2020年1月28日火曜日

分かりにくいが、極めて、重要な「仮定の解消(CP)」について。

― 事情があって、明日からしばらくの間(1・2・3週間くらひ?)、ブログを書くことが、出来そうもありません。ただし、ブログを止めてしまふわけでは、決してないので、そのことだけは、確認させて貰いたいと思ひます。―
(01)
未然 連用    終止 連体 已然 命令
なら なり(に) なり なる なれ なれ (体言・連体形に接続)
断定を表す。
然るに、
(02)
未然
(c)
「ば」に続いて「仮定条件」を表す。
*未然―「未だ然からず」、すなわち「まだ、そうなってゐない」の意である。
然形
(a)「ば」「ども」に続いて「確定条件」を表す。
*已然―前の「未然」の反対で、「已に然り」、すなわち、「すでにそうなっている」の意である。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、23・24頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① Pなら(未然形)ばQなり。
⑤ Pな已然形)ばQなり。
に於いて、
① Pは、「未定」であって、
⑤ Pは、「定」である。
従って、
(03)により、
(04)
① Pな然形)ばQなり。
② Pなら(然形)ばQなり。
といふ「文語」は、
① PなのでQである。
② PならばQである。
といふ「口語」に相当する。
従って、
(03)(04)により、
(05)
以下では、
① Pな然形)ばQなり。
② Pなら(未然形)ばQなり。
と書けば、
① PなのでQである。
② PならばQである。
といふ「意味」であって、尚且つ、
① のPは、「定」であって、
② のPは、「定」である。
とする。
然るに、
(06)
「・・・・・という仮定が与えられるならば、・・・・・と正しく結論することができる」という煩雑な表現の略記法があれば好都合であろう。このためわたしは、論理学の文献のなかでしばしば、しかし誤解を招きやすい仕方で、断定記号(assertion-sign)、
 ├ 
を導入する。これは「故に」(therefore)と読むのが便利であろう。
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学入門、16頁)
従って、
(05)(06)により、
(07)
① P
と書くならば、
① Pな然形)ばPなり。
といふ「意味」であって、
① のPは、「定」であって、「定」ではない
然るに、
(08)
(1)P 仮定
に於いて、
 とは、すなはち、
 である。
従って、
(09)
(1)P 
といいふことは、実際には、
(1)P 
といふ、ことになる。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
1(1)P 
は、その実、
① P
① Pな然形)ばPなり。
といふことなる。
然るに、
(11)
29 P├ P
   1(1)P A
これ以上短い連式は証明できないし、またその証明は可能な最も短い証明である。
No shorter sequent than this can be proved, and its proof is the shortest possible proof.
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学入門、44頁と、原文)
従って、
(10)(11)により、
(12)
もう一度、確認すると、
(1)P 
といふ「証明」は、その実、
P├
① Pな然形)ばPなり。
といふ、ことであり、それ故、
① Pは、「定」である。
然るに、
(13)
興味のある定理の大ていのものは、事実上CPを適用することによって導かれる。たとえば、
Most theorems of intrest are obtained in fact by application of CP. For example:
38 ├ P→P(連式29を参照)
   1(1)P   A
    (2)P→P 1,1 CP
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学入門、64頁と、原文)
従って、
(13)により、
(14)
   1(1)P        A
    (2)PならばPである。11 CP
といふ興味のある定理は、CPを適用することによって導かれる。
然るに、
(15)
38 ├  P→P(連式29を参照)
   ├ ~P∨P(排中律
1   (1)   P      A
    (2)   P→ P   11CP
 3  (3)   P&~P   A
 3  (4)   P      3&E
 3  (5)      P   24MPP
 3  (6)     ~P   3&E
 3  (7)   P&~P   56&I
    (8) ~(P&~P)  37RAA
  9 (9) ~(~P∨P)  A
   ア(ア)   ~P     A
   ア(イ)   ~P∨P   ア∨I
  9ア(ウ) ~(~P∨P)&
         (~P∨P)  9イ&I
  9 (エ)  ~~P     アウRAA
  9 (オ)    P     エDN
  9 (カ)   ~P∨P   オ∨I
  9 (キ) ~(~P∨P)&
          ~P∨P   9カ&I
    (ク)~~(~P∨P)  9キRAA
    (ケ)   ~P∨P   クDN
    (〃)Pでないか、または、である。 クDN
従って、
(14)(15)により、
(16)
   1(1)P                   A
    (2)PなばPなり(同一律)。       11 CP
    (ケ)Pでないか、または、である(排中律)。 クDN
といふ興味のある定理である、「同一律」は、CPによって、「排中律」は、RAAとDNによって、導かれる。
然るに、
(17)
(ケ)Pでないか、または、である(排中律)。
といふのであれば、固より、明らかに、
③ Pは「定」である。
従って、
(05)(07)(15)(16)(17)により、
(18)
   1(1)Pである。              A
    (2)PなばPなり(同一律)。      11 CP
    (ケ)Pでないか、または、である(排中律)。クDN
に於いて、順番に、
① Pは「定」であり、
② Pは「定」であり、
③ Pは「定」である。
然るに、
(19)
   (1)Pである。               A
    (2)PならばPなり(同一律)。       11 CP
    (ケ)Pでないか、または、である(排中律)。 クDN
であるといふことは、
(1)に於ける「仮定の数」は、「1番目の仮定」が「個」。
(2)に於ける「仮定の数」は、「個」。
(ケ)に於ける「仮定の数」も、「個」。
である。といふことになる。
従って、
(19)により、
(20)
(1)から、
(2)へ降りた「時点」で、
(1)にあった「仮定」が、「無くなってゐる」。
然るに、
(21)
困難さの第二の理由には、自然演繹には「仮定の解消」(最初に仮定しておいて、あとでなかったことにする)という手続きがあり、それがなかなか理解しづらいことです。自然演繹は、「仮定の解消」のおかげで公理なしに演繹システムになり得ており、その意味で「仮定の解消」は自然演繹の本質だと言っても過言ではありません
(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、144頁)
従って、
(12)(15)(19)(20)(21)により、
(22)
(1)Pな然形)ばPなり。
(2)Pな然形)ばPなり。
に於いて、
(1)から、
(2)へ降りた「時点」で、「仮定の解消」が行はれ、
(1)のPは、「定」から、
(2)のPは、「定」に、変はってゐる。
従って、
(05)(12)(15)(22)により、
(23)
1(1)P   A
 (2)P→P 11CP
といふ「計算」、すなはち、
1(1)Pである。         A
 (2)Pなら(然形)ばPなり。 11CP
といふ「計算」に於いて、
(1)のPは、「定」から、
(2)のPは、「定」に、変はってゐる。
ものの、何故、さうなのかと言はば、
 (2)P→P
といふ「式」は、
 (2)Pな然形)ばPなり。
といふ「日本語」に、相当し、
 (2)Pな然形)ばPなり。
といふ「日本語」に於いて、
 (2)Pは、「定」である。
からである。
といふ、ことなる。
然るに、
(24)
 1(1)P 
 に於いて、 Aは、
       ssumptionの
       A、すなはち、
      「仮定」のである。
従って、
(23)(24)により、
(25)
 1(1)P A 
に於いて、P は、「定」であると、
         「定」されてゐて、
  (2)P→P 11CP
に於いて、P は、「定」であるといふ、
         「定」が、「解消」されてゐる。
従って、
(21)(25)により、
(26)
仮定の解消」といふのは、確かに、(最初に仮定しておいて、あとでなかったことにする)という手続きである。
といふ、ことになるが、より正確に言ふと
仮定の解消」といふのは、(最初に定」としておいて、あとで定」にする)という手続きである。
といふ、ことになる。
然るに、
(27)
然 連用    終止 連体 然 命令
 なり(に) なり なる な なれ (体言・連体形に接続)
断定を表す。
然形
(c)
「ば」に続いて「仮定条件」を表す。
*未然―「未だ然からず」、すなわち「まだ、そうなってゐない」の意である。
然形
(a)「ば」「ども」に続いて「確定条件」を表す。
*已然―前の「未然」の反対で、「已に然り」、すなわち、「すでにそうなっている」の意である。
(中村菊一、基礎からわかる古典文法、1978年、23・24頁)
といふ事情は、英語にはないため、右のやうな「説明」を、E.J.レモン先生が、してゐるわけでは、もちろん、ない。
令和02年01月28日、毛利太。

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