), William G. Lycan (原著), 荒磯 敏文 (翻訳), 鈴木 生郎 (翻訳), 川口 由起子 (翻訳), 峯島 宏次 (翻訳)、21.22頁〕
(01)(15)により、
(16)
(5)The author of Waverly was Scotch.
(5)∃x{Wx→∀y(Wy→x=y)&Sx}
に於ける「the ・・・」は、「既知の存在である。」といふことより、「the ・・・」が、「唯一の存在である。」といふことを、示してゐる。
といふ風にも、「見做す」ことが、出来る。
従って、
(13)(16)により、
(17)
(f)私が大野です。
といふ「日本語」を、
(f)I am the 大野.
といふ風に、「言い換へ」ることが、出来るのであれば、
(f)I am the 大野.
の「the 大野」は、「唯一の大野」であり、その「唯一の大野」が、すでに登場していて「既知である、大野と、一致する。」
といふ風に、「見做す」ことが、出来る。
然るに、
(18)
(1) 既知と未知
私は大野です。
という文は、檀の上に立って私なるものが聴衆に見えている。それで、私なる存在については相手もこれを見て知っている、すると、それを既知扱いにして「私は大野です」という。この「大野です」という部分は実は未知の部分にあたり、「私は(ダレカトイウト)大野です」の意味である。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、24・25頁)
然るに、
(19)
① 私は大野です(I am 大野)。
に関しては、「それでも良い(?)」としても、
② 名前は大野です(My name is 大野)。
であれば、
② 名前=大野
である。
従って、
(19)により、
(20)
① 私(既知)は大野(未知)です。
であって、
② 名前(未知)は大野(未知)です。
である。
従って、
(12)(20)により、
(21)
③ 私(未知)が大野(既知)です。
といふことも、「疑はしい」と、言はざるを得ない。
平成31年04月25日、毛利太。
(01)
標準的な論理で表してみよう。「W」は述語「・・・は『ウェイヴァリー』を書いた」を表現し、「S」は述語「・・・はスコットランド人である」を表現んするものとしよう。すると、ラッセルの三つの条件は以下のようになる。
(a)∃xWx
(b)∀x{Wx→∀y(Wy→x=y)}
(c)∀x(Wx→Sx)
(a)から(c)までを連言で結んだものは、
(d)∃x{Wx→∀y(Wy→x=y)&Sx}
と同値である。
〔言語哲学―入門から中級まで 単行本 – 2005/12/1 W.G. ライカン (著), William G. Lycan (原著), 荒磯 敏文 (翻訳), 鈴木 生郎 (翻訳), 川口 由起子 (翻訳), 峯島 宏次 (翻訳)、22・23頁〕
然るに、
(02)
「ソクラテスは人間である。」=「ソクラテスといふ人間がゐる。」=「あるxはソクラテスであり、xは人間である。」=「∃x(ソクラテスx&人間x)」
従って、
(02)により、
(03)
「ソクラテス(人名)」は、「述語」であっても、「不都合」はない。
cf.
S=ソクラテス、人=人間、動=動物、とすると、
1 (1)∃x(Sx&人x) A
1 (〃)ソクラテスは人間である。
2 (2)∀x(人x→動x) A
2 (〃)すべての人間は動物である。
3(3) Sa&人a A
2 (5) 人a→動a 3UE
3(6) 人a 3&E
23(7) 動a 56MPP
2 (8) Sa 3&E
23(9) Sa&動a 78&I
23(ア)∃x(Sx&動x) 9EI
12 (イ)∃x(Sx&動x) 13アEE
12 (〃)あるxはソクラテスと言ひ、xは動物である。
12 (〃)ソクラテスは動物である。
然るに、
(04)
「日本語に即した文法の樹立を」を目指すわれわれは「日本語で人称代名詞と呼ばれているものは、実は名詞だ」と宣言したい。どうしても区別したいなら「人称名詞」で十分だ。日本語の「人称代名詞」はこれからは「人称名詞」と呼ぼう。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、40・41頁)
従って、
(04)により、
(05)
所謂、「日本語の人称代名詞」は、実は「名詞」に過ぎず、それ故、「私(人称名詞)」は、「述語」とすることが、出来る。
従って、
(01)(03)(05)により、
(06)
(a)∃xWx
(b)∀x{Wx→∀y(Wy→x=y)}
(c)∀x(Wx→Sx)
(a)から(c)までを連言で結んだものが、
(d)∃x{Wx→∀y(Wy→x=y)&Sx}
と同値である際に、
(a)∃x私x
(b)∀x{私x→∀y(私y→x=y)}
(c)∀x(私x→大野x)
(a)から(c)までを連言で結んだものは、
(d)∃x{私x→∀y(私y→x=y)&大野x}
と同値である。
然るに、
(07)
(d)∃x{私x→∀y(私y→x=y)&大野x}
(e)∃x{私x→大野x&∀y(私y→x=y)}
に於いて、
(d)と(e)は「同値」である。
然るに、
(08)
(e)∃x{私x→大野x&∀y(私y→x=y)}
に於いて、
(e)∀y(私y→x=y)
といふことは、すなはち、
(e)すべてのyについて、yが私であるならば、xとyは「同一」である。
といふことは、この場合は、
(e)私と言ひ得るのは、一人だけである。
といふことを、「意味」してゐる。
従って、
(08)により、
(09)
(e)∃x{私x→大野x&∀y(私y→x=y)}
といふ「述語論理」は、
(e)あるxが私であるならば、xは大野であって、私と言ひ得るのは、一人だけである。
といふことを、「意味」してゐる。
従って、
(09)により、
(10)
(e)∃x{私x→大野x&∀y(私y→x=y)}
といふ「述語論理」は、
(e)私は大野であり、私以外に大野はゐない。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(11)
(e)私は大野であり、私以外に大野はゐない。
といふのであれば、必然的に、
(e)私は大野であり、大野は私である。
といふ、ことになる。
然るに、
(12)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
(e)私は大野であり、大野は私である。
(f)私は大野であり、私が大野である。
(g)私は大野であり、私以外に大野はゐない。
に於いて、
(e)=(f)=(g) である。
従って、
(13)により、
(14)
(e)大野は私です。
(f)私が大野です。
(g)私以外に大野はゐない。
に於いて、
(e)=(f)=(g) である。
然るに、
(15)
ラッセルの記述の理論
ラッセルによる the の文脈的定義は次のようなものである。典型的なものとし、The F is G. という文の形えおとりあげよう。
― 中略 ―
(5)The author of Waverly was Scotch.
『ウェイヴァリー』の著者がスコットランド人であるならば、そのような著者がいることになる。また、著者が二人以上いるとしたら、the が用いられているはずがない。
〔言語哲学―入門から中級まで 単行本 – 2005/12/1 W.G. ライカン (著), William G. Lycan (原著), 荒磯 敏文 (翻訳), 鈴木 生郎 (翻訳), 川口 由起子 (翻訳), 峯島 宏次 (翻訳)、21.22頁〕
(01)(15)により、
(16)
(5)The author of Waverly was Scotch.
(5)∃x{Wx→∀y(Wy→x=y)&Sx}
に於ける「the ・・・」は、「既知の存在である。」といふことより、「the ・・・」が、「唯一の存在である。」といふことを、示してゐる。
といふ風にも、「見做す」ことが、出来る。
従って、
(13)(16)により、
(17)
(f)私が大野です。
といふ「日本語」を、
(f)I am the 大野.
といふ風に、「言い換へ」ることが、出来るのであれば、
(f)I am the 大野.
の「the 大野」は、「唯一の大野」であり、その「唯一の大野」が、すでに登場していて「既知である、大野と、一致する。」
といふ風に、「見做す」ことが、出来る。
然るに、
(18)
(1) 既知と未知
私は大野です。
という文は、檀の上に立って私なるものが聴衆に見えている。それで、私なる存在については相手もこれを見て知っている、すると、それを既知扱いにして「私は大野です」という。この「大野です」という部分は実は未知の部分にあたり、「私は(ダレカトイウト)大野です」の意味である。
(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、24・25頁)
然るに、
(19)
① 私は大野です(I am 大野)。
に関しては、「それでも良い(?)」としても、
② 名前は大野です(My name is 大野)。
であれば、
② 名前=大野
である。
従って、
(19)により、
(20)
① 私(既知)は大野(未知)です。
であって、
② 名前(未知)は大野(未知)です。
である。
従って、
(12)(20)により、
(21)
③ 私(未知)が大野(既知)です。
といふことも、「疑はしい」と、言はざるを得ない。
平成31年04月25日、毛利太。
2019年4月24日水曜日
「象は鼻が長い」の「第一階述語論理」。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
(ⅰ)
1 (1)∀x(Fx→Gx& Gx→ Fx) A
1 (2) Fa→Ga& Ga→ Fa 1UE
1 (3) Fa→Ga 2&E
1 (4) Ga→ Fa 2&E
5 (5) Ga A
6(6) ~Fa A
15 (7) Fa 45MPP
156(8) ~Fa&Fa 67&I
1 6(9) ~Ga 58RAA
1 (ア) ~Fa→~Ga 69CP
1 (イ) Fa→Ga&~Fa→~Ga 3ア&I
1 (ウ)∀x(Fx→Gx&~Fx→~Gx) イUI
(ⅱ)
1 (1)∀x(Fx→Gx&~Fx→~Gx) A
1 (2) Fa→Ga&~Fa→~Ga 1UE
1 (3) Fa→Ga 2&E
1 (4) ~Fa→~Ga 2&E
5 (5) ~Fa A
6(6) Ga A
15 (7) ~Ga 45MPP
156(8) Ga&~Ga 67&I
1 6(9) ~~Fa 58RAA
1 6(ア) Fa 9DN
1 (イ) Ga→ Fa 6アCP
1 (ウ) Fa→Ga& Ga→ Fa 3イ&I
1 (エ)∀x(Fx→Gx& Gx→ Fx) ウUI
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∀x(Fx→Gx& Gx→ Fx)
(ⅱ)∀x(Fx→Gx&~Fx→~Gx)
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x(Fx→Gx& Gx→ Fx)
(ⅱ)∀x(Fx→Gx&~Fx→~Gx)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(03)におり、
(04)
(ⅰ)すべてのxについて、xがFならば、xはGであり、xがGであるならば、xはFである。
(ⅱ)すべてのxについて、xがFならば、xはGであり、xがFでないならば、xはGでない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)すべてのxについて、xがFならば、xはGであり、xがGであるならば、xはFである。
(ⅱ)すべてのxについて、xがFならば、xはGであり、xがF以外でれあば、xはGでない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(06)
(ⅰ)すべてのxについて、xが私であるならば、xは大野であり、xが大野であるならば、xは私である。
(ⅱ)すべてのxについて、xが私であるならば、xは大野であり、xが私以外であれば、xは大野でない。
然るに、
(07)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
(3) 既知と未知
といふこととは、無関係に、
(ⅰ)すべてのxについて、xが私であるならば、xは大野であり、xが大野であるならば、xは私である。
(〃) 私は 大野であり、 大野は 私です。
(ⅱ)すべてのxについて、xが私であるならば、xは大野であり、xが私以外であれば、xは大野でない。
(〃) 私は 大野であり、 私が 大野です。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)すべてのxについて、xが大野であるならば、xは私である。
(〃) 大野は 私です。
(ⅱ)すべてのxについて、xが私以外であれば、xは大野でない。
(〃) 私が 大野です。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(10)
(ⅰ)すべてのxについて、xが「長」であるならば、xは「鼻」である。
(〃) 「長」は 「鼻」です。
(ⅱ)すべてのxについて、xが「鼻」以外であれば、xは「長」でない。
(〃) 「鼻」が 「長」です。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(10)により、
(11)
(ⅰ)∀z( 長z→ 鼻z)
(〃)「長」は「鼻」です。
(ⅱ)∀z(~鼻z→~長z)
(〃)「鼻」が「長」です。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(12)
〔①〕
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 1UE
3 (3) 象a A
13 (4) ∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 23MPP
13 (5) ∃y(鼻ya&長y) 4&E
13 (6) ~∀z(~鼻za→~長z) 4&E
13 (7) ∃z~(~鼻za→~長z) 6量化子の関係
8(8) ~(~鼻ca→~長c) A
8(9) ~(~~鼻ca∨~長c) 8含意の定義
8(ア) ~(鼻ca∨~長c) 9DN
8(イ) ~鼻ca&~~長c ア、ドモルガンの法則
8(ウ) ~鼻ca& 長c イDN
8(エ) ∃z(~鼻za& 長z) ウEI
13 (オ) ∃z(~鼻za& 長z) 78エEE
13 (カ) ∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 5オ&I
1 (キ) 象a→∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 3カCP
1 (ク)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)} キUI
〔②〕
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 1UE
3 (3) 象a A
13 (4) ∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 23MPP
13 (5) ∃y(鼻ya&長y) 4&E
13 (6) ∃z(~鼻za& 長z) 4&E
7(7) ~鼻ca& 長c A
7(8) ~~(~鼻ca& 長c) 7DN
7(9) ~(~~鼻ca∨~長c) 8ドモルガンの法則
7(ア) ~(~鼻ca→~長c) 9含意の定義
7(イ) ∃z~(~鼻za→~長z) アEI
13 (ウ) ∃z~(~鼻za→~長z) 67イEE
13 (エ) ~∀z(~鼻za→~長z) ウ量化子の関係
13 (カ) ∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 5エ&I
1 (キ) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 3カCP
1 (ク)∀x{象a→∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z)} キUI
従って、
(12)により、
(13)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
① ならば ② であり、
② ならば ① である。
従って、
(13)により、
(14)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
① = ② である。
然るに、
(15)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、あるzはxの鼻でないが、zは長い。
といふことは、すなはち、
② 象は鼻は長く、鼻以外も長い。
といふことは、
② 象は鼻も長い。
といふ、ことである。
然るに、
(16)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
① = ② であるため、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~~∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
① = ② である。
従って、
(16)により、
(17)
「二重否定(DN)」により、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(18)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx& 長z)}
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、あるzがxの鼻ではなく、尚且つ、zが長い。といふことはない。
といふことは、
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
といふ、ことである。
然るに、
(10)(11)により、
(19)
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
といふことは、
② 象は鼻が長い。
といふ、ことである。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
といふことは、
② 象は鼻が長い。
といふ、ことである。
従って、
(20)により、
(21)
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」は、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」に、翻訳される。
然るに、
(22)
② ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いて、すなはち、
② すべてのxについて、xが兎であるならば、あるyはxの耳であって、yは長く、すべてのzについて、zがxの耳であるならば、zは鼻ではない。
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻であるならば、zは長くない。
に於いて、
②&③ は、「矛盾」しない。
然るに、
(23)
① ∃x(兎x&象x)=ある兎は象である。
② ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いては、
①&②&③ のセットは、「矛盾」する。
すなはち、
(24)
① ∃x(兎x&象x)=ある兎は象である。
② ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
であるならば、
④ すべて象は、鼻以外は長くないはずなのに、ある象は、鼻以外に、耳も長い。
といふことになり、「矛盾」する。
従って、
(24)により、
(25)
1 (1)∃x(兎x&象x) A
2 (2) 兎a&象a A
2 (3) 兎a 2&E
2 (4) 象a 2&E
5 (5)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
5 (6) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za) 5UI
25 (7) ∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za) 36MPP
25 (8) ∃y(耳ya&長y) 7&E
9 (9) 耳ba&長b A
9 (ア) 耳ba 9&E
9 (イ) 長b ア&E
25 (ウ) ∀z(耳za→~鼻za) 7&E
25 (エ) 耳ba→~鼻ba ウUE
259 (オ) ~鼻ba アエMPP
カ(カ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
カ(キ) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) カUE
2 カ(ク) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 4キMPP
2 カ(ケ) ∀z(~鼻za→~長z) ク&E
2 カ(コ) ~鼻ba→~長b ケUE
259カ(サ) ~長b オコMPP
259カ(シ) 長b&~長b イサ&I
25 カ(ス) 長b&~長b ハクシEE
1 5 カ(セ) 長b&~長b 12スEE
5 カ(ソ)~∃x(兎x&象x) 2セRAA
5 カ(タ)∀x~(兎x&象x) ソ量化子の関係
5 カ(チ) ~(兎a&象a) タUE
5 カ(ツ) ~兎a∨~象a チ、ドモルガンの法則
5 カ(テ) 兎a→~象a ツ含意の定義
5 カ(ト)∀x(兎x→~象x) テUI
5 カ(〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。 テUI
5 カ(〃)兎は象ではない。 テUI
といふ「述語計算(Predicate calculus)」は、「正しい」。
従って、
(21)(25)により、
(26)
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」に対する、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」への「翻訳」は、やはり、「正しい」。
然るに、
(27)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
といふ風に、述べてゐる、三上先生は、「象は鼻が長い(1960年)」といふ「有名な著書」の著者であって、尚且つ、ご自分では、
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」を、例へば、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」には、翻訳されてゐない。
従って、
(28)
「象は鼻が長い・日本語の論理」の著者である、三上先生の、
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」に対する、「論理学的な分析」は、「不十分」であると、言はざるを得ない。
平成31年04月24日、毛利太。
(01)
(ⅰ)
1 (1)∀x(Fx→Gx& Gx→ Fx) A
1 (2) Fa→Ga& Ga→ Fa 1UE
1 (3) Fa→Ga 2&E
1 (4) Ga→ Fa 2&E
5 (5) Ga A
6(6) ~Fa A
15 (7) Fa 45MPP
156(8) ~Fa&Fa 67&I
1 6(9) ~Ga 58RAA
1 (ア) ~Fa→~Ga 69CP
1 (イ) Fa→Ga&~Fa→~Ga 3ア&I
1 (ウ)∀x(Fx→Gx&~Fx→~Gx) イUI
(ⅱ)
1 (1)∀x(Fx→Gx&~Fx→~Gx) A
1 (2) Fa→Ga&~Fa→~Ga 1UE
1 (3) Fa→Ga 2&E
1 (4) ~Fa→~Ga 2&E
5 (5) ~Fa A
6(6) Ga A
15 (7) ~Ga 45MPP
156(8) Ga&~Ga 67&I
1 6(9) ~~Fa 58RAA
1 6(ア) Fa 9DN
1 (イ) Ga→ Fa 6アCP
1 (ウ) Fa→Ga& Ga→ Fa 3イ&I
1 (エ)∀x(Fx→Gx& Gx→ Fx) ウUI
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)∀x(Fx→Gx& Gx→ Fx)
(ⅱ)∀x(Fx→Gx&~Fx→~Gx)
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x(Fx→Gx& Gx→ Fx)
(ⅱ)∀x(Fx→Gx&~Fx→~Gx)
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(03)におり、
(04)
(ⅰ)すべてのxについて、xがFならば、xはGであり、xがGであるならば、xはFである。
(ⅱ)すべてのxについて、xがFならば、xはGであり、xがFでないならば、xはGでない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)すべてのxについて、xがFならば、xはGであり、xがGであるならば、xはFである。
(ⅱ)すべてのxについて、xがFならば、xはGであり、xがF以外でれあば、xはGでない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(06)
(ⅰ)すべてのxについて、xが私であるならば、xは大野であり、xが大野であるならば、xは私である。
(ⅱ)すべてのxについて、xが私であるならば、xは大野であり、xが私以外であれば、xは大野でない。
然るに、
(07)
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(06)(07)により、
(08)
(3) 既知と未知
といふこととは、無関係に、
(ⅰ)すべてのxについて、xが私であるならば、xは大野であり、xが大野であるならば、xは私である。
(〃) 私は 大野であり、 大野は 私です。
(ⅱ)すべてのxについて、xが私であるならば、xは大野であり、xが私以外であれば、xは大野でない。
(〃) 私は 大野であり、 私が 大野です。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)すべてのxについて、xが大野であるならば、xは私である。
(〃) 大野は 私です。
(ⅱ)すべてのxについて、xが私以外であれば、xは大野でない。
(〃) 私が 大野です。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(10)
(ⅰ)すべてのxについて、xが「長」であるならば、xは「鼻」である。
(〃) 「長」は 「鼻」です。
(ⅱ)すべてのxについて、xが「鼻」以外であれば、xは「長」でない。
(〃) 「鼻」が 「長」です。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(10)により、
(11)
(ⅰ)∀z( 長z→ 鼻z)
(〃)「長」は「鼻」です。
(ⅱ)∀z(~鼻z→~長z)
(〃)「鼻」が「長」です。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(12)
〔①〕
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 1UE
3 (3) 象a A
13 (4) ∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 23MPP
13 (5) ∃y(鼻ya&長y) 4&E
13 (6) ~∀z(~鼻za→~長z) 4&E
13 (7) ∃z~(~鼻za→~長z) 6量化子の関係
8(8) ~(~鼻ca→~長c) A
8(9) ~(~~鼻ca∨~長c) 8含意の定義
8(ア) ~(鼻ca∨~長c) 9DN
8(イ) ~鼻ca&~~長c ア、ドモルガンの法則
8(ウ) ~鼻ca& 長c イDN
8(エ) ∃z(~鼻za& 長z) ウEI
13 (オ) ∃z(~鼻za& 長z) 78エEE
13 (カ) ∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 5オ&I
1 (キ) 象a→∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 3カCP
1 (ク)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)} キUI
〔②〕
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 1UE
3 (3) 象a A
13 (4) ∃y(鼻ya&長y)& ∃z(~鼻za& 長z) 23MPP
13 (5) ∃y(鼻ya&長y) 4&E
13 (6) ∃z(~鼻za& 長z) 4&E
7(7) ~鼻ca& 長c A
7(8) ~~(~鼻ca& 長c) 7DN
7(9) ~(~~鼻ca∨~長c) 8ドモルガンの法則
7(ア) ~(~鼻ca→~長c) 9含意の定義
7(イ) ∃z~(~鼻za→~長z) アEI
13 (ウ) ∃z~(~鼻za→~長z) 67イEE
13 (エ) ~∀z(~鼻za→~長z) ウ量化子の関係
13 (カ) ∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 5エ&I
1 (キ) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z) 3カCP
1 (ク)∀x{象a→∃y(鼻ya&長y)&~∀z(~鼻za→~長z)} キUI
従って、
(12)により、
(13)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
① ならば ② であり、
② ならば ① である。
従って、
(13)により、
(14)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
① = ② である。
然るに、
(15)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、あるzはxの鼻でないが、zは長い。
といふことは、すなはち、
② 象は鼻は長く、鼻以外も長い。
といふことは、
② 象は鼻も長い。
といふ、ことである。
然るに、
(16)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
① = ② であるため、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~~∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
① = ② である。
従って、
(16)により、
(17)
「二重否定(DN)」により、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(18)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx& 長z)}
② すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、あるzがxの鼻ではなく、尚且つ、zが長い。といふことはない。
といふことは、
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
といふ、ことである。
然るに、
(10)(11)により、
(19)
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
といふことは、
② 象は鼻が長い。
といふ、ことである。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ~∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
といふことは、
② 象は鼻が長い。
といふ、ことである。
従って、
(20)により、
(21)
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」は、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」に、翻訳される。
然るに、
(22)
② ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いて、すなはち、
② すべてのxについて、xが兎であるならば、あるyはxの耳であって、yは長く、すべてのzについて、zがxの耳であるならば、zは鼻ではない。
③ すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻であるならば、zは長くない。
に於いて、
②&③ は、「矛盾」しない。
然るに、
(23)
① ∃x(兎x&象x)=ある兎は象である。
② ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に於いては、
①&②&③ のセットは、「矛盾」する。
すなはち、
(24)
① ∃x(兎x&象x)=ある兎は象である。
② ∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
であるならば、
④ すべて象は、鼻以外は長くないはずなのに、ある象は、鼻以外に、耳も長い。
といふことになり、「矛盾」する。
従って、
(24)により、
(25)
1 (1)∃x(兎x&象x) A
2 (2) 兎a&象a A
2 (3) 兎a 2&E
2 (4) 象a 2&E
5 (5)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(耳zx→~鼻zx)} A
5 (6) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za) 5UI
25 (7) ∃y(耳ya&長y)&∀z(耳za→~鼻za) 36MPP
25 (8) ∃y(耳ya&長y) 7&E
9 (9) 耳ba&長b A
9 (ア) 耳ba 9&E
9 (イ) 長b ア&E
25 (ウ) ∀z(耳za→~鼻za) 7&E
25 (エ) 耳ba→~鼻ba ウUE
259 (オ) ~鼻ba アエMPP
カ(カ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
カ(キ) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) カUE
2 カ(ク) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 4キMPP
2 カ(ケ) ∀z(~鼻za→~長z) ク&E
2 カ(コ) ~鼻ba→~長b ケUE
259カ(サ) ~長b オコMPP
259カ(シ) 長b&~長b イサ&I
25 カ(ス) 長b&~長b ハクシEE
1 5 カ(セ) 長b&~長b 12スEE
5 カ(ソ)~∃x(兎x&象x) 2セRAA
5 カ(タ)∀x~(兎x&象x) ソ量化子の関係
5 カ(チ) ~(兎a&象a) タUE
5 カ(ツ) ~兎a∨~象a チ、ドモルガンの法則
5 カ(テ) 兎a→~象a ツ含意の定義
5 カ(ト)∀x(兎x→~象x) テUI
5 カ(〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。 テUI
5 カ(〃)兎は象ではない。 テUI
といふ「述語計算(Predicate calculus)」は、「正しい」。
従って、
(21)(25)により、
(26)
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」に対する、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」への「翻訳」は、やはり、「正しい」。
然るに、
(27)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
といふ風に、述べてゐる、三上先生は、「象は鼻が長い(1960年)」といふ「有名な著書」の著者であって、尚且つ、ご自分では、
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」を、例へば、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
といふ「述語論理」には、翻訳されてゐない。
従って、
(28)
「象は鼻が長い・日本語の論理」の著者である、三上先生の、
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」に対する、「論理学的な分析」は、「不十分」であると、言はざるを得ない。
平成31年04月24日、毛利太。
2019年4月23日火曜日
「今両虎共闘、其勢不倶生。」の「述語論理」(Ⅱ)。
―「先ほどの記事」の」「続き」を書きます。―
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
従って、
(01)~(22)により、
(23)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
① いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
といふ「三通リの述語論理」に、対応する。
然るに、
(24)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
ではなく、
② 今両虎共闘、其勢倶不生。
② 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱に生きず。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅳ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(~生x&~生y)}
といふ「述語論理」に、対応する。
然るに、
(25)
① 不倶生=~(生a& 生b)
② 倶不生=(~生a&~生b)
に於いて、
① を、「部分否定」と言ひ、
② を、「全部否定」と言ふ。
然るに、
(26)
「ド・モルガンの法則」により、
① 不倶生=~(生a& 生b)
とは、すなはち、
① 不倶生=(~生a∨~生b)
である。
然るに、
(21)により、
(27)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
② 倶不生=(~生a&~生b)=(aは生きず、bも生きない。)
に於いて、
① と ② は、「矛盾」しない。
従って、
(25)(27)により、
(28)
①「部分否定」と、
②「全部否定」は、「矛盾」しない。
然るに、
(29)
① 不倶生= ~(生a&生b)
の「否定」を、
③ ~不倶生=~~(生a&生b)
と書くならば、「二重否定(DN)」により、
③ 倶生= (生a&生b)
である。
従って、
(27)(29)により、
(30)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
③ 倶生=( 生a& 生b)=(aは生き、bも生きる。)
に於いて、
① と ③ は、「矛盾」する。
然るに、
(31)
(ⅳ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y)} 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UE
4 (4) 生a&生b A
4 (5) ~~(生a&生b) 4DN
14 (6) ~(虎a&虎b&闘ab) 45MTT
14 (7) ~虎a∨~虎b∨~闘ab 6ド・モルガンの法則
14 (8) (~虎a∨~虎b)∨~闘ab 7結合法則
9 (9) (~虎a∨~虎b) A
9 (ア) ~~(~虎a∨~虎b) 9DN
9 (イ) ~(~~虎a&~~虎b) ア、ド・モルガンの法則
9 (ウ) ~(虎a&虎b) イDN
9 (エ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab ウ∨I
オ(オ) ~闘ab オ
オ(カ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab オ∨I
14 (キ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab 89エオカ∨E
14 (ク) 虎a&虎b →~闘ab ク含意の定義
1 (ケ) 生a&生b→(虎a&虎b→~闘ab) 4クCP
1 (コ) ∀y{生a&生y→(虎a&虎y→~闘ay)} ケUI
1 (サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} コUI
従って、
(31)により、
(32)
(1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} といふ「仮定」により、
(サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} といふ『結論』を得る。
従って、
(32)により、
(33)
(1)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。 といふ「仮定」により、
(サ)すべてのxとすべてのyについて、xが生きて、 yも生きて、 xが虎であり、yも虎であらならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが死なず、 yも死なず、 xが虎であり、yも虎であるならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
然るに、
(34)
(a)
今両虎共闘、其勢不俱生。
吾所以為此者、先国家之急而後私讎也。
廉頗聞之、肉袒負荊、至門謝罪、遂為刎頸之交。
(b)
今両虎共闘、其勢不(俱生)。
吾所⁻以〔為(此)〕者、先(国家之急)而後(私讎)也。
廉頗聞(之)、肉袒負(荊)、至(門)謝(罪)、遂為(刎頸之交)。
(c)
今両虎共闘、其の勢ひ(俱には生き)不。
吾の〔(此を)為す〕所⁻以の者は、(国家の急を)先にして(私讎を)後にすればなり。
廉頗(之を)聞き、肉袒して(荊を)負ひ、(門に)至(罪り)謝し、遂に(刎頸の交はりを)為す。
(d)
今、我々(二頭の虎に譬へる)が争ったならば、成り行きとして、二人の内の、少なくとも一人が、死ななければならない。
私がこれ(廉将軍からの逃げ隠れ)をするの理由は、国家を、危難から救ふことを先にして、個人的な恨みを後回しにするからである。
廉将軍はこの話を聞いて、裸の上半身にムチを背負ひ、門に来て謝り、ついに、刎頸の交はりを結んだ〔十八史略、刎頸之交〕。
従って、
(31)~(34)により、
(35)
(1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} といふ「仮定」、すなはち、
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。 といふ「仮定」により、
(サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} といふ『結論』を、すなはち、
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが死なず、 yも死なず、 xが虎であり、yも虎であるならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
従って、
(27)(30)(31)(35)により、
(37)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
② 倶不生=(~生a&~生b)=(aは生きず、bも生きない。)
③ 倶生=( 生a& 生b)=(aは生き、bも生きる。)
に於いて、たしかに、
① の「否定」は、② ではなく、
① の「否定」は、③ である。
平成31年04月23日、毛利太。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
従って、
(01)~(22)により、
(23)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
① いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
といふ「三通リの述語論理」に、対応する。
然るに、
(24)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
ではなく、
② 今両虎共闘、其勢倶不生。
② 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱に生きず。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅳ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(~生x&~生y)}
といふ「述語論理」に、対応する。
然るに、
(25)
① 不倶生=~(生a& 生b)
② 倶不生=(~生a&~生b)
に於いて、
① を、「部分否定」と言ひ、
② を、「全部否定」と言ふ。
然るに、
(26)
「ド・モルガンの法則」により、
① 不倶生=~(生a& 生b)
とは、すなはち、
① 不倶生=(~生a∨~生b)
である。
然るに、
(21)により、
(27)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
② 倶不生=(~生a&~生b)=(aは生きず、bも生きない。)
に於いて、
① と ② は、「矛盾」しない。
従って、
(25)(27)により、
(28)
①「部分否定」と、
②「全部否定」は、「矛盾」しない。
然るに、
(29)
① 不倶生= ~(生a&生b)
の「否定」を、
③ ~不倶生=~~(生a&生b)
と書くならば、「二重否定(DN)」により、
③ 倶生= (生a&生b)
である。
従って、
(27)(29)により、
(30)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
③ 倶生=( 生a& 生b)=(aは生き、bも生きる。)
に於いて、
① と ③ は、「矛盾」する。
然るに、
(31)
(ⅳ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y)} 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UE
4 (4) 生a&生b A
4 (5) ~~(生a&生b) 4DN
14 (6) ~(虎a&虎b&闘ab) 45MTT
14 (7) ~虎a∨~虎b∨~闘ab 6ド・モルガンの法則
14 (8) (~虎a∨~虎b)∨~闘ab 7結合法則
9 (9) (~虎a∨~虎b) A
9 (ア) ~~(~虎a∨~虎b) 9DN
9 (イ) ~(~~虎a&~~虎b) ア、ド・モルガンの法則
9 (ウ) ~(虎a&虎b) イDN
9 (エ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab ウ∨I
オ(オ) ~闘ab オ
オ(カ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab オ∨I
14 (キ) ~(虎a&虎b)∨~闘ab 89エオカ∨E
14 (ク) 虎a&虎b →~闘ab ク含意の定義
1 (ケ) 生a&生b→(虎a&虎b→~闘ab) 4クCP
1 (コ) ∀y{生a&生y→(虎a&虎y→~闘ay)} ケUI
1 (サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} コUI
従って、
(31)により、
(32)
(1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} といふ「仮定」により、
(サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} といふ『結論』を得る。
従って、
(32)により、
(33)
(1)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。 といふ「仮定」により、
(サ)すべてのxとすべてのyについて、xが生きて、 yも生きて、 xが虎であり、yも虎であらならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが死なず、 yも死なず、 xが虎であり、yも虎であるならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
然るに、
(34)
(a)
今両虎共闘、其勢不俱生。
吾所以為此者、先国家之急而後私讎也。
廉頗聞之、肉袒負荊、至門謝罪、遂為刎頸之交。
(b)
今両虎共闘、其勢不(俱生)。
吾所⁻以〔為(此)〕者、先(国家之急)而後(私讎)也。
廉頗聞(之)、肉袒負(荊)、至(門)謝(罪)、遂為(刎頸之交)。
(c)
今両虎共闘、其の勢ひ(俱には生き)不。
吾の〔(此を)為す〕所⁻以の者は、(国家の急を)先にして(私讎を)後にすればなり。
廉頗(之を)聞き、肉袒して(荊を)負ひ、(門に)至(罪り)謝し、遂に(刎頸の交はりを)為す。
(d)
今、我々(二頭の虎に譬へる)が争ったならば、成り行きとして、二人の内の、少なくとも一人が、死ななければならない。
私がこれ(廉将軍からの逃げ隠れ)をするの理由は、国家を、危難から救ふことを先にして、個人的な恨みを後回しにするからである。
廉将軍はこの話を聞いて、裸の上半身にムチを背負ひ、門に来て謝り、ついに、刎頸の交はりを結んだ〔十八史略、刎頸之交〕。
従って、
(31)~(34)により、
(35)
(1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} といふ「仮定」、すなはち、
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。 といふ「仮定」により、
(サ)∀x∀y{生x&生y→(虎x&虎y→~闘xy)} といふ『結論』を、すなはち、
(〃)すべてのxとすべてのyについて、xが死なず、 yも死なず、 xが虎であり、yも虎であるならば、xとyは、闘はない。 といふ『結論』を得る。
従って、
(27)(30)(31)(35)により、
(37)
① 不倶生=(~生a∨~生b)=(aは生きないか、またはbは生きない。)
② 倶不生=(~生a&~生b)=(aは生きず、bも生きない。)
③ 倶生=( 生a& 生b)=(aは生き、bも生きる。)
に於いて、たしかに、
① の「否定」は、② ではなく、
① の「否定」は、③ である。
平成31年04月23日、毛利太。
2019年4月22日月曜日
「今両虎共闘、其勢不倶生。」の「述語論理」。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
今両虎共闘、其勢不倶生。
今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
(02)
(ⅰ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y)} 1UI
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UI
4 (4) 生a&生b A
4 (5) ~~(生a&生b) 4DN
14 (6) ~(虎a&虎b&闘ab) 34MTT
14 (7) ~虎a∨~虎b∨~闘ab 7ド・モルガンの法則
14 (8) (~虎a∨~虎b)∨~闘ab 8結合法則
9 (9) (~虎a∨~虎b) A
9 (ア) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) 9∨I
イ (イ) ~闘ab A
イ (ウ) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) イ∨I
14 (エ) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) 89アイウ∨E
14 (オ) 闘ab→(~虎a∨~虎b) エ含意の定義
1 (カ) 生a&生b→闘ab→(~虎a∨~虎b) 4オCP
キ(キ) 闘ab&生a&生b A
キ(ク) 闘ab&(生a&生b) キ結合法則
キ(ケ) 生a&生b ク&E
1 キ(コ) 闘ab→(~虎a∨~虎b) カケMPP
キ(サ) 闘ab ク&E
1 キ(シ) (~虎a∨~虎b) コサMPP
1 (ス) 闘ab&生a&生b→(~虎a∨~虎b) キシCP
1 (セ) ∀y{闘ay&生a&生y→(~虎a∨~虎y)} スUI
1 (ソ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)} セUI
(ⅱ)
1 (1)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)} A
1 (2) ∀y{闘ay&生a&生y→(~虎a∨~虎y)} 1UE
1 (3) 闘ab&生a&生b→(~虎a∨~虎b) 2UE
4 (4) 虎a& 虎b A
4 (5) ~~(虎a& 虎b) 4DN
4 (6) ~(~虎a∨~虎b) 5ド・モルガンの法則
14 (7) ~(闘ab&生a&生b) 36MTT
14 (8) ~闘ab∨~生a∨~生b 5ド・モルガンの法則
14 (9) ~闘ab∨(~生a∨~生b) 8結合法則
14 (ア) 闘ab→(~生a∨~生b) 9含意の定義
1 (イ) 虎a&虎b→闘ab→(~生a∨~生b) 4アCP
ウ (ウ) 虎a&虎b&闘ab A
ウ (エ) (虎a&虎b)&闘ab ウ結合法則
ウ (オ) 虎a&虎b エ&E
1 ウ (カ) 闘ab→(~生a∨~生b) イオMPP
ウ (キ) 闘ab エ&E
1 ウ (ク) (~生a∨~生b) カキMPP
1 (ケ) 虎a&虎b&闘ab→(~生a∨~生b) ウクCP
1 (コ) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(~生a∨~生y)} ケUI
1 (サ)∀x∀y{虎a&虎y&闘ay→(~生a∨~生y)} コUI
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y) 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UE
4 (4) 虎a&虎b&闘ab A
14 (5) ~(生a&生b) 34MPP
14 (6) ~生a∨~生b 5ド・モルガンの法則
14 (7) 生a→~生b 6含意の定義
8 (8) ~生a A
8 (9) ~生b∨~生a 8∨I
ア(ア) ~生b A
ア(イ) ~生b∨~生a ア∨I
14 (ウ) ~生b∨~生a 689アイEE
14 (エ) 生b→~生a ウ含意の定義
14 (オ) (生a→~生b)&(生b→~生a) 7エ&I
1 (カ) 虎a&虎b&闘ab→(生a→~生b)&(生b→~生a) 4オCP
1 (キ) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(生a→~生y)&(生y→~生a)} カUI
1 (ク)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)} キUI
(ⅲ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(生a→~生y)&(生y→~生a)} 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→(生a→~生b)&(生b→~生a) 2UE
4 (4) 虎a&虎b&闘ab A
14 (5) (生a→~生b)&(生b→~生a) 34MPP
14 (6) 生a→~生b 5&E
14 (7) ~生a∨~生b 6含意の定義
14 (8) ~(生a&~生b) 7ド・モルガンの法則
1 (9) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 48CP
1 (ア) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y) 9UI
1 (イ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} アUI
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅲ)であり、
(ⅲ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅲ) である。
従って、
(04)(07)により、
(08)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) であって、
(ⅰ)=(ⅲ) である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
(ⅲ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
然るに、
(11)
「PまたはQ」に対する真理値の割り当てを「排他的または」に対して行うと、二つの命題PとQのどちらか一つだけが真のときに限って、「PまたはQ」が真になるに対し、「包含的または」に対して行うと、二つの命題PとQのどちらか一つか、あるいは、二つが真のときに「PまたはQ」が真になる。― 中略 ―、命題論理は、「包含的または」の方を採用しており、「真理表」にもそれが反映されている(早川書房、「不可能、不確定、不完全、」、2011年、207頁改)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
に於いて、
(ⅱ)~虎x∨~虎y
(ⅱ)xは虎でないか、または、yは虎でない。
である。といふことは、
① 両方とも、虎でない。
② どちらか一方が、虎でない。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(13)
① xとyの両方が、非力ではあるが、丈夫であるとすれば、xとy同士が闘ったとしても、xとyは、両方とも、死なない。
然るに、
(14)
有衆逐虎。虎負嵎。莫之敢攖。望見馮婦、趨而迎之。
有(衆)逐(虎)。虎負(嵎)。莫(之敢攖。望‐見(馮婦)、趨而迎(之)。
(衆)有り(虎を)逐ふ、虎(嵎を)負ふ。(之に敢へて攖る)莫し。(馮婦を)望‐見し、趨りて(之を)迎ふ。
人々が虎を追いかけてゐた。虎は山を背にして構へた。誰にも虎に近づく勇気が無かった。馮婦が遠くに見えたので、人々は走って行き、彼を迎へた(孟子、盡心章句下)。
でいふ、馮婦といふ男は、虎と素手で闘って、虎を生け捕りにすることが、出来る。
従って、
(14)により、
(15)
② xが馮婦であり、yが虎であるならば、xとyが闘っても、xは、虎を生け捕りできるため、xとyは、両方とも生きてゐる。
従って、
(13)(15)により、
(16)
① xとyの両方が、非力ではあるが、丈夫であるとすれば、xとy同士が闘ったとしても、xとyは、両方とも、死なない。
② xが馮婦であり、yが虎であるならば、xとyが闘っても、xは、虎を生け捕りできるため、xとyは、両方とも生きてゐる。
従って、
(12)(16)により、
(17)
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
に於いて、「不都合」は無い。
然るに、
(18)
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)}
(ⅲ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
に於いて、
(ⅲ)(生x→~生y)&(生y→~生x)
(ⅲ)xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
といふのであれば、
(ⅲ)xとyの、どちらか一方だけが生きる(どちらか一方だけが死ぬ)。
といふ風に、思はれるかも、知れない。
しかしながら、
(19)
③(生x→~生y)=xが生きるならば、yは生きず。
④(生y→~生x)=が生きるならば、xは生きない。
に於いて、
③ の「対偶」が ④ であり、
④ の「対偶」が ③ であるため、
③ とは、④ であって、
④ とは、③ である。
然るに、
(20)
「含意の定義」により、
③(生x→~生y)=(~生x∨~生y)
である。
然るに、
(11)により、
(21)
③(~生x∨~生y)=(xは生きないか、またはyは生きない。)
④(~生x&~生y)=(xは生きず、yも生きない。)
に於いて、
③ と ④ は、「矛盾」しない。
従って、
(18)~(21)により、
(22)
(ⅲ)(生x→~生y)&(生y→~生x)
(ⅲ)xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
といふのであれば、
(ⅲ)xとyの、どちらか一方だけが生きる(どちらか一方だけが死ぬ)。
といふ風に、思はれるかも、知れないが、「論理学的」には、さうではない。
従って、
(01)~(22)により、
(23)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
① いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
といふ「三通リの述語論理」に、対応する。
平成31年04月23日、毛利太。
(01)
今両虎共闘、其勢不倶生。
今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
(02)
(ⅰ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y)} 1UI
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UI
4 (4) 生a&生b A
4 (5) ~~(生a&生b) 4DN
14 (6) ~(虎a&虎b&闘ab) 34MTT
14 (7) ~虎a∨~虎b∨~闘ab 7ド・モルガンの法則
14 (8) (~虎a∨~虎b)∨~闘ab 8結合法則
9 (9) (~虎a∨~虎b) A
9 (ア) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) 9∨I
イ (イ) ~闘ab A
イ (ウ) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) イ∨I
14 (エ) ~闘ab∨(~虎a∨~虎b) 89アイウ∨E
14 (オ) 闘ab→(~虎a∨~虎b) エ含意の定義
1 (カ) 生a&生b→闘ab→(~虎a∨~虎b) 4オCP
キ(キ) 闘ab&生a&生b A
キ(ク) 闘ab&(生a&生b) キ結合法則
キ(ケ) 生a&生b ク&E
1 キ(コ) 闘ab→(~虎a∨~虎b) カケMPP
キ(サ) 闘ab ク&E
1 キ(シ) (~虎a∨~虎b) コサMPP
1 (ス) 闘ab&生a&生b→(~虎a∨~虎b) キシCP
1 (セ) ∀y{闘ay&生a&生y→(~虎a∨~虎y)} スUI
1 (ソ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)} セUI
(ⅱ)
1 (1)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)} A
1 (2) ∀y{闘ay&生a&生y→(~虎a∨~虎y)} 1UE
1 (3) 闘ab&生a&生b→(~虎a∨~虎b) 2UE
4 (4) 虎a& 虎b A
4 (5) ~~(虎a& 虎b) 4DN
4 (6) ~(~虎a∨~虎b) 5ド・モルガンの法則
14 (7) ~(闘ab&生a&生b) 36MTT
14 (8) ~闘ab∨~生a∨~生b 5ド・モルガンの法則
14 (9) ~闘ab∨(~生a∨~生b) 8結合法則
14 (ア) 闘ab→(~生a∨~生b) 9含意の定義
1 (イ) 虎a&虎b→闘ab→(~生a∨~生b) 4アCP
ウ (ウ) 虎a&虎b&闘ab A
ウ (エ) (虎a&虎b)&闘ab ウ結合法則
ウ (オ) 虎a&虎b エ&E
1 ウ (カ) 闘ab→(~生a∨~生b) イオMPP
ウ (キ) 闘ab エ&E
1 ウ (ク) (~生a∨~生b) カキMPP
1 (ケ) 虎a&虎b&闘ab→(~生a∨~生b) ウクCP
1 (コ) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(~生a∨~生y)} ケUI
1 (サ)∀x∀y{虎a&虎y&闘ay→(~生a∨~生y)} コUI
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(05)
(ⅰ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y) 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 2UE
4 (4) 虎a&虎b&闘ab A
14 (5) ~(生a&生b) 34MPP
14 (6) ~生a∨~生b 5ド・モルガンの法則
14 (7) 生a→~生b 6含意の定義
8 (8) ~生a A
8 (9) ~生b∨~生a 8∨I
ア(ア) ~生b A
ア(イ) ~生b∨~生a ア∨I
14 (ウ) ~生b∨~生a 689アイEE
14 (エ) 生b→~生a ウ含意の定義
14 (オ) (生a→~生b)&(生b→~生a) 7エ&I
1 (カ) 虎a&虎b&闘ab→(生a→~生b)&(生b→~生a) 4オCP
1 (キ) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(生a→~生y)&(生y→~生a)} カUI
1 (ク)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)} キUI
(ⅲ)
1 (1)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)} A
1 (2) ∀y{虎a&虎y&闘ay→(生a→~生y)&(生y→~生a)} 1UE
1 (3) 虎a&虎b&闘ab→(生a→~生b)&(生b→~生a) 2UE
4 (4) 虎a&虎b&闘ab A
14 (5) (生a→~生b)&(生b→~生a) 34MPP
14 (6) 生a→~生b 5&E
14 (7) ~生a∨~生b 6含意の定義
14 (8) ~(生a&~生b) 7ド・モルガンの法則
1 (9) 虎a&虎b&闘ab→~(生a&生b) 48CP
1 (ア) ∀y{虎a&虎y&闘ay→~(生a&生y) 9UI
1 (イ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x&生y)} アUI
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅲ)であり、
(ⅲ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅲ) である。
従って、
(04)(07)により、
(08)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) であって、
(ⅰ)=(ⅲ) である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
従って、
(09)により、
(10)
(ⅰ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生き、yも生きる。といふことはない。
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
(ⅲ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ)=(ⅲ) である。
然るに、
(11)
「PまたはQ」に対する真理値の割り当てを「排他的または」に対して行うと、二つの命題PとQのどちらか一つだけが真のときに限って、「PまたはQ」が真になるに対し、「包含的または」に対して行うと、二つの命題PとQのどちらか一つか、あるいは、二つが真のときに「PまたはQ」が真になる。― 中略 ―、命題論理は、「包含的または」の方を採用しており、「真理表」にもそれが反映されている(早川書房、「不可能、不確定、不完全、」、2011年、207頁改)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
に於いて、
(ⅱ)~虎x∨~虎y
(ⅱ)xは虎でないか、または、yは虎でない。
である。といふことは、
① 両方とも、虎でない。
② どちらか一方が、虎でない。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(13)
① xとyの両方が、非力ではあるが、丈夫であるとすれば、xとy同士が闘ったとしても、xとyは、両方とも、死なない。
然るに、
(14)
有衆逐虎。虎負嵎。莫之敢攖。望見馮婦、趨而迎之。
有(衆)逐(虎)。虎負(嵎)。莫(之敢攖。望‐見(馮婦)、趨而迎(之)。
(衆)有り(虎を)逐ふ、虎(嵎を)負ふ。(之に敢へて攖る)莫し。(馮婦を)望‐見し、趨りて(之を)迎ふ。
人々が虎を追いかけてゐた。虎は山を背にして構へた。誰にも虎に近づく勇気が無かった。馮婦が遠くに見えたので、人々は走って行き、彼を迎へた(孟子、盡心章句下)。
でいふ、馮婦といふ男は、虎と素手で闘って、虎を生け捕りにすることが、出来る。
従って、
(14)により、
(15)
② xが馮婦であり、yが虎であるならば、xとyが闘っても、xは、虎を生け捕りできるため、xとyは、両方とも生きてゐる。
従って、
(13)(15)により、
(16)
① xとyの両方が、非力ではあるが、丈夫であるとすれば、xとy同士が闘ったとしても、xとyは、両方とも、死なない。
② xが馮婦であり、yが虎であるならば、xとyが闘っても、xは、虎を生け捕りできるため、xとyは、両方とも生きてゐる。
従って、
(12)(16)により、
(17)
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅱ)すべてのxとすべてのyについて、xとyが闘ひ、xが死なず、yも死なないのであれば、xは虎でないか、または、yは虎でない。
に於いて、「不都合」は無い。
然るに、
(18)
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→(生x→~生y)&(生y→~生x)}
(ⅲ)すべてのxとすべてのyについて、xが虎であり、yも虎であり、xとyが闘へば、xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
に於いて、
(ⅲ)(生x→~生y)&(生y→~生x)
(ⅲ)xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
といふのであれば、
(ⅲ)xとyの、どちらか一方だけが生きる(どちらか一方だけが死ぬ)。
といふ風に、思はれるかも、知れない。
しかしながら、
(19)
③(生x→~生y)=xが生きるならば、yは生きず。
④(生y→~生x)=が生きるならば、xは生きない。
に於いて、
③ の「対偶」が ④ であり、
④ の「対偶」が ③ であるため、
③ とは、④ であって、
④ とは、③ である。
然るに、
(20)
「含意の定義」により、
③(生x→~生y)=(~生x∨~生y)
である。
然るに、
(11)により、
(21)
③(~生x∨~生y)=(xは生きないか、またはyは生きない。)
④(~生x&~生y)=(xは生きず、yも生きない。)
に於いて、
③ と ④ は、「矛盾」しない。
従って、
(18)~(21)により、
(22)
(ⅲ)(生x→~生y)&(生y→~生x)
(ⅲ)xが生きるならば、yは生きず、yが生きるならば、xは生きない。
といふのであれば、
(ⅲ)xとyの、どちらか一方だけが生きる(どちらか一方だけが死ぬ)。
といふ風に、思はれるかも、知れないが、「論理学的」には、さうではない。
従って、
(01)~(22)により、
(23)
① 今両虎共闘、其勢不倶生。
① 今両虎共に闘はば、其の勢ひ俱には生きず。
① いま、二頭の虎(e.g.藺相如と廉頗)が戦ひ合へば、両方とも死なないで済む。といふわけにいかない。
といふ「漢文訓読」は、
(ⅰ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→~(生x& 生y)}
(ⅱ)∀x∀y{闘xy&生x&生y→(~虎x∨~虎y)}
(ⅲ)∀x∀y{虎x&虎y&闘xy→ (生x→~生y)&(生y→~生x)}
といふ「三通リの述語論理」に、対応する。
平成31年04月23日、毛利太。
反論: どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
解答: どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?
2008年04月23日 20時23分52秒 | 学校で教えてくれないコト(gooブログ)
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。
然るに、
(02)
「紙に書いた文字」は「2次元(平面)」であって、「3次元(立体)」ではない。
然るに、
(03)
「2次元(平面)」に有るのは「上下左右」だけであって、「前後(手前と奥)」は無い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
「紙に書いた文字」には「奥行(手前と奥)」が無いが故に、
「紙に書いた文字」の、「奥行(手前と奥)」を「逆転させる」ことは、出来ない。
従って、
(01)(04)により、
(05)
「紙に書いた文字」に関しては、
『鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。』
といふことには、ならない。
然るに、
(06)
紙にも表裏があります。
どちらが表か分からなくなった時はまず紙の表面を触ってみると良いでしょう。
一般的に、スベスベしたなめらかな方が表、ちょっとザラザラしたほうが裏です。
(紙の表裏・上下 2017年5月8日、コラム, 紙, 道具の話|紙)
それ故、
(06)により、
(07)
「紙の表面」を「紙の表面」と呼び、
「紙の裏面」を「紙の背中」と呼ぶことにする。
然るに、
(08)
「AE」といふ「文字」を、
「コピー用紙の表面」に書いてから、「そのコピー用紙の背中(裏面)」を見ると、
「AE」といふ「文字」は、「背中(裏面)の側」には無い。
然るに、
(09)
「AE」と書いた「そのコピー用紙の背中(裏面)」を、自分に向けたまま、「照明にかざす」と、「コピー用紙」は「十分に薄い(0.08㎜)」ため、
「∃A」といふ「文字」が「透けて見える」。
然るに、
(10)
「AE」と書いた「コピー用紙」を「鏡に向ける」と、「鏡の中」で、
「AE」といふ「文字」は、
「∃A」といふ「文字」に見える。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
「鏡の中」の
「∃A」といふ「文字」は、
「AE」と書いた「コピー用紙の表面」を、
「背中(裏面)の側から、透かして見てゐる際の形」に「等しい」。
然るに、
(10)により、
(12)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
「鏡の中」で、
「AE」といふ「Tシャツの文字」は、言ふまでもなく、
「∃A」といふ「文字」に見える。
従って、
(11)(12)により、
(13)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
「鏡の中の、文字の輪郭」と、
「鏡の中の、自分の輪郭」は、
「鏡の外で、背中(裏面)を向けて立ってゐる際の、輪郭」に「等しい」。
然るに、
(14)
「鏡の前」に立つとき、
「鏡の中の、もう一人の自分は、こちらを向いてゐる。」
従って、
(14)により、
(15)
「鏡の中の、もう一人の自分は、背中を向けてゐない。」
従って、
(13)(15)により、
(16)
「鏡の前」に立つとき、
「鏡の中の、もう一人の自分は、背中(裏面)を向けてゐないのに、背中(裏面)を向けてはゐる。」
然るに、
(17)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「回れ右」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、言ふまでもなく、
「AE」といふ「文字」に「見える」。
然るに、
(18)
「∃A(鏡の中)」と、
「AE(鏡の外)」は、
「左右(∃E)が逆で、上下(AA)が等しい。」
従って、
(17)(18)により、
(19)
「鏡の中の人物」を、
「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
と「仮定」すると、
「左右(∃E)が逆で、上下(AA)が等しい。」
といふ「矛盾」が生じる。
従って、
(19)により、
(20)
「鏡の中の人物」は、
「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
といふ「仮定」は、「否定」しなければ、ならない。
cf.
背理法(Reductio ad absurdum)。
然るに、
(21)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「回れ右」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、
「AE」に「見える」ものの、
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「逆立ち」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、
「∃∀」といふ「文字」に「見える」。
然るに、
(22)
「∃A(鏡の中)」と、
「∃∀(鏡の外)」は、
「上下(A∀)が逆で、左右(∃∃)が等しい。」
従って、
(21)(22)により、
(23)
「鏡の中の人物」を、
「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
と「仮定」すると、
「上下(A∀)が逆で、左右(∃∃)が等しい。」
といふ「矛盾」が生じる。
従って、
(23)により、
(24)
「鏡の中の人物」は、
「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
といふ「仮定」は、「否定」しなければ、ならない。
従って、
(20)(24)により、
(25)
(α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」は、「否定」しなければ、ならない。
(β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」は、「否定」しなければ、ならない。
然るに、
(26)
我々は、「後ろを振り向く」際に、「逆立ちをして、振り向く」といふことを、「普通は、しない。」
従って、
(25)(26)により、
(27)
(α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」。
(β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」。
といふ「二つの仮定」の内の、
(β)に関しては、「初めから、否定済み」であるものの、
(α)に関しては、「否定、出来ない」のが、「普通」である。
従って、
(17)~(27)により、
(28)
(β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」だけでなく、
(α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」も、「同時に、否定」しなければ、ならない。
といふことに「気づくことが出来ず」、それ故、「どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?」
といふ「疑問」だけが、生じることになる。
然るに、
(29)
このことを、「理解」するためには、
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
「鏡の中の、文字の輪郭」と、
「鏡の中の、自分の輪郭」は、
「鏡の外で、背中(裏面)を向けて立ってゐる際の、輪郭」に「等しい」。
といふことを、「理解」する必要がある。
然るに、
(30)
このことを、「理解」するためには、まず最初に、
「鏡の中」の、例へば、「∃A」といふ「文字」は、「AE」と書いた「コピー用紙の表面」を、『背中(裏面)の側から、透かして見てゐる際の形』に「等しい」。
といふことを、「理解」する必要がある。
従って、
(31)
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。
といふことは、その通りだとしても、
鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。
といふことを、敢へて「強調」する「必要」はない。といふ風に、思はれる。
平成31年04月22日、毛利太。
(01)
解答: どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?
2008年04月23日 20時23分52秒 | 学校で教えてくれないコト(gooブログ)
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。
然るに、
(02)
「紙に書いた文字」は「2次元(平面)」であって、「3次元(立体)」ではない。
然るに、
(03)
「2次元(平面)」に有るのは「上下左右」だけであって、「前後(手前と奥)」は無い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
「紙に書いた文字」には「奥行(手前と奥)」が無いが故に、
「紙に書いた文字」の、「奥行(手前と奥)」を「逆転させる」ことは、出来ない。
従って、
(01)(04)により、
(05)
「紙に書いた文字」に関しては、
『鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。』
といふことには、ならない。
然るに、
(06)
紙にも表裏があります。
どちらが表か分からなくなった時はまず紙の表面を触ってみると良いでしょう。
一般的に、スベスベしたなめらかな方が表、ちょっとザラザラしたほうが裏です。
(紙の表裏・上下 2017年5月8日、コラム, 紙, 道具の話|紙)
それ故、
(06)により、
(07)
「紙の表面」を「紙の表面」と呼び、
「紙の裏面」を「紙の背中」と呼ぶことにする。
然るに、
(08)
「AE」といふ「文字」を、
「コピー用紙の表面」に書いてから、「そのコピー用紙の背中(裏面)」を見ると、
「AE」といふ「文字」は、「背中(裏面)の側」には無い。
然るに、
(09)
「AE」と書いた「そのコピー用紙の背中(裏面)」を、自分に向けたまま、「照明にかざす」と、「コピー用紙」は「十分に薄い(0.08㎜)」ため、
「∃A」といふ「文字」が「透けて見える」。
然るに、
(10)
「AE」と書いた「コピー用紙」を「鏡に向ける」と、「鏡の中」で、
「AE」といふ「文字」は、
「∃A」といふ「文字」に見える。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
「鏡の中」の
「∃A」といふ「文字」は、
「AE」と書いた「コピー用紙の表面」を、
「背中(裏面)の側から、透かして見てゐる際の形」に「等しい」。
然るに、
(10)により、
(12)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
「鏡の中」で、
「AE」といふ「Tシャツの文字」は、言ふまでもなく、
「∃A」といふ「文字」に見える。
従って、
(11)(12)により、
(13)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
「鏡の中の、文字の輪郭」と、
「鏡の中の、自分の輪郭」は、
「鏡の外で、背中(裏面)を向けて立ってゐる際の、輪郭」に「等しい」。
然るに、
(14)
「鏡の前」に立つとき、
「鏡の中の、もう一人の自分は、こちらを向いてゐる。」
従って、
(14)により、
(15)
「鏡の中の、もう一人の自分は、背中を向けてゐない。」
従って、
(13)(15)により、
(16)
「鏡の前」に立つとき、
「鏡の中の、もう一人の自分は、背中(裏面)を向けてゐないのに、背中(裏面)を向けてはゐる。」
然るに、
(17)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「回れ右」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、言ふまでもなく、
「AE」といふ「文字」に「見える」。
然るに、
(18)
「∃A(鏡の中)」と、
「AE(鏡の外)」は、
「左右(∃E)が逆で、上下(AA)が等しい。」
従って、
(17)(18)により、
(19)
「鏡の中の人物」を、
「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
と「仮定」すると、
「左右(∃E)が逆で、上下(AA)が等しい。」
といふ「矛盾」が生じる。
従って、
(19)により、
(20)
「鏡の中の人物」は、
「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
といふ「仮定」は、「否定」しなければ、ならない。
cf.
背理法(Reductio ad absurdum)。
然るに、
(21)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「回れ右」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、
「AE」に「見える」ものの、
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「逆立ち」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、
「∃∀」といふ「文字」に「見える」。
然るに、
(22)
「∃A(鏡の中)」と、
「∃∀(鏡の外)」は、
「上下(A∀)が逆で、左右(∃∃)が等しい。」
従って、
(21)(22)により、
(23)
「鏡の中の人物」を、
「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
と「仮定」すると、
「上下(A∀)が逆で、左右(∃∃)が等しい。」
といふ「矛盾」が生じる。
従って、
(23)により、
(24)
「鏡の中の人物」は、
「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
といふ「仮定」は、「否定」しなければ、ならない。
従って、
(20)(24)により、
(25)
(α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」は、「否定」しなければ、ならない。
(β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」は、「否定」しなければ、ならない。
然るに、
(26)
我々は、「後ろを振り向く」際に、「逆立ちをして、振り向く」といふことを、「普通は、しない。」
従って、
(25)(26)により、
(27)
(α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」。
(β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」。
といふ「二つの仮定」の内の、
(β)に関しては、「初めから、否定済み」であるものの、
(α)に関しては、「否定、出来ない」のが、「普通」である。
従って、
(17)~(27)により、
(28)
(β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」だけでなく、
(α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」も、「同時に、否定」しなければ、ならない。
といふことに「気づくことが出来ず」、それ故、「どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?」
といふ「疑問」だけが、生じることになる。
然るに、
(29)
このことを、「理解」するためには、
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
「鏡の中の、文字の輪郭」と、
「鏡の中の、自分の輪郭」は、
「鏡の外で、背中(裏面)を向けて立ってゐる際の、輪郭」に「等しい」。
といふことを、「理解」する必要がある。
然るに、
(30)
このことを、「理解」するためには、まず最初に、
「鏡の中」の、例へば、「∃A」といふ「文字」は、「AE」と書いた「コピー用紙の表面」を、『背中(裏面)の側から、透かして見てゐる際の形』に「等しい」。
といふことを、「理解」する必要がある。
従って、
(31)
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。
といふことは、その通りだとしても、
鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。
といふことを、敢へて「強調」する「必要」はない。といふ風に、思はれる。
平成31年04月22日、毛利太。
2019年4月21日日曜日
「英語」は「漢文」よりも「非論理(学)的」である。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
——「数時間前の記事」の「続き」を書きます。―
(06)
② 莫民非其臣=
② 莫〔民非(其臣)〕⇒
② 〔民(其臣)非〕莫=
② 〔民にして(其の臣に)非ざる〕莫し=
② 民であって、其の(王の)臣民でないものはゐない=
② All the people are his retainers.
といふ「漢文・訓読・英訳」は、
② ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}⇔
② すべてのxについて、xが民であるならば、あるyはxの王であって、すべてのzについて、zがxの王であるならば、zはyと同一人物である。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(07)
② 莫民非其臣=
② 莫〔民非(其臣)〕。
に於いて、
② 莫=No
② 民=peaple
② 非=aren't
② 其=his
② 臣=retainers.
とするならば、
③ No people aren't his retainers=
③ No〔people aren't(his retainers)〕.
といふ「英文」を得ることになる。
然るに、
(08)
③ No people aren't his retainers.
③ Any people aren't his retainers.
④ All the people are his retainers.
といふ「英文」を、「グーグル翻訳」に掛けると、
③ 誰も彼の擁護者ではありません。
③ 誰も彼の擁護者ではありません。
④ すべての人々は彼の家臣です。
といふ「英文」を、出力する。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 莫民非其臣=
② 莫〔民非(其臣)〕。
に於いて、
② 莫=No
② 民=peaple
② 非=aren't
② 其=his
② 臣=retainers.
とするならば、
③ No people aren't his retainers=
③ No〔people aren't(his retainers)〕.
といふ「英文」を得ることになるものの、その一方で、
② 莫〔民非(其臣)〕。
③ No〔people aren't(his retainers)〕.
に於いて、
②=③ といふ「等式」が、成立しない。
従って、
(06)~(09)により、
(10)
② 莫民非其臣。
③ No people aren't his retainers.
に於いて、
② といふ「漢文」は、「論理学的」であるが、
③ といふ「英文」は、「論理学的」ではない。
(11)
④ 無不我好者=
④ 無〔不(我好)者〕⇒
④ 〔(我好)不者〕無=
④ 〔(我を好ま)不る者〕無し=
④ 私を好まない者はゐない。
(12)
(ⅰ)
1 (1)∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)} A
1 (2) 人a→~∃y(私y&~好ay)} 1UE
3(3) 人a A
13(4) ~∃y(私y&~好ay) 23CP
13(5) ∀y~(私y&~好ay) 4量化子の関係
13(6) ~(私b&~好ab) 5UE
13(7) ~私b∨~~好ab 6ド・モルガンの法則
13(8) ~私b∨ 好ab 7DN
13(9) 好ab∨~私b 8交換法則
13(ア) ~~好ab∨~私b 9DN
13(イ) ~好ab→~私b ア含意の定義
13(ウ) ∀y(~好ay→~私y) イUI
1 (エ) 人a→∀y(~好ay→~私y) 3ウCP
1 (オ)∀x{人x→∀y(~好xy→~私y) エUI
(ⅱ)
1 (1)∀x{人x→∀y(~好xy→~私y)} A
1 (2) 人a→∀y(~好ay→~私y) 1UE
3(3) 人a A
13(4) ∀y(~好ay→~私y) 23MPP
13(5) ~好ab→~私b 4UE
13(6) ~~好ab∨~私b 5含意の定義
13(7) 好ab∨~私b 6DN
13(8) ~私b∨好ab 7交換法則
13(9) ~~(~私b∨好ab) 8DN
13(ア) ~(~~私b&~好ab) 8ド・モルガンの法則
13(イ) ~(私b&~好ab) アDN
13(ウ) ∀y~(私y&~好ay) イUI
13(エ) ~∃y(私y&~好ay) ウ量化子の関係
1 (オ) 人a→~∃y(私y&~好ay) 3エCP
1 (カ)∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)} オUI
従って、
(12)により、
(13)
(ⅰ)∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}
(ⅱ)∀x{人x→∀y(~好xy→~私y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(13)により、
(14)
(ⅰ)∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}
(ⅱ)∀x{人x→∀y(~好xy→~私y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(14)により、
(15)
(ⅰ)すべてのxについて、 xが人であるならば、あるyが私であって、尚且つ、xがyを好きではない。といふことはない。
(ⅱ)いかなるxであっても、xが人であるならば、すべてのyについて、xがyを好きではないのであれば、yは私ではない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(15)により、
(16)
(ⅰ)すべての人は、私を好きでない。といふことがない。
(ⅱ)すべての人が、すべての人の中の、ある誰かを好きではないのであれば、その誰かは私ではない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(17)
④ 無不我好者=
④ 無〔不(我好)者〕⇒
④ 〔(我好)不者〕無=
④ 〔(我を好ま)不る者〕無し=
④ 私を好まない者はゐない。
といふことは、
(ⅰ)すべての人が、私を好きでない。といふことはない。
(ⅱ)すべての人が、すべての人の中の、ある誰かを好きではないのであれば、その誰かは私ではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(11)~(17)により、
(18)
④ 無不我好者。⇔
④ 我を好ま不る者無し。
といふ「漢文訓読」は、
④ ∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}
④ ∀x{人x→∀y(~好xy→~私y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(19)
④ 無不我好者。⇔
④ 我を好ま不る者無し。⇔
④ ∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}。
といふ「漢文・訓読・述語論理」は、「単なる否定」ではなく、「二重否定」である。
然るに、
(20)
④ Anybody doesn't like me.
といふ「英語」は、「単なる否定」であって、
⑤ Nobody doesn't like me.
といふ「英語」は、「二重否定」である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
④ 無不我好者。⇔
④ 我を好ま不る者無し。⇔
④ ∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}。
といふ「漢文・訓読・述語論理(二重否定)」は、
⑤ Nobody doesn't like me.
といふ「英語(二重否定)」に相当する。はずである。
然るに、
(22)
このような用法は、特に英語で問題になる。たとえば、Nobody don't like me. (誰も僕を好いてくれない)や I don't know nothing. (僕は何も知らない)などがこれにあたる。このような言い方は2つの否定を意味する語句が対応しあって1つの否定表現を形作るもので、英語は本来はこのように否定文では否定形の語を一貫して使う否定呼応を用いる言語であった。すなわち、否定呼応を用いる言語では、二重に否定語を用いても単純にひとつの否定表現を作るだけであり、論理学的に見た場合は単なる否定である。しかし、否定呼応を用いない言語では、二重に否定語を用いることは論理学的に見るところの「否定」の否定であり、肯定である(ウィキペディア:二重否定)。
従って、
(21)(22)により、
(23)
⑤ Nobody doesn't like me.
といふ「英語」は、「形式」としては、「二重否定」であるにもかかはらず、「意味」としては、「二重否定」ではない。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
④ 無不我好者。
⑤ Nobody doesn't like me.
に於いて、
④ といふ「漢文」は、「論理(学)的」であるが、
⑤ といふ「英文」は、「論理(学)的」ではない。
従って、
(10)(24)により、
(25)
② 莫民非其臣。
④ 無不我好者。
といふ「漢文」は、「論理(学)的」であるが、
③ No people aren't his retainers.
⑤ Nobody doesn't like me.
といふ「英文」は、「論理(学)的」ではない。
平成31年04月21日、毛利太。
——「数時間前の記事」の「続き」を書きます。―
(06)
② 莫民非其臣=
② 莫〔民非(其臣)〕⇒
② 〔民(其臣)非〕莫=
② 〔民にして(其の臣に)非ざる〕莫し=
② 民であって、其の(王の)臣民でないものはゐない=
② All the people are his retainers.
といふ「漢文・訓読・英訳」は、
② ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}⇔
② すべてのxについて、xが民であるならば、あるyはxの王であって、すべてのzについて、zがxの王であるならば、zはyと同一人物である。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(07)
② 莫民非其臣=
② 莫〔民非(其臣)〕。
に於いて、
② 莫=No
② 民=peaple
② 非=aren't
② 其=his
② 臣=retainers.
とするならば、
③ No people aren't his retainers=
③ No〔people aren't(his retainers)〕.
といふ「英文」を得ることになる。
然るに、
(08)
③ No people aren't his retainers.
③ Any people aren't his retainers.
④ All the people are his retainers.
といふ「英文」を、「グーグル翻訳」に掛けると、
③ 誰も彼の擁護者ではありません。
③ 誰も彼の擁護者ではありません。
④ すべての人々は彼の家臣です。
といふ「英文」を、出力する。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 莫民非其臣=
② 莫〔民非(其臣)〕。
に於いて、
② 莫=No
② 民=peaple
② 非=aren't
② 其=his
② 臣=retainers.
とするならば、
③ No people aren't his retainers=
③ No〔people aren't(his retainers)〕.
といふ「英文」を得ることになるものの、その一方で、
② 莫〔民非(其臣)〕。
③ No〔people aren't(his retainers)〕.
に於いて、
②=③ といふ「等式」が、成立しない。
従って、
(06)~(09)により、
(10)
② 莫民非其臣。
③ No people aren't his retainers.
に於いて、
② といふ「漢文」は、「論理学的」であるが、
③ といふ「英文」は、「論理学的」ではない。
(11)
④ 無不我好者=
④ 無〔不(我好)者〕⇒
④ 〔(我好)不者〕無=
④ 〔(我を好ま)不る者〕無し=
④ 私を好まない者はゐない。
(12)
(ⅰ)
1 (1)∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)} A
1 (2) 人a→~∃y(私y&~好ay)} 1UE
3(3) 人a A
13(4) ~∃y(私y&~好ay) 23CP
13(5) ∀y~(私y&~好ay) 4量化子の関係
13(6) ~(私b&~好ab) 5UE
13(7) ~私b∨~~好ab 6ド・モルガンの法則
13(8) ~私b∨ 好ab 7DN
13(9) 好ab∨~私b 8交換法則
13(ア) ~~好ab∨~私b 9DN
13(イ) ~好ab→~私b ア含意の定義
13(ウ) ∀y(~好ay→~私y) イUI
1 (エ) 人a→∀y(~好ay→~私y) 3ウCP
1 (オ)∀x{人x→∀y(~好xy→~私y) エUI
(ⅱ)
1 (1)∀x{人x→∀y(~好xy→~私y)} A
1 (2) 人a→∀y(~好ay→~私y) 1UE
3(3) 人a A
13(4) ∀y(~好ay→~私y) 23MPP
13(5) ~好ab→~私b 4UE
13(6) ~~好ab∨~私b 5含意の定義
13(7) 好ab∨~私b 6DN
13(8) ~私b∨好ab 7交換法則
13(9) ~~(~私b∨好ab) 8DN
13(ア) ~(~~私b&~好ab) 8ド・モルガンの法則
13(イ) ~(私b&~好ab) アDN
13(ウ) ∀y~(私y&~好ay) イUI
13(エ) ~∃y(私y&~好ay) ウ量化子の関係
1 (オ) 人a→~∃y(私y&~好ay) 3エCP
1 (カ)∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)} オUI
従って、
(12)により、
(13)
(ⅰ)∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}
(ⅱ)∀x{人x→∀y(~好xy→~私y)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(13)により、
(14)
(ⅰ)∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}
(ⅱ)∀x{人x→∀y(~好xy→~私y)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(14)により、
(15)
(ⅰ)すべてのxについて、 xが人であるならば、あるyが私であって、尚且つ、xがyを好きではない。といふことはない。
(ⅱ)いかなるxであっても、xが人であるならば、すべてのyについて、xがyを好きではないのであれば、yは私ではない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(15)により、
(16)
(ⅰ)すべての人は、私を好きでない。といふことがない。
(ⅱ)すべての人が、すべての人の中の、ある誰かを好きではないのであれば、その誰かは私ではない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(17)
④ 無不我好者=
④ 無〔不(我好)者〕⇒
④ 〔(我好)不者〕無=
④ 〔(我を好ま)不る者〕無し=
④ 私を好まない者はゐない。
といふことは、
(ⅰ)すべての人が、私を好きでない。といふことはない。
(ⅱ)すべての人が、すべての人の中の、ある誰かを好きではないのであれば、その誰かは私ではない。
といふことに、他ならない。
従って、
(11)~(17)により、
(18)
④ 無不我好者。⇔
④ 我を好ま不る者無し。
といふ「漢文訓読」は、
④ ∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}
④ ∀x{人x→∀y(~好xy→~私y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(19)
④ 無不我好者。⇔
④ 我を好ま不る者無し。⇔
④ ∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}。
といふ「漢文・訓読・述語論理」は、「単なる否定」ではなく、「二重否定」である。
然るに、
(20)
④ Anybody doesn't like me.
といふ「英語」は、「単なる否定」であって、
⑤ Nobody doesn't like me.
といふ「英語」は、「二重否定」である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
④ 無不我好者。⇔
④ 我を好ま不る者無し。⇔
④ ∀x{人x→~∃y(私y&~好xy)}。
といふ「漢文・訓読・述語論理(二重否定)」は、
⑤ Nobody doesn't like me.
といふ「英語(二重否定)」に相当する。はずである。
然るに、
(22)
このような用法は、特に英語で問題になる。たとえば、Nobody don't like me. (誰も僕を好いてくれない)や I don't know nothing. (僕は何も知らない)などがこれにあたる。このような言い方は2つの否定を意味する語句が対応しあって1つの否定表現を形作るもので、英語は本来はこのように否定文では否定形の語を一貫して使う否定呼応を用いる言語であった。すなわち、否定呼応を用いる言語では、二重に否定語を用いても単純にひとつの否定表現を作るだけであり、論理学的に見た場合は単なる否定である。しかし、否定呼応を用いない言語では、二重に否定語を用いることは論理学的に見るところの「否定」の否定であり、肯定である(ウィキペディア:二重否定)。
従って、
(21)(22)により、
(23)
⑤ Nobody doesn't like me.
といふ「英語」は、「形式」としては、「二重否定」であるにもかかはらず、「意味」としては、「二重否定」ではない。
従って、
(21)(22)(23)により、
(24)
④ 無不我好者。
⑤ Nobody doesn't like me.
に於いて、
④ といふ「漢文」は、「論理(学)的」であるが、
⑤ といふ「英文」は、「論理(学)的」ではない。
従って、
(10)(24)により、
(25)
② 莫民非其臣。
④ 無不我好者。
といふ「漢文」は、「論理(学)的」であるが、
③ No people aren't his retainers.
⑤ Nobody doesn't like me.
といふ「英文」は、「論理(学)的」ではない。
平成31年04月21日、毛利太。
「一民莫非其臣也(莫民非其臣也)」の「述語論理」。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
(01)
わずか一尺の土地でも紂王の領地でないところはないし、また一人の人民でも紂王の家来でないものはなかった。ところが、一方文王は〔いかに聖人といえ〕わずか百里四方の小さい土地(諸侯)から勃興したのであるから、天下の王者となることはきわめて困難であったのは当然である(孟子、公孫丑章句上、小林勝人 訳)。
(02)
1 (1)∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]} A
1 (2) 民a→∃y[王ya&∀z(王za→z=y)] 1UE
3 (3) 民a A
13 (4) ∃y[王ya&∀z(王za→z=y)] 23MPP
5 (5) 王ba&∀z(王za→z=b) A
5 (6) 王ba 5&E
5 (7) ∀z(王za→z=b) 5&E
5 (8) 王ca→c=b 7UE
9 (9)∃y∃z(紂y&文z&y≠z) A
ア (ア) ∃z(紂b&文z&b≠z) A
イ(イ) 紂b&文c&b≠c A
イ(ウ) 紂b&文c イ&E
イ(エ) 文c イ&E
イ(オ) b≠c イ&E
5 イ(カ) ~王ca 8オMTT
5 イ(キ) 文c&~王ca オカ&I
5 イ(ク) ∃z(文z&~王za) キEI
5 ア (ケ) ∃z(文z&~王za) アイクEE
59 (コ) ∃z(文z&~王za) 9アケEE
13 9 (サ) ∃z(文z&~王za) 45コEE
1 9 (シ) 民a→∃z(文z&~王za) 3サCP
1 9 (ス)∀x{民x→∃z(文z&~王zx) シUI
cf.
「=」の「否定」を「≠」と書いて、「≠」の「否定」を、「=」と書くことにします。
従って、
(02)により、
(03)
(1)すべてのxについて、xが民であるならば、あるyはxの王であって、すべてのzについて、zがxの王であるならば、zはyと同一人物である。 と「仮定」し、
(9)あるyは紂であり、あるzは文であり、yとzは、同一人物ではない。 と「仮定」すると、
(ス)すべてのxについて、xが民であるならば、あるzは文であり、zはxの王ではない。 といふ『結論』を、得る。
従って、
(03)により、
(04)
(1)すべての民が、紂を王とし、紂以外に、民の王がゐない。 と「仮定」し、
(9)紂と文は、同一人物ではない。 と「仮定」すると、
(ス)すべての民の王は、文ではない。 といふ『結論』を、得る。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 一民莫非其臣也=
① 一民莫〔非(其臣)〕也=
① 一民〔(其臣)非〕莫也=
① 一民も〔(其の臣)非ざる〕莫きなり=
① 一人の民も其の(王の)臣民でないものはゐないのだ。
といふ「漢文訓読」は、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(06)
② 莫民非其臣也=
② 莫〔民非(其臣)〕也⇒
② 〔民(其臣)非〕莫也=
② 〔民にして(其の臣に)非ざる〕莫きなり=
② 民であって、其の(王の)臣民でないものはゐないのだ。
といふ「漢文」も、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 一民莫非其臣也。
② 莫民非其臣也。
といふ「漢文」は、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する
cf.
② 無物不有 =物として有らざるはなし。
といふ「漢文」がある以上、
② 莫民非其臣=民にして其の臣に非ざるはなし。
といふ「漢文」も、有り得るものと、考へます。
平成31年04月21日、毛利太。
(01)
わずか一尺の土地でも紂王の領地でないところはないし、また一人の人民でも紂王の家来でないものはなかった。ところが、一方文王は〔いかに聖人といえ〕わずか百里四方の小さい土地(諸侯)から勃興したのであるから、天下の王者となることはきわめて困難であったのは当然である(孟子、公孫丑章句上、小林勝人 訳)。
(02)
1 (1)∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]} A
1 (2) 民a→∃y[王ya&∀z(王za→z=y)] 1UE
3 (3) 民a A
13 (4) ∃y[王ya&∀z(王za→z=y)] 23MPP
5 (5) 王ba&∀z(王za→z=b) A
5 (6) 王ba 5&E
5 (7) ∀z(王za→z=b) 5&E
5 (8) 王ca→c=b 7UE
9 (9)∃y∃z(紂y&文z&y≠z) A
ア (ア) ∃z(紂b&文z&b≠z) A
イ(イ) 紂b&文c&b≠c A
イ(ウ) 紂b&文c イ&E
イ(エ) 文c イ&E
イ(オ) b≠c イ&E
5 イ(カ) ~王ca 8オMTT
5 イ(キ) 文c&~王ca オカ&I
5 イ(ク) ∃z(文z&~王za) キEI
5 ア (ケ) ∃z(文z&~王za) アイクEE
59 (コ) ∃z(文z&~王za) 9アケEE
13 9 (サ) ∃z(文z&~王za) 45コEE
1 9 (シ) 民a→∃z(文z&~王za) 3サCP
1 9 (ス)∀x{民x→∃z(文z&~王zx) シUI
cf.
「=」の「否定」を「≠」と書いて、「≠」の「否定」を、「=」と書くことにします。
従って、
(02)により、
(03)
(1)すべてのxについて、xが民であるならば、あるyはxの王であって、すべてのzについて、zがxの王であるならば、zはyと同一人物である。 と「仮定」し、
(9)あるyは紂であり、あるzは文であり、yとzは、同一人物ではない。 と「仮定」すると、
(ス)すべてのxについて、xが民であるならば、あるzは文であり、zはxの王ではない。 といふ『結論』を、得る。
従って、
(03)により、
(04)
(1)すべての民が、紂を王とし、紂以外に、民の王がゐない。 と「仮定」し、
(9)紂と文は、同一人物ではない。 と「仮定」すると、
(ス)すべての民の王は、文ではない。 といふ『結論』を、得る。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 一民莫非其臣也=
① 一民莫〔非(其臣)〕也=
① 一民〔(其臣)非〕莫也=
① 一民も〔(其の臣)非ざる〕莫きなり=
① 一人の民も其の(王の)臣民でないものはゐないのだ。
といふ「漢文訓読」は、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(06)
② 莫民非其臣也=
② 莫〔民非(其臣)〕也⇒
② 〔民(其臣)非〕莫也=
② 〔民にして(其の臣に)非ざる〕莫きなり=
② 民であって、其の(王の)臣民でないものはゐないのだ。
といふ「漢文」も、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 一民莫非其臣也。
② 莫民非其臣也。
といふ「漢文」は、
③ ∀x{民x→∃y[王yx&∀z(王zx→z=y)]}
といふ「述語論理」に、相当する
cf.
② 無物不有 =物として有らざるはなし。
といふ「漢文」がある以上、
② 莫民非其臣=民にして其の臣に非ざるはなし。
といふ「漢文」も、有り得るものと、考へます。
平成31年04月21日、毛利太。
2019年4月20日土曜日
「選言導入の規則(∨I)」は「不自然」ではない(Ⅱ)。
―「返り点と括弧」に関しては、『「返り点」と「括弧」の関係(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html)』他をお読み下さい。―
―「午前中の記事」を「補足」します。―
(01)
選言の導入または追加(または導入とも呼ばれる)[1] [2] [3]は命題論理および他のほとんどすべての推論システムの推論の法則です。規則は論理的証明に選言を導入することを可能にする。ある推論あればというPが真である場合、PまたはQが真でなければなりません。
英語での例:
ソクラテスは男です。したがって、
ソクラテスは男であるか、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。
規則は次のように表すことができます。
形式表記
P→(P∨Q)
(英語版、ウィキペディア、グーグル翻訳改)。
然るに、
(02)
(ⅰ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
1 (3) Q∨P 2交換法則
1 (4)~~Q∨P 2DN
1 (5) ~Q→P 4含意の規則
6(6) ~Q A
16(7) P 56MPP
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、「Pを真にする」ことは、「可能」である。
然るに、
(04)
(ⅱ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
1 (3) Q∨P 2交換法則
1 (4)~~Q∨P 2DN
1 (5) ~Q→P 4含意の規則
6(6) Q A
6(7)~~Q 6DN
16(8) ~P 57前件否定虚偽
cf.
前件否定の虚偽
仮言的三段論法において生じる虚偽。前件が否定されることから後件も否定するところに生じる(デジタル大辞泉)。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅱ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、「Pを偽にする」ことは、「可能」ではない。
然るに、
(06)
(ⅲ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
1 (3)~~P∨Q 2DN
1 (4) ~P→Q 3含意の定義
5(5) ~P A
15(6) Q 45MPP
15(5) P&~P は、「矛盾」である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅲ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、「Qを真にする」ことは、「可能」ではない。
然るに、
(08)
(ⅳ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
1 (3)~~P∨Q 2DN
1 (4) ~P→Q 3含意の定義
5(5)~~P A
15(6) ~Q 45前件否定虚偽
従って、
(08)により、
(09)
(ⅳ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、「Qを偽にする」ことも、「可能」ではない。
従って、
(03)(05)(07)(09)により、
(10)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、
(ⅰ)「Pを真にする」ことは、「可能」である。
(ⅱ)「Pを偽にする」ことは、「可能」ではない。
(ⅲ)「Qを真にする」ことは、「可能」ではない。
(ⅳ)「Qを偽にする」ことは、「可能」ではない。
然るに、
(11)
「排中律(P∨~P)」により、
「Pは真であるか、偽であるか、いづれかである。」
従って、
(10)(11)により、
(12)
(ⅰ)「Pを真にする」ことは、「可能」であるが、
(ⅱ)「Pを偽にする」ことは、「可能」ではない。
といふのであれば、
(ⅰ)「Pは真である。」と、すべきである。
然るに、
(13)
(ⅲ)「Qを真にする」ことは、「可能」ではないし、
(ⅳ)「Qを偽にする」ことも、「可能」ではない。
といふのであれば、必然的に、
(ⅲ)「Qは真であるのかも知れない。」
(ⅳ)「Qは偽であるのかも知れない。」
従って、
(10)~(13)により、
(14)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「真」であるならば、
(ⅰ)「Pである。」は「真」であり、
(ⅱ)「Pでない。」は「偽」であり、
(ⅲ)「Qである。」は「真偽不明」であり、
(ⅳ)「Qでない。」も「真偽不明」である。
従って、
(14)により、
(15)
P=ソクラテスは人間である。
Q=豚がイギリスの海峡を越えて編隊で飛んでいる。
であるとして、
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」であるならば、
(ⅰ)「ソクラテスは人間である。」は「真」であり、
(ⅱ)「ソクラテスは人間でない。」は「偽」であり、
(ⅲ)「豚がイギリスの海峡を越えて編隊で飛んでいる。 」は「真偽不明」であり、
(ⅳ)「豚がイギリスの海峡を越えて編隊で飛んでいない。」も「真偽不明」である。
従って、
(15)により、
(16)
P=ソクラテスは人間である。
Q=豚がイギリスの海峡を越えて編隊で飛んでいる。
であるとして、
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」であるといふことは、
「ソクラテスは人間である。従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。」
といふことを、述べてゐる。
従って、
(01)(16)により、
(17)
「ソクラテスは人間である。従って、ソクラテスは人間であるか、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。」
といふ「推論」は、実際には、
「ソクラテスは人間である。従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。」
といふことを、述べてゐる。
然るに、
(18)
「ソクラテスは人間である。従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。」
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
といふ「推論」は、「妥当(valid)」である。
平成31年04月20日、毛利太。
―「午前中の記事」を「補足」します。―
(01)
選言の導入または追加(または導入とも呼ばれる)[1] [2] [3]は命題論理および他のほとんどすべての推論システムの推論の法則です。規則は論理的証明に選言を導入することを可能にする。ある推論あればというPが真である場合、PまたはQが真でなければなりません。
英語での例:
ソクラテスは男です。したがって、
ソクラテスは男であるか、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。
規則は次のように表すことができます。
形式表記
P→(P∨Q)
(英語版、ウィキペディア、グーグル翻訳改)。
然るに、
(02)
(ⅰ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
1 (3) Q∨P 2交換法則
1 (4)~~Q∨P 2DN
1 (5) ~Q→P 4含意の規則
6(6) ~Q A
16(7) P 56MPP
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、「Pを真にする」ことは、「可能」である。
然るに、
(04)
(ⅱ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
1 (3) Q∨P 2交換法則
1 (4)~~Q∨P 2DN
1 (5) ~Q→P 4含意の規則
6(6) Q A
6(7)~~Q 6DN
16(8) ~P 57前件否定虚偽
cf.
前件否定の虚偽
仮言的三段論法において生じる虚偽。前件が否定されることから後件も否定するところに生じる(デジタル大辞泉)。
従って、
(04)により、
(05)
(ⅱ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、「Pを偽にする」ことは、「可能」ではない。
然るに、
(06)
(ⅲ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
1 (3)~~P∨Q 2DN
1 (4) ~P→Q 3含意の定義
5(5) ~P A
15(6) Q 45MPP
15(5) P&~P は、「矛盾」である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅲ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、「Qを真にする」ことは、「可能」ではない。
然るに、
(08)
(ⅳ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
1 (3)~~P∨Q 2DN
1 (4) ~P→Q 3含意の定義
5(5)~~P A
15(6) ~Q 45前件否定虚偽
従って、
(08)により、
(09)
(ⅳ)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、「Qを偽にする」ことも、「可能」ではない。
従って、
(03)(05)(07)(09)により、
(10)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」である際に、
(ⅰ)「Pを真にする」ことは、「可能」である。
(ⅱ)「Pを偽にする」ことは、「可能」ではない。
(ⅲ)「Qを真にする」ことは、「可能」ではない。
(ⅳ)「Qを偽にする」ことは、「可能」ではない。
然るに、
(11)
「排中律(P∨~P)」により、
「Pは真であるか、偽であるか、いづれかである。」
従って、
(10)(11)により、
(12)
(ⅰ)「Pを真にする」ことは、「可能」であるが、
(ⅱ)「Pを偽にする」ことは、「可能」ではない。
といふのであれば、
(ⅰ)「Pは真である。」と、すべきである。
然るに、
(13)
(ⅲ)「Qを真にする」ことは、「可能」ではないし、
(ⅳ)「Qを偽にする」ことも、「可能」ではない。
といふのであれば、必然的に、
(ⅲ)「Qは真であるのかも知れない。」
(ⅳ)「Qは偽であるのかも知れない。」
従って、
(10)~(13)により、
(14)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「真」であるならば、
(ⅰ)「Pである。」は「真」であり、
(ⅱ)「Pでない。」は「偽」であり、
(ⅲ)「Qである。」は「真偽不明」であり、
(ⅳ)「Qでない。」も「真偽不明」である。
従って、
(14)により、
(15)
P=ソクラテスは人間である。
Q=豚がイギリスの海峡を越えて編隊で飛んでいる。
であるとして、
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」であるならば、
(ⅰ)「ソクラテスは人間である。」は「真」であり、
(ⅱ)「ソクラテスは人間でない。」は「偽」であり、
(ⅲ)「豚がイギリスの海峡を越えて編隊で飛んでいる。 」は「真偽不明」であり、
(ⅳ)「豚がイギリスの海峡を越えて編隊で飛んでいない。」も「真偽不明」である。
従って、
(15)により、
(16)
P=ソクラテスは人間である。
Q=豚がイギリスの海峡を越えて編隊で飛んでいる。
であるとして、
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
が「妥当」であるといふことは、
「ソクラテスは人間である。従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。」
といふことを、述べてゐる。
従って、
(01)(16)により、
(17)
「ソクラテスは人間である。従って、ソクラテスは人間であるか、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいる。」
といふ「推論」は、実際には、
「ソクラテスは人間である。従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。」
といふことを、述べてゐる。
然るに、
(18)
「ソクラテスは人間である。従って、ソクラテスは人間であるが、豚がイギリスの海峡を越えて編隊を組んで飛んでいるかどうかは、分からない。」
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(16)(17)(18)により、
(19)
1 (1) P A
1 (2) P∨Q 1∨I(選言導入の規則)
といふ「推論」は、「妥当(valid)」である。
平成31年04月20日、毛利太。
登録:
投稿 (Atom)