(01)
― 矛盾・韓非子 ―
楚人有鬻盾与矛者。誉之曰、吾盾之堅、莫能陥也。又誉其矛曰、矛之利、於物無不陥也。或曰、以子之矛、陥子之盾、何如。其人弗能応也=
楚人有[鬻〔盾与(矛)〕者]。誉(之)曰、吾盾之堅、莫(能陥)也。又誉(其矛)曰、矛之利、於(物)無〔不(陥)〕也。或曰、以(子之矛)、陥(子之盾)、何如。其人弗〔能(応)〕也⇒
楚人に[〔盾と(矛)とを〕鬻ぐ者]有り。(之を)誉めて曰く、吾が盾の堅きこと、(能く陥す)莫きなり。又た(其の矛を誉めて)曰く、吾が矛の利なること、(物に)於いて〔(陥さ)不る〕無きなり。或ひと曰く、(子の矛を)以て、(子の盾を)陥さば、何如ん。其の人〔(応ふる)能は〕ざるなり=
楚の国の人で盾と矛とを売る者がゐた。自分の盾を誉めて言った。 私の盾を突き通すことができるものはない。 又其の矛を誉めて言った。 私の矛の鋭いことには、どんな物でも突き通すことができないものはない。或るひとが言った。 あなたの矛で、あなたの盾を突いたらどうなるのか。 其の(盾と矛を売る)人は、答へることが、出来なかった。
従って、
(01)により、
(02)
① いかなる矛でも陥せない盾が存在する。⇔
① ∃x{盾x&∀y(矛y→~陥yx)}⇔
① あるxは盾であり、すべてのyについて、yが矛ならば、yはxを陥さない。
② いかなる盾をも陥す矛が存在する。⇔
② ∃y{矛y&∀x(盾x→ 陥yx)}⇔
② あるyは矛であり、すべてのxについて、xが盾ならば、yはxを陥す。
然るに、
(03)
1 (1) ∃x{盾x&∀y(矛y→~陥yx)} A
2 (2) 盾a&∀y(矛y→~陥ya) A
2 (3) 盾a 2&E
2 (4) ∀y(矛y→~陥ya) 2&E
2 (5) 矛b→~陥ba 4UE
6 (6) ∃y{矛y&∀x(盾x→ 陥yx)} A
7(7) 矛b&∀x(盾x→ 陥bx) A
7(8) 矛b 7&E
7(9) ∀x(盾x→ 陥bx) 7&E
7(ア) 盾a→ 陥ba 9UE
2 7(イ) 陥ba 3アMPP
2 7(ウ) ~陥ba 58MPP
2 7(エ) 陥ba&~陥ba イウ&I
26 (オ) 陥ba&~陥ba 67エEE
1 6 (カ) 陥ba&~陥ba 12オEE
1 (キ)~∃y{矛y&∀x(盾x→ 陥yx)} 6カRAA
6 (ク)~∃x{盾x&∀y(矛y→~陥yx)} 1キRAA
従って、
(03)により、
(04)
① ∃x{盾x&∀y(矛y→~陥yx)}├ ~∃y{矛y&∀x(盾x→ 陥yx)}
② ∃y{矛y&∀x(盾x→ 陥yx)}├ ~∃x{盾x&∀y(矛y→~陥yx)}
といふ「連式(Sequents)」、すなはち、
① いかなる矛でも陥せない盾が存在する。故に、いかなる盾をも陥す矛は存在しない。
② いかなる盾をも陥す矛が存在する。 故に、いかなる矛でも陥せない盾は存在しない。
といふ「連式(Sequents)」は「妥当(Valid)」である。
然るに、
(05)
夫不可陷之盾与無不陷之矛、不可同世而立。今堯舜之不可両譽、矛盾之説也=
夫不〔可(陷)〕之盾與[無〔不(陷)〕之矛]、不[可〔同(世)而立〕]。今堯舜之不〔可(両譽)〕、矛盾之説也⇒
夫れ〔(陷す)可がら〕不るの盾と[〔(陷さ)不る〕無きの矛]とは、[〔(世を)同じくして立つ〕可から]不。今堯舜の〔(両つながら譽む)可から〕不るは、矛盾の説なり=
いかなる矛であっても、突き通すことが出来ない「盾」と、いかなる盾であってあっても、突き通さないことが無い「矛」とは、同時に存在することはできない。堯と舜とを同時に誉めたたへることが出来ないのは、この「盾と矛の例へ」と同じである。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
「韓非の言ってゐること」は、「漢文」としても、「日本語」としても、「述語論理」としても、「正しい」。
cf.
儒教思想を批判した韓非は、儒者が堯・舜を、万人を感化した聖人であるとして賞賛するのを反対して、堯が万人を感化したなら、もはや舜はその後をうけて人民を感化する必要はないし、舜が堯にかわって万人を感化する必要があったとするならば、堯は聖人として不十分であったという証拠になる。という。したがって堯・舜ふたりとも聖人であるというのは矛盾であるとして、この話を引用したのである。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、34頁)
令和02年05月21日、毛利太。
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