(01)
(1)Socrates is a philosopher.
(2)Paris is a city.
(3)Courage is a virtue.
(4)Socrates is the philosopher who taught Plato.
(5)Paris is the capital of France.
(6)Courage is the virtue I most admire.
Sentences(1)-(3)are simple subjects-predicate sentences; a particular objects(Socrates,Paris,courage)is said to have a certain property(being a philosopher,being a city,being a virtue). We accordingly call the 'is' in(1)-(3)the 'is' of predication. This use of 'is' must be contrasted with the 'is' in(4)-(6), where rather the sense is 'is' the same object as(with 'object' used in some broad neutral sense). This 'is' we distingush as the 'is' of identtity.
(E.J.Lemmon, Beginning Logic,1978/6/1,p160)
(02)
(1)ソクラテスは哲学者である。
(2)パリは都市である。
(3)勇気は徳である。
(4)ソクラテスがプラトンを教えた哲学者である。
(5)パリがフランスの首都である。
(6)勇気が私が最も賛美する徳である。
(1)-(3)の文は単純ば主語・述語文である、特定の対象(ソクラテス、パリ、勇気)がある性質(哲学者であること、都市であること、徳であること)をもつ、と言われるのである。従って、(1)-(3)における「である」のことを、述語の作用をする「である」('is' of predication)とよぶ。この「である」の用法は、(4)-(6)における「である」と比較対象される必要がある、ここではその意味はむしろ、「同じ対象である」(「対象」という語をある広い、中立的な意味に用いて)である。この「である」をわれわれは同一性の「である」('is' of identity)として区別する。
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 翻訳、1973年、204頁改)
然るに、
(03)
さて定冠詞(the)は、それが厳密に用いられるときには、一意性を内含している。確かに、しかじかのひと(So-and-so)がいく人かの息子もっている場合でさえ、「the so of So-and-so」という表現を使用するが、本当はその場合には、「a so of So-and-so」という方がより正しいといえよう。
(勁草書房、現代哲学基本論文集Ⅰ、バートランド・ラッセル、1986年、53頁)
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
(1)Socrates is a philosopher.
(4)Socrates is the philosopher.
に於いて、
(1)であれば、「ソクラテスは、哲学者たちの中の一人である。」といふことであり、
(4)であれば、「ソクラテスは、唯一の、the 哲学者である。」といふ、ことになる。
従って、
(04)により、
(05)
(4)Socrates is the teacher who taught Plato.
(4)ソクラテスがプラトンを教へた先生である。
であれば、
(4)∃x∃y{ソクラテスx&プラトンy&先生xy&∀z(先生zy→z=x)}
といふ風に、書くことが出来る。
従って、
(05)により、
(06)
(4)It is not the case that Socrates is the teacher who taught Plato.
(4)ソクラテスがプラトンを教へた先生である。といふわけではない。
であれば、
(4)~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}⇔
(4)あるxとyについて、xはソクラテスであり、yはプラトンであり、xはyの先生であり、すべてのzについて、zがyの先生であるならば、zはxと同一である。といふわけではない。
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(07)
(ⅳ)
1 (1)~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} A
1 (2)∀x~∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} 1量化子の関係
1 (3)∀x∀y~{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} 2量化子の関係
1 (4) ∀y~{Sa&Py&Tay&∀z(Tzy→z=a)} 3UE
1 (5) ~{Sa&Pb&Tab&∀z(Tzb→z=a)} 4UE
1 (6) ~Sa∨~Pb∨~Tab∨~∀z(Tzb→z=a) 5ド・モルガンの法則
1 (7)(~Sa∨~Pb∨~Tab)∨~∀z(Tzb→z=a) 6交換法則
8 (8)(~Sa∨~Pb∨~Tab) A
8 (9) ~(Sa&Pb&Tab) 8ド・モルガンの法則
8 (ア) ~(Sa&Pb&Tab)∨~∀z(Tzb→z=a) 9∨I
イ (イ) ~∀z(Tzb→z=a) A
イ (ウ) ~(Sa&Pb&Tab)∨~∀z(Tzb→z=a) イ∨I
1 (エ) ~(Sa&Pb&Tab)∨~∀z(Tzb→z=a) 78アイウ∨E
1 (オ) (Sa&Pb&Tab)→~∀z(Tzb→z=a) エ含意の定義
カ (カ) Sa&Pb&Tab A
1 カ (キ) ~∀z(Tzb→z=a) オカMPP
1 カ (ク) ∃z~(Tzb→z=a) キ量化子の関係
ケ (ケ) ~(Tcb→c=a) A
コ(コ) ~Tcb∨c=a A
コ(サ) Tcb→c=a コ含意の定義
ケコ(シ) ~(Tcb→c=a)&
(Tcb→c=a) ケサ&I
ケ (ス) ~(~Tcb∨c=a) コシRAA
ケ (セ) Tcb&c≠a ス、ド・モルガンの法則
ケ (ソ) ∃z(Tzb&z≠a) ケEI
1 カ (タ) ∃z(Tzb&z≠a) クケソEE
1 (チ) Sa&Pb&Tab→∃z(Tzb&z≠a) カタCP
1 (ツ) ∀y{Sa&Py&Tay→∃z(Tzy&z≠a)} チUI
1 (テ)∀x∃y{Sx&Py&Txy→∃z(Tzy&z≠x)} ツUI
(ⅴ)
1 (1) ∀x∃y{Sx&Py&Txy→∃z(Tzy&z≠x)} A
1 (2) ∀y{Sa&Py&Tay→∃z(Tzy&z≠a)} 1UE
1 (3) Sa&Pb&Tab→∃z(Tzb&z≠a) 2UE
4 (4) Sa&Pb&Tab A
14 (5) ∃z(Tzb&z≠a) 34MPP
6 (6) Tcb&c≠a A
6 (7) ~(~Tcb∨c=a) 6ド・モルガンの法則
8 (8) Tcb→c=a A
8 (9) ~Tcb∨c=a 8含意の定義
68 (ア) ~(~Tcb∨c=a)&
(~Tcb∨c=a) 79&I
6 (イ) ~(Tcb→c=a) 8アRAA
6 (ウ) ∃z~(Tzb→z=a) イEI
14 (エ) ∃z~(Tzb→z=a) 56ウEE
14 (オ) ~∀z(Tzb→z=a) エ量化子の関係
1 (カ) (Sa&Pb&Tab)→~∀z(Tzb→z=a) 4オCP
1 (キ) ~(Sa&Pb&Tab)∨~∀z(Tzb→z=a) カ含意の定義
ク (ク) ~(Sa&Pb&Tab) A
ク (ケ) ~Sa∨~Pb∨~Tab クド・モルガンの法則
ク (コ) ~Sa∨~Pb∨~Tab∨~∀z(Tzb→z=a) ケ∨I
サ(サ) ~∀z(Tzb→z=a) A
サ(シ) ~Sa∨~Pb∨~Tab∨~∀z(Tzb→z=a) サ∨I
1 (ス) ~Sa∨~Pb∨~Tab∨~∀z(Tzb→z=a) キクコサシ∨E
1 (セ) ~{Sa&Pb&Tab&∀z(Tzb→z=a)} ス、ド・モルガンの法則
1 (ソ) ∀y~{Sa&Py&Tay&∀z(Tzy→z=a)} セUI
1 (タ)∀x∀y~{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} ソUI
1 (チ)∀x~∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} タ量化子の関係
1 (ツ)~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)} チ量化子の関係
従って、
(07)により、
(08)
④ ~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}
⑤ ∀x∀y{Sx&Py&Txy→∃z(Tzy&z≠x)}
に於いて、すなはち、
④ あるxとyについて、 xはソクラテスであり、yはプラトンであり、xはyの先生であり、 すべてのzについて、zがyの先生であるならば、zはxと同一である。といふわけではない。
⑤ いかなるxとyであっても、xがソクラテスであり、yがプラトンであり、xがyの先生であるならば、あるzは yの先生であるが、 zとxは別人である。
に於いて、
④=⑤ である。
然るに、
(09)
⑤ いかなるxとyであっても、xがソクラテスであり、yがプラトンであり、xがyの先生であるならば、あるzはyの先生であるが、zとxは別人である。
といふことは、
④ ソクラテスはプラトンの先生であるが、ソクラテスの他にも、プラトンの先生がゐる。
といふ、ことである。
従って、
(05)~(09)により、
(10)
④ It is not the case that Socrates is the teacher who taught Plato.
④ ソクラテスがプラトンを教へた先生である。といふわけではない。
④ ~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}。
といふことは、
④ ソクラテスはプラトンの先生であるが、ソクラテスの他にも、プラトンの先生がゐる。
といふ、ことである。
従って、
(10)により、
(11)
④ It is not the case that Socrates is the teacher who taught Plato.
④ ソクラテスがプラトンを教へた先生である。といふわけではない。
④ ~∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}。
の「否定」、すなはち、
⑤ Socrates is the teacher who taught Plato.
⑤ ソクラテスがプラトンを教へた先生である。
⑤ ∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}。
といふことは、
⑤ ソクラテスはプラトンの先生であって、ソクラテス以外は、プラトンの先生ではない。
といふ、ことである。
従って、
(11)により、
(12)
⑤ Socrates is the teacher who taught Plato.
⑤ ソクラテスがプラトンを教へた先生である。
⑤ ソクラテスはプラトンの先生であって、ソクラテス以外は、プラトンの先生ではない。
といふ「命題」は、
⑤ ∃x∃y{Sx&Py&Txy&∀z(Tzy→z=x)}。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(04)(12)により、
(13)
⑤ Socrates is a
といふ「英語」ではなく、
⑤ Socrates is the
といふ「英語」は、
⑤ ソクラテスが
といふ「日本語」に、「対応」する。
然るに、
(14)
⑤ ソクラテスがプラトンを教へた先生である。
だけでなく、
⑤ ソクラテスはプラトンを教へた先生である。
といふ「日本語」も、「可能」である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
⑤ Socrates is a
ではなく、
⑤ Socrates is the
である。といふことは、
⑤ ソクラテスが、
と、言ひ得るための、「必要条件」である。
従って、
(15)により、
(16)
⑤ I am a
ではなく、
⑤ I am the
である。といふことは、
⑤ 私が
と、言ひ得るための、「必要条件」である。
然るに、
(17)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(16)(17)により、
(18)
⑤ 私が理事長です。
といふのであれば、
⑤ I am the 理事長.
であって、
⑤ I am a 理事長.
ではない。
令和元年01月08日、毛利太。
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