(01)
多くの印欧語、なかでも現代英語における主語の特徴で特に重要と思われるものを列挙すれば、
(い)基本文に必ず要る。
(ろ)動詞に活用を起させる。
(は)いつも主格で現れる。
の3つである(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、59頁)。
然るに、
(02)
① I am philosopher.
② Ego sum philosophus.
に於いて、
② は、
① の「逐語訳」であるが、
② Ego sum philosophus.
ではなくて、
② Sum philosophus.
であったとしても、すなはち、
② am philosopher.
であったとしても、
① I am philosopher.
である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
印欧語である「ラテン語」の場合は、
(い)be動詞+名詞。
も「基本文」であるため、
(い)主語+be動詞+名詞。
が「基本文」である。とは、言へない。
(04)
③ Mihi carmina placent.
④ I poems like.
に於いて、
④ は、
③ の「逐語」であるが、
③ Mihi は、「与格(私に)」であって、「主格(私は)」ではない。
(05)
⑤ Me pudet ignaviae meae.
⑥ 私は 恥ずかしい 臆病さが 私の
に於いて、
⑥ は、
⑤ の「逐語」であるが、
⑤ Me は、「対格(私を)」であって、「主格(私は)」ではない。
従って、
(01)(04)(05)により、
(06)
印欧語である「ラテン語」の場合は、
(は)主語は、与格であることも、対格であることもあるため、
(は)主語は、いつも主格で現れる。
とは、言へない。
(07)
⑦ Deus erat verbum.
⑧ God was word.
に於いて、
⑧ は、
⑦ の「逐語」であるが、「意味」は、「英語や日本語の語順」とは「逆」に、
⑦ 言葉(Word)は神(god)であった。 であって、
⑦ 神(God)は言葉(word)であった。 ではない。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
「英語」のやうな「主語」だけを「主語」とするならば、
「ラテン語」には「主語」が無い。といふ風に、言へないこともない。
然るに、
(09)
だからと言って、「ラテン語」には「主語」が無い。
といふ「話」は、聞いたことが無い。
従って、
(08)(09)により、
(10)
「日本語」には、「英語」のやうな「主語」が無い。からと言って、
「日本語」には、「主語」が無い。とは、言へないはずである。
令和02年01月07日、毛利太。
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