2019年11月25日月曜日

「記念会は私が理事長です」の「述語論理」。

― しばらく、「返り点」に関する「記事」を書いてゐません。「返り点と括弧」に関しては、
(α)「返り点」と「括弧」に付いて。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html
(β)「返り点」と「括弧」の条件。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_15.html
(γ)「返り点」と「括弧」の条件(Ⅱ):(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_16.html
(δ)「返り点」は、下には戻らない。 :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html
(ε)「下中上点」等が必要な「理由」。:(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_22.html
(ζ)「返り点・モドキ」について。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_24.html)⇒
 Web上には存在しますが、何故か、アクセス出来ません。
(η)「一二点・上下点」に付いて。  :(https://kannbunn.blogspot.com/2017/12/blog-post_26.html
(θ)「括弧」の「順番」。      :(https://kannbunn.blogspot.com/2018/01/blog-post.html
(ι)「返り点」と「括弧」の関係   :(https://kannbunn.blogspot.com/2019/01/blog-post_21.html
等々、「その他」を、お読み下さい。―

(01)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(02)
 タゴール記念会は、私理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
といふ「情緒的な言ひ方」をしても、『三上章、日本語の論理、1963年』に於いて、
 タゴール記念会は、私が理事です。
といふ「日本語」の「論理的な構造」を説明したことには、ならない。
然るに、
(03)
(1)タゴール記念会は私理事長です。 然るに、
(イ)倉田氏は私ではない。 従って、
(タ)タゴール記念会は、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(03)により、
(04)
(1)すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは私であって、yはxの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yはzと「同一」である。 然るに、
(イ)あるzは倉田であって、zは私ではない。 従って、
(タ)すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるzは倉田であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(04)により、
(05)
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
   イ  (イ)∃z(倉田z&~私z)                           A
1  イ  (タ)∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}              ソUI
といふ「推論」、すなはち、
1     (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1     (2)   T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  1UE
 3    (3)   T会の会員a                               A
13    (4)          ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)]  23MPP
  5   (5)             私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z)   A
  5   (6)             私b&理事長ba                  5&E
  5   (7)             私b                         5&E
  5   (8)                理事長ba                  5&E
  5   (9)                       ∀z(理事長za→b=z)   5&E
  5   (ア)                          理事長ca→b=c    9UE
   イ  (イ)       ∃z(倉田z&~私z)                      A
    ウ (ウ)          倉田c&~私c                       A
    ウ (エ)          倉田c                           ウ&E
    ウ (オ)              ~私c                       ウ&E
     カ(カ)                b=c                     A
    ウカ(キ)              ~私b                       オカ=E
  5 ウカ(ク)              ~私b&私b                    7キ&I
  5 ウ (ケ)                b≠c                     カクRAA
  5 ウ (コ)                         ~理事長ca        アケMTT
  5 ウ (サ)          倉田c&~理事長ca                    エコ&I
  5 ウ (シ)       ∃z(倉田z&~理事長za)                   サEI
  5イ  (ス)       ∃z(倉田z&~理事長za)                   イウシEE
13 イ  (セ)       ∃z(倉田z&~理事長za)                   45スEE
1  イ  (ソ)   T会の会員a→∃z(倉田z&~理事長za)               3セCP
1  イ  (タ)∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}              ソUI
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
(a)タゴール記念会は私理事長です。 然るに、
(b)倉田氏は私ではない。 従って、
(c)タゴール記念会は、倉田氏は理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」であり、それ故、
(α)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(β)∃z(倉田z&~私z)。従って、
(γ)∀x{T会の会員x→∃z(倉田z&~理事長zx)}。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(07)
(α)すべてのzについて、zがx(タゴール記念会)の理事長であるならば、y(私)はzと「同一」である。
といふことは、
(a)(タゴール記念会の)理事長は、私以外にはゐない
といふことである。
然るに、
(08)
(a)(タゴール記念会の)理事長は、私以外にはゐない
といふことは、
(a)(タゴール記念会の)理事長は、私である。
といふ、ことである。
従って、
(01)~(08)により、
(09)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
といふことは、
(a)タゴール記念会は、私が理事です。
(α)タゴール記念会は、私は理事長であり、私以外は理事長ではない
に於いて、
(a)=(α) である。
といふことに、他ならない
従って、
(09)により、
(10)
(a)私理事長です。
といふ「日本語」、すなはち、
(a)ABである。
といふ「日本語」は、
(a)AはBであり、A以外はBでないはBであり、はAである)。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(11)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(12)
少なくとも、『三上章、日本語の論理、1963年』等、並びに『竹林一志、主語・題目語をめぐる三上章の論:総合文化研究第18巻第1号(2012.8)』を読む限り、三上章先生は、
(a)ABである。
といふ「日本語」は、
(a)AはBであり、A以外はBでないはBであり、はAである)。
といふ、「意味」である。
といふことに、気付いてゐないし、仮に気付いてゐたとしも、そのことを「無視」してゐたと、言はざるを得ない。
令和元年11月25日、毛利太。

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