2020年1月8日水曜日

「ソクラテスが、the 先生である」の「述語論理」。

(01)
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
Sentences(1)-(3)are simple subjects-predicate sentences; a particular objects(Socrates,Paris,courage)is said to have a certain property(being a philosopher,being a city,being a virtue). We accordingly call the 'is' in(1)-(3)the 'is' of predication. This use of 'is' must be contrasted with the 'is' in(4)-(6), where rather the sense is 'is' the same object as(with 'object' used in some broad neutral sense). This 'is' we distingush as the 'is' of identtity.
(E.J.Lemmon, Beginning Logic,1978/6/1,p160)
(02)
(1)ソクラテスは哲学者である。
(2)パリは都市である。
(3)勇気は徳である。
(4)ソクラテスプラトンを教えた哲学者である。
(5)パリフランスの首都である。
(6)勇気が私最も賛美する徳である。
(1)-(3)の文は単純ば主語・述語文である、特定の対象(ソクラテス、パリ、勇気)がある性質(哲学者であること、都市であること、徳であること)をもつ、と言われるのである。従って、(1)-(3)における「である」のことを、述語の作用をする「である」('is' of predication)とよぶ。この「である」の用法は、(4)-(6)における「である」と比較対象される必要がある、ここではその意味はむしろ、「同じ対象である」(「対象」という語をある広い、中立的な意味に用いて)である。この「である」をわれわれは同一性の「である」('is' of identity)として区別する。
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 翻訳、1973年、204頁改)
然るに、
(03)
さて定冠詞(the)は、それが厳密に用いられるときには、一意性を内含している。確かに、しかじかのひと(So-and-so)がいく人かの息子もっている場合でさえ、「the so of So-and-so」という表現を使用するが、本当はその場合には、「a so of So-and-so」という方がより正しいといえよう。
(勁草書房、現代哲学基本論文集Ⅰ、バートランド・ラッセル、1986年、53頁)
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
(1)Socrates is   a philosopher.
(4)Socrates is the philosopher.
に於いて、
(1)であれば、「ソクラテスは、哲学者たちの中の一人である。」といふことであり、
(4)であれば、「ソクラテスは、唯一の、the 哲学者である。」といふ、ことになる。
従って、
(04)により、
(05)
(4)Socrates is the teacher who taught Plato.
(4)ソクラテスプラトンを教へた先生である。
であれば、
(4)∃x∃y{ソクラテスx&プラトンy&先生xy&∀z(先生zy→z=x)}
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(05)により、
(06)
(4)It is not the case that Socrates is the teacher who taught Plato.
(4)ソクラテスがプラトンを教へた先生である。といふわけではない。
であれば、
(4)~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}⇔
(4)あるxとyについて、xはソクラテスであり、yはプラトンであり、xはyの先生であり、すべてのzについて、zがyの先生であるならば、zはxと同一である。といふわけではない
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(07)
(ⅳ)
1     (1)~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} A
1     (2)∀x~∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} 1量化子の関係
1     (3)∀x∀y~{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} 2量化子の関係
1     (4)  ∀y~{Sa&Py&Tay&∀z(Tzy→z=a)} 3UE
1     (5)    ~{Sa&Pb&Tab&∀z(Tzb→z=a)} 4UE
1     (6)  ~Sa∨~Pb∨~Tab∨~∀z(Tzb→z=a)  5ド・モルガンの法則
1     (7)(~Sa∨~Pb∨~Tab)∨~∀z(Tzb→z=a)  6交換法則
 8    (8)(~Sa∨~Pb∨~Tab)               A
 8    (9)  ~(Sa&Pb&Tab)               8ド・モルガンの法則
 8    (ア)  ~(Sa&Pb&Tab)∨~∀z(Tzb→z=a)  9∨I
  イ   (イ)               ~∀z(Tzb→z=a)  A
  イ   (ウ)  ~(Sa&Pb&Tab)∨~∀z(Tzb→z=a)  イ∨I
1     (エ)  ~(Sa&Pb&Tab)∨~∀z(Tzb→z=a)   78アイウ∨E
1     (オ)   (Sa&Pb&Tab)→~∀z(Tzb→z=a)  エ含意の定義
   カ  (カ)    Sa&Pb&Tab                A
1  カ  (キ)               ~∀z(Tzb→z=a)  オカMPP
1  カ  (ク)               ∃z~(Tzb→z=a)  キ量化子の関係 
    ケ (ケ)                 ~(Tcb→c=a)  A
     コ(コ)                  ~Tcb∨c=a   A
     コ(サ)                   Tcb→c=a   コ含意の定義
    ケコ(シ)                 ~(Tcb→c=a)&
                           (Tcb→c=a)  ケサ&I
    ケ (ス)                ~(~Tcb∨c=a)  コシRAA
    ケ (セ)                   Tcb&c≠a   ス、ド・モルガンの法則
    ケ (ソ)                ∃z(Tzb&z≠a)  ケEI
1  カ  (タ)                ∃z(Tzb&z≠a)  クケソEE
1     (チ)     Sa&Pb&Tab→∃z(Tzb&z≠a)   カタCP
1     (ツ)  ∀y{Sa&Py&Tay→∃z(Tzy&z≠a)}  チUI
1     (テ)∀x∃y{Sx&Py&Txy→∃z(Tzy&z≠x)}  ツUI
(ⅴ)
1     (1) ∀x∃y{Sx&Py&Txy→∃z(Tzy&z≠x)}  A
1     (2)   ∀y{Sa&Py&Tay→∃z(Tzy&z≠a)}  1UE
1     (3)      Sa&Pb&Tab→∃z(Tzb&z≠a)   2UE
 4    (4)      Sa&Pb&Tab               A
14    (5)                ∃z(Tzb&z≠a)   34MPP
  6   (6)                   Tcb&c≠a    A
  6   (7)                ~(~Tcb∨c=a)   6ド・モルガンの法則
   8  (8)                   Tcb→c=a    A
   8  (9)                  ~Tcb∨c=a    8含意の定義
  68  (ア)                ~(~Tcb∨c=a)&
                          (~Tcb∨c=a)   79&I
  6   (イ)                 ~(Tcb→c=a)   8アRAA
  6   (ウ)               ∃z~(Tzb→z=a)   イEI
14    (エ)               ∃z~(Tzb→z=a)   56ウEE
14    (オ)               ~∀z(Tzb→z=a)   エ量化子の関係
1     (カ)   (Sa&Pb&Tab)→~∀z(Tzb→z=a)   4オCP
1     (キ)  ~(Sa&Pb&Tab)∨~∀z(Tzb→z=a)   カ含意の定義
    ク (ク)  ~(Sa&Pb&Tab)                A
    ク (ケ)  ~Sa∨~Pb∨~Tab                クド・モルガンの法則
    ク (コ)  ~Sa∨~Pb∨~Tab∨~∀z(Tzb→z=a)   ケ∨I
     サ(サ)               ~∀z(Tzb→z=a)   A
     サ(シ)  ~Sa∨~Pb∨~Tab∨~∀z(Tzb→z=a)   サ∨I
1     (ス)  ~Sa∨~Pb∨~Tab∨~∀z(Tzb→z=a)   キクコサシ∨E
1     (セ)    ~{Sa&Pb&Tab&∀z(Tzb→z=a)}  ス、ド・モルガンの法則
1     (ソ)  ∀y~{Sa&Py&Tay&∀z(Tzy→z=a)}  セUI
1     (タ)∀x∀y~{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}  ソUI
1     (チ)∀x~∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}  タ量化子の関係
1     (ツ)~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}  チ量化子の関係
従って、
(07)により、
(08)
④ ~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}
⑤  ∀x∀y{Sx&Py&Txy→∃z(Tzy&z≠x)}
に於いて、すなはち、
④ あるxとyについて、   xはソクラテスであり、yはプラトンであり、xはyの先生であり、 すべてのzについて、zがyの先生であるならば、zはxと同一である。といふわけではない
⑤ いかなるxとyであっても、xがソクラテスであり、yがプラトンであり、xがyの先生であるならば、あるzは      yの先生であるが、  zとxは別人である。
に於いて、
④=⑤ である。
然るに、
(09)
⑤ いかなるxとyであっても、xがソクラテスであり、yがプラトンであり、xがyの先生であるならば、あるzはyの先生であるが、zとxは別人である。
といふことは、
④ ソクラテスはプラトンの先生であるが、ソクラテスの他にも、プラトンの先生がゐる。
といふ、ことである。
従って、
(05)~(09)により、
(10)
④ It is not the case that Socrates is the teacher who taught Plato.
④ ソクラテスプラトンを教へた先生である。といふわけではない。
④ ~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}。
といふことは、
④ ソクラテスはプラトンの先生であるが、ソクラテスの他にも、プラトンの先生がゐる。
といふ、ことである。
従って、
(10)により、
(11)
④ It is not the case that Socrates is the teacher who taught Plato.
④ ソクラテスがプラトンを教へた先生である。といふわけではない。
④ ~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}。
の「否定」、すなはち、
⑤ Socrates is the teacher who taught Plato.
⑤ ソクラテスプラトンを教へた先生である。
⑤ ∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}。
といふことは、
⑤ ソクラテスはプラトンの先生であって、ソクラテス以外は、プラトンの先生ではない
といふ、ことである。
従って、
(11)により、
(12)
⑤ Socrates is the teacher who taught Plato.
⑤ ソクラテスプラトンを教へた先生である。
⑤ ソクラテスはプラトンの先生であって、ソクラテス以外は、プラトンの先生ではない
といふ「命題」は、
⑤ ∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(04)(12)により、
(13)
⑤ Socrates is a
といふ「英語」ではなく、
⑤ Socrates is the
といふ「英語」は、
⑤ ソクラテス
といふ「日本語」に、「対応」する。
然るに、
(14)
⑤ ソクラテスプラトンを教へた先生である。
だけでなく、
⑤ ソクラテスはプラトンを教へた先生である。
といふ「日本語」も、「可能」である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
⑤ Socrates is a
ではなく、
⑤ Socrates is the
である。といふことは、
⑤ ソクラテス
と、言ひ得るための、「必要条件」である。
従って、
(15)により、
(16)
⑤ I am a
ではなく、
⑤ I am the
である。といふことは、
⑤ 私
と、言ひ得るための、「必要条件」である。
然るに、
(17)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(16)(17)により、
(18)
⑤ 私理事長です。
といふのであれば、
⑤ I am the 理事長.
であって、
⑤ I am a 理事長.
ではない
令和元年01月08日、毛利太。

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