(01)
P→Q≡PならばQである。
といふを「形式」の「命題」を『仮言命題』といふ。
(02)
P→Q≡PならばQである。
に於ける、
Pを「前件(前提)」といひ、
Qを「後件(結論)」といふ。
然るに、
(03)
『選言導入』といふのは、
この規則(選言導入)は、推論の中で意識されることがおおよそないといえます。「彼女は背が高い」という主張をPとしましょう。すると、このPから「彼女は背が高い または 彼女は美人だ」が導けます。この場合、主張Qは「彼女は美人だ」に対応しています。しかし、「彼女は背が高い」がわかっているのに、わざわざ、「彼女は背が高い または 彼女は美人だ」とつなげる場面は普通の会話ではあまりないでしょう。数学の証明でも、これが使われる場面はほとんど見かけないような気がします。しかし、あとで解説しますが、この推論規則は、他の大事な規則を導く礎になります。
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、156頁)
従って、
(03)により、
(04)
1(1)彼女は背が高い。 仮定
1(2)彼女は背が高いか、または 彼女は美人である。 選言導入
といふ「推論規則」を、『選言導入』といふ。
従って、
(04)により、
(05)
「記号」で書くと、
1(1) P A
1(2) P∨Q 1∨I
といふ「推論規則」を、「∨I(選言導入)」といふものの、
1(1) Q A
1(2)~P∨Q 1∨I
であっても、もちろん、「∨I(選言導入)」である。
然るに、
(06)
(ⅰ)
1 (1) P→Q A
2 (2) ~(~P∨Q) A
3(3) ~P A
3(4) ~P∨Q 3∨I
23(5) ~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 24&I
2 (6) ~~P 35RAA
2 (7) P 6DN
12 (8) Q 17MPP
12 (9) ~P∨Q 8∨I
12 (ア) ~(~P∨Q)&
(~P∨Q) 29&I
1 (イ)~~(~P∨Q) 2アRAA
1 (ウ) ~P∨Q イDN
(ⅱ)~P∨Q├ P→Q
1 (1) ~P∨ Q A
2 (2) P&~Q A
3 (3) ~P A
2 (4) P 2&E
23 (5) ~P& P 34&I
3 (6)~(P&~Q) 25RAA
7 (7) Q A
2 (8) ~Q A
2 7 (9) Q&~Q 78&I
7 (ア)~(P&~Q) 29RAA
1 (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
ウ (ウ) P A
エ(エ) ~Q A
ウエ(オ) P&~Q エオ&I
1 ウエ(カ)~(P&~Q)&
(P&~Q) イオ&I
1 ウ (キ) ~~Q 7カRAA
1 ウ (ク) Q キDN
1 (ケ) P→ Q ウクCP
従って、
(06)により、
(07)
① P→Q≡PならばQである。
② ~P∨Q≡Pでないか、または、Qである。
に於いて、
①=② であり、この「等式」を、『含意の定義』といふ。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
(ⅲ)
1 (1) Q 仮定
1 (2) ~P∨Q 1選言導入
1 (3) P→Q 2含意の定義
(4)Q→(P→Q) 1条件法
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅳ)
1 (1) P 仮定
1 (2) ~Q∨P 1選言導入
1 (3) Q→P 2含意の定義
(4)P→(Q→P) 1条件法
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(10)
ルカジェヴィッツによる公理
(1) P→(Q→P)
(2)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(3)(~P→~Q)→(Q→P)
これはフレーゲが提出した6つの公理を簡単にしたものである。
(沢田允、現代論理学入門、1962年、173頁)
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
③ Q→(P→Q)≡Qであるならば(PであるならばQである)。
④ P→(Q→P)≡Qであるならば(QであるならばPである)。
に於いて、
④ は「ルカジェヴィッツによる公理1」そのものである。
といふことからも、分かるやうに、これらの「論理式」は、「恒真式(トートロジー)」である。
然るに、
(12)
③ Q→(P→Q)
といふ「式」が、「恒真式(トートロジー)」である。
といふことは、
③ Q→(真→Q)
③ Q→(偽→Q)
といふ「式」が「真」である。
といふ、ことである。
然るに、
(13)
③ Q→(真→Q)
③ Q→(偽→Q)
といふ「式」が「真」である。
といふ、ことは、
③ Q→(P→Q)≡Qであるならば(Pであらうと、Pでなからうと、Qである)。
といふことに、他ならない。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
③ Q→(P→Q)≡Qであるならば(Pであらうと、Pでなからうと、Qである)。
④ P→(Q→P)≡Pであるならば(Qであらうと、Qでなからうと、Pである)。
に於いて、これらの「論理式」は、「恒真式(トートロジー)」である。
従って、
(02)(14)により、
(15)
③ Q→(P→Q)≡Qであるならば(Pであらうと、Pでなからうと、Qである)。
④ P→(Q→P)≡Pであるならば(Qであらうと、Qでなからうと、Pである)。
に於いて、これらの「論理式」は、「恒真式(トートロジー)」である。
といふことは、
③「任意の命題Q」は、「任意の仮言命題のP→Q」の、「後件」である。
といふことを、意味してゐる。
従って、
(10)(15)により、
(16)
③「ルカジェヴィッツの公理1」は、
③「任意の命題P」は、「任意の仮言命題のQ→P」の、「後件」である。
といふことを、意味してゐる。
従って、
(16)により、
(17)
(ⅲ)
1(1) Q 仮定
1(2) P→Q 仮言命題
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(05)(17)により、
(18)
(ⅲ)
1(1) Q 仮定
1(2) P→Q 仮言命題
1(3)~P∨Q 含意の定義
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(18)により、
(19)
③ Q├ ~P∨Q
といふ「連式(sequent)」、すなはち、
③ Qである。故に、Pでないか、または、Qである。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(20)
③ Qである。故に、Pでないか、または、Qである。
といふことは、
③ Qではあるが、Pであるのか、Pでないのかは、分からない。
といふ、ことである。
従って、
(15)~(20)により、
(21)
③「任意の命題Q」は、「任意の仮言命題のP→Q」の、「後件」である。
といふことは、要するに、
③ Qであるとすれば、Qであるが、Pであるのか、Pでないのかは、分からない。
といふ、ことである。
然るに、
(22)
③ Qであるとすれば、Qであるが、その際に、Pであるのか、Pでないのかは、分からない。
といふことは、「当然」である。
従って、
(21)(22)により、
(23)
③「任意の命題Q」は、「任意の仮言命題のP→Q」の、「後件」である。
といふことは、むしろ、「当然」である。
然るに、
(24)
③「任意の命題Q」は、「任意の仮言命題のP→Q」の、「後件」である。
といふことと、
④「任意の命題P」は、「任意の仮言命題のP→Q」の、「前件」である。
といふことは、決して、「同じ」ではない。
(25)
(ⅳ)
1 (1) P 仮定
2(2)~P 仮定
2(3)~P∨Q 2選言導入
2(4) P→Q 3含意の定義
12(5) Q 14前件肯定
といふ「推論」が「妥当」であるならば、
④「任意の命題P」は、「任意の仮言命題のP→Q」の、「前件」である。
といふ「命題」は、「真」である。
然るに、
(26)
「推論(ⅳ)」は、
④ P,~P├ Q
といふ「連式(sequent)」、すなはち、
④ Pであるが、Pでない。故に、Qである。
といふ「推論」に、「等しい」。
従って、
(27)
④ Pであるが、Pでない。
といふ「矛盾」は、絶対に、有り得ない。
従って、
(24)~(27)により、
(28)
③「任意の命題Q」は、「任意の仮言命題のP→Q」の、「後件」である。
といふ「命題」は、「真」であるが、
④「任意の命題P」は、「任意の仮言命題のP→Q」の、「前件」である。
といふ「命題」は、「矛盾」を含み、それ故、「真」ではなく、「偽」である。
(29)
(ⅴ)
1 (1) Q 仮定
1 (2)~P∨Q 1選言導入
1 (3) P→Q 2含意の定義
4(4) P 仮定
14(5) Q 34前件肯定
といふ「推論」は「妥当」である。
然るに、
(30)
「推論(ⅴ)」は、
⑤ Q,P├ Q
といふ「連式(sequent)」、すなはち、
⑤ Qであって、Pである。故に、Qである。
といふ「推論」に「等しい」。
然るに、
(31)
(ⅵ)
1(1)Q&P 仮定
1(2)Q 1連言除去
といふ「推論」は「妥当」である。
然るに、
(32)
「推論(ⅵ)」は、
⑥ Q&P├ Q
といふ「連式(sequent)」、すなはち、
⑥ Qであって、尚且つ、Pである。故に、Qである。
といふ「推論」に「等しい」。
然るに、
(33)
⑤ Qであって、 Pである。故に、Qである。
⑥ Qであって、尚且つ、Pである。故に、Qである。
に於いて、
⑤ と ⑥ は、「同じ」である。
従って、
(29)~(33)により、
(34)
(ⅴ)
1 (1) Q 仮定
1 (2)~P∨Q 1選言導入
1 (3) P→Q 2含意の定義
4(4) P 仮定
14(5) Q 34前件肯定
といふ「推論」は、
⑥ Q&P├ Q
⑥ Qであって、尚且つ、Pである。故に、Qである。
といふ「推論(連言除去)」の「妥当性」を「(半分だけ)証明」してゐる。
といふ風に、言へないこともない。
令和02年01月31日、毛利太。
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