2019年6月15日土曜日

「春は曙。」の「述語論理」。

― 長い間、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他、諸々」を、お読み下さい。―

(01)
{xの変域}={兎、象、馬、キリン}
{yの変域}={耳、鼻、顔、首}
であるとすると、
① 象は鼻が長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
(02)
{xの変域}={耳、鼻、顔、首}
{yの変域}={兎、象、馬、キリン}
であるとすると、
① 鼻は象が長い。⇔
① ∀x∀y{[(鼻xy&象y)→長x]&[~(鼻xy&象y)→~長x]}⇔
① すべてのxとすべてのyについて、(xはyの鼻であって、yが象である)ならば、xは長く、(xがyの鼻であって、yが象である)でないならば、xは長くない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
同じく、
③ AはBがCである。
であるとしても、
① 象は鼻が長い=  ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 鼻は象が長い=∀x∀y{[(鼻xy&象y)→長x]&[~(鼻xy&象y)→~長x]}。
に於ける、「論理構造」は、「同一」ではない。
然るに、
(04)
{xの変域}={春、夏、秋、冬}
{yの変域}={曙、夜、夕暮れ、早朝}
であるとして、
1    (1)∀x∀y{[(春xy&曙y)→良x]&[~(春xy&曙y)→~良x]} A
 2   (2)∃x∃y(春xy&夜y&~曙y)                    A
1    (3)  ∀y{[(春ay&曙y)→良a]&[~(春ay&曙y)→~良a]} 1UE
1    (4)     [(春ab&曙b)→良a]&[~(春ab&曙b)→~良a]  3UE
1    (5)                    ~(春ab&曙b)→~良a   4&E
  6  (6)                     春ab→~曙b        A
  6  (7)                    ~春ab∨~曙b        6含意の定義
  6  (8)                    ~(春ab&曙b)       7ド・モルガンの法則
1 6  (9)                              ~良a   58MPP
1    (ア)                     春ab→~曙b→~良a    69CP
   イ (イ)  ∃y(春ay&夜y&~曙y)                    A
    ウ(ウ)     春ab&夜b&~曙b                     A
    ウ(エ)     春ab                            ウ&E
    ウ(オ)         夜b                         ウ&E
    ウ(カ)            ~曙b                     ウ&E
1   ウ(キ)                         ~曙b→~良a    アエMPP
1   ウ(ク)                             ~良a    カキMPP
1   ウ(ケ)     春ab&夜b                         エオ&I
1   ウ(コ)     春ab&夜b&~良a                     クケ&I
1   ウ(サ)  ∃y(春ay&夜y&~良a)                    コEI
1  イ (シ)  ∃y(春ay&夜y&~良x)                    イウサEE
1  イ (ス)∃x∃y(春xy&夜y&~良x)                    シEI                 
12   (セ)∃x∃y(春xy&夜y&~良x)                    2イスEE
12   (〃)あるxは、あるyの春であって、yは夜であって、xは良くない。      2イスEE
12   (〃)であって、であって、良くない、状態が、存在する。          2イスEE
12   (〃)良い。ではない)。                           2イスEE
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 象は鼻が長い  =  ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 鼻は象が長い  =∀x∀y{[(鼻xy&象y)→長x]&[~(鼻xy&象y)→~長x]}。
③ 春は曙(が良い)=∀x∀y{[(春xy&曙y)→良x]&[~(春xy&曙y)→~良x]}。
に於いて、
①と② は、「異なる論理構造」をしてゐて、
②と③ は、「同一の論理構造」をしてゐる。
然るに、
(06)
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし(枕草子、第一段)。
従って、
(02)(05)(06)により、
(07)
③ 春はあけぼの(が素晴らしい)。
といふ「日本語」は、
③ Speaking of four seasons, especially in spring, dawn is wonderful.⇔
③ 四季に関して言へば、特に、春は、夜が明けようとする頃(曙)が素晴らしい。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(08)
「枕草子(第一段)」から、切り離して言へば、
③ 春はあけぼの(が素晴らしい)。
といふ「日本語」は、
③ Speaking of spring, dawn is wonderful.⇔
③ ∀x{春x→∃y(曙yx&良y)&∀z(~曙zx→~良z)}。
といふ「英語」と、「述語論理」に、相当する。
然るに、
(09)
③ Speaking of spring(四季に関して言へば),
は、「副詞句(Adverbial phrase)」である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
③ 春はあけぼの(が素晴らしい)。
に於ける、
③ 春は
は、「副詞句(Adverbial phrase)」である。
従って、
(10)により、
(11)
③ 春はあけぼの(が素晴らしい)。
に於ける、
③ 春
は、「副詞句(Adverbial phrase)」であるが故に、
③ 春 は、
主題 ではない
従って、
(12)
① 象は鼻が長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、yは長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
に於ける、
① 象(すべてのxについて、xが象であるならば、)
は、「副詞句(Adverbial phrase)」であるが故に、
① 象 は、
主題 ではない
然るに、
(13)
学校文法は単純な英語文法からの輸入で、主語・述語関係を単純に当てはめたものだ。そのため、「象は、鼻が長い」という単純な文でさえ、どれが主語だか指摘できず、複数主語だとか、主語の入れ子だとか、奇矯な技を使う。これに対して三上は、日本語には主語はない、とする。「象は」は、テーマを提示する主題であり、これから象についてのことを述べますよというメンタルスペースのセットアップであり、そのメンタルスペースのスコープを形成する働きをもつと主張する(この場合は「長い」までをスコープとする)。
(wrong, rogue and log)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 象は は、
① 象は(∀x{象x→)
① 象は(象に関して言へば、)
① 象は(Speaking of Elephants,)
① 象は(これから象についてのことを述べますよ、)
① 象は(すべてのxについて、xが象であるならば、)
といふ、「副詞句(Adverbial phrase)」であって、それ故、
① 象 を、直接、
主題 と、呼ぶべきではない
従って、
(14)により、
(15)
① 象 は、
① 象(これから象についてのことを述べますよ、)
といふ「副詞句(Adverbial phrase)」であるが、その「副詞句」を称して、我々は、
主題 と呼ぶ。
と、すべきである。
従って、
(15)により、
(16)
だとすれば、
① 象 は、
① 象(すべてのxについて、xが象であるならば、)
といふ「副詞句(Adverbial phrase)」であるが、その「副詞句」を称して、我々は、
主語 と呼ぶ。
のである、としても、そのことに、対して、「クレーム」を付けるべきではない。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
③ 春は は、
③ 春は(∀x{春x→)
③ 春は(春に関して言へば、)
③ 春は(Speaking of spring,)
③ 春は(これから春についてのことを述べますよ、)
③ 春は(すべてのxについて、xが春であるならば、)
といふ、「副詞句(Adverbial phrase)」であって、その「副詞句」を称して、我々は、
① 主語 と呼ぶ。
のである、としても、そのことに、対して、「クレーム」を付けるべきではない。
然るに、
(18)
枕草子の専門家が次のような頭注をつけている。
「春は」は総主語の提示語的用法。「春は曙いとをかし」などの略で。「曙いとをかし」などの述部の主語。
総主語の提示語のような総主語であり、かつ、主語である、とは難儀な話である。
(三上章、日本語の論理、1963年、148・9頁)
然るに、
(19)
③ 春は(春に関して言へば、)といふ「それ」は、
③ 春を、「提示してゐる。」といふ風に、解することが、出来る。
従って、
(15)~(19)により、
(20)
「春は」は総主語の提示語的用法。「春は曙いとをかし」などの略で。「曙いとをかし」などの述部の主語。
総主語の提示語のような総主語であり、かつ、主語である。
といふことが、三上先生が言ふように、「難儀な話」である、とは、思へない
(21)
最後に、もう一度、確認するものの、
③ 春は は、
③ 春は(∀x{春x→)
③ 春は(春に関して言へば、)
③ 春は(Speaking of spring,)
③ 春は(これから春についてのことを述べますよ、)
③ 春は(すべてのxについて、xが春であるならば、)
といふ、「副詞句(Adverbial phrase)」である。
といふことは、「確実」である。
令和元年06月15日、毛利太。

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